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【短編小説】燃える家に手をかざす

「みえこ合格おめでとう」という横断幕がむなしく見えてきた。私はおそらく来ないであろう主役を待ちながらスマートフォンを見ている。テーブルの上にはとうに冷え切ったご馳走――チキンとかピザとか――と、暖房で生クリームが融けかかっているケーキがあった。
「私が発破をかけたおかげで合格したのよ」と鼻息を荒くしていたAは、こうして自分のアパートを改造してミエコの合格祝いパーティーを計画した。本人に連絡したのか、と問いかけたとき、彼女は「既読がついた」と言った。
 こいつ、視線が合っただけで自分に気があると勘違いするタイプか? 私は頭がクラクラした。
 ミエコの他には私と、あともう一人Bという友人が参加する手筈になっていた。しかし予定時刻になってもミエコが来る気配がなく、Bが迎えに行ったのだ。
 ムリだと思うけど、と言ったところで自分に酔ってるAには聞こえていない。
「私だってあんなこと言いたくなかったけど、ミエコのためを思って言ったんだよ」
 Aは、そう言って目を潤ませた。私は酷い吐き気を覚えた。Aの「愛に溢れた」ありがたいお言葉はあからさまにミエコを追い詰めていたのを私は見ていた。そりゃ毎日LINEで暴言に近しい励ましが来ていたら、どんなヤツでも気が狂うに決まっている。私はその暴言集を手元に置いて、必要になったら証拠品として叩きつけてやろうと思っていたが、ミエコにそんな余裕はなかった。
 インターフォンが鳴る。
 ウキウキのAがドアを開けるが、そこにはBしかいなかった。Bは顔面蒼白になって、少し震えながら私たちを見た。
「ミエコ、会社辞めたんだって……」
「はぁ!? バカじゃないの!?」
 ヒステリックなAの声を聞いて、私は近所の人たちに手を合わせた。
「会社辞めたら意味ないじゃん! あいつ何のために資格取ったの? バカじゃないの!?」
「病気だって」
「病気? なんの!?」
 Bが何かを言った。蚊の鳴くような声だった。実際なんと言ったのか私には聞き取れなかったが答えは分かる。
「うつ病……」
 私は席を立った。Bが「どこに行くの?」と聞いてくる。全く馬鹿馬鹿しい。ここまで来ると本当にミエコが可哀想で仕方がない。
「帰る。主役が来ないんじゃどうしようもないでしょ」
「……知ってたの?」
 Aの声が床を這った。Bがびくりと身体を震わせた。
「知ってたよ」私はさらりと答えた。
「自分なりにコツコツ勉強していたことも、Aの暴言で――」
「暴言じゃない」Aが噛みついた。
 私は構わず言葉を続けた。
「……傷ついていたことも、やめてほしいと言ったのにやめてもらえないと泣いてたことも、試験が終わった頃になっていよいよ身体を壊したことも、職場に迷惑かけられないって辞表を出したことも全部知ってる」
 リビングの暖房がひときわ強い風を出した。私はAとBの顔を見て「紅白だな」と思った。何一つとしてめでたくはないが。
「ミエコは試験合格したよ。よかったじゃん、Aの望んだとおりにはなったよ。資格取る前よりも状況は最悪だけど」
 私はそう言って、Aのアパートを去った。
 クリスマス前の街はどうも浮かれている気がする。私はイルミネーションを巻き付けられた木々の間を通り抜けて、駅の方へと向かう。その途中、何かのイベントなのだろう……プロジェクションマッピングを用いてライトアップされた建物に、人々がくぐもった拍手を贈っていた。
 建物には炎の映像が映し出されていた。何も知らない人が見たら火事だと誤認するだろう。実際映像を見ている人の中には偽物の炎に手をかざす者がいた。私はその様子を見て、Aみたいだな、と思った。
 暖を取るのに家に火をつける様を、Aそのものだと本気で思ったのだ。私はLINEを開いて、ミエコにメッセージを送る。
「今度ケーキ持っていくよ」
 今頃、AとBは冷めたピザと融けかけた生クリームのケーキを食べているのだろうか。
 そんな下らないことを考えていると、通知にスマホが震えた。笑顔のウサギのスタンプに、私はしばしなんと返信するか迷っていた。そのとき、ミエコからメッセージが飛んできた。
 ――さっき、Bが来たよ。
 私はプロジェクションマッピングを纏う建物を見た。そこにはもう炎の映像はなかった。百年前、銀行として建てられていた頃の姿を、建物は少し無理矢理再現させられていた。
 ……そのくらい簡単ならよかったのにな。
 私はスマホを操作した。かじかむ手が上手く動かせず、私はうっかりスタンプを誤爆した。大袈裟に泣くアヒルのスタンプへの返信は、やたら大袈裟に笑うネズミのスタンプだった。
 私の胃は、キュッと縮んだ。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)