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【短編小説】おふくろの味

 レストラン経営者のN氏は、昔懐かしの味をテーマにしたフェアをすることにした。題して「おふくろの味シリーズ」。肉じゃが定食やなつかしシチューなど、ラインナップは自信作ばかり。だが、フェアが始まるや否や、店の電話はけたたましく鳴り響く。
「おたくの『おふくろの味シリーズ』っていうのは……」
 電話に出ると同時に、ヒステリックな声が聞こえてきた。相手は「おふくろの味」という表現そのものを口にすることすら憚れる、と言わんばかりの名演技を見せて、N氏に訴えた。
「あまりにも、女性蔑視ではありませんか」
 思わず、「はぁ?」と問いかけたくなってしまったが、N氏はぐっとこらえた。火に油を注ぐ趣味はないのだ。
「まるで、女は黙って家庭の飯炊きババアをやっていればいいと言わんばかりの名前は、失礼じゃないですか」
 N氏は電話相手をなだめて、なんとかクレームを処理した。そんな中でもおふくろの味シリーズは結構好評だった。ファミレスではあまりお目にかかれない料理をメインにしたからかもしれない。
 だが、十数分おきに「おふくろの味」という表現が気に入らないらしい人々から電話が飛んでくる。
「私の家は父子家庭なのですが、まるでおふくろがいないお前に思い出の味はないと言われているみたいで傷つきました」
「私は父の料理が好きなのですが、それを否定するのですか?」
 N氏はすっかり疲れてしまって、「おふくろの味シリーズ」を「思い出の味シリーズ」に名称変更することを決めた。
 その日の夜、従業員はせっせとメニュー表にテプラを張り付けた。

 翌日、再び電話が鳴った。
「おたくの『思い出の味シリーズ』っていうのは……」
 案の定、電話に出ると同時にヒステリックな声が聞こえてきた。相手は「思い出の味」という表現そのものを口にすることすら憚れる、と言わんばかりの名演技を見せて、N氏に訴えた。
「記憶喪失の人々に対して、失礼じゃありませんか」
 思わず、「はぁ?」と問いかけたくなってしまったが、N氏はぐっとこらえた。火に油を注ぐ趣味はないのだ。電話先の相手は、自分が数年前の事故で記憶をなくし、母親の顔すらわからなくなってしまった経験を悲観的にねっとりと語ったが、N氏はその大半を聞き流していた。N氏はなんとか電話相手をなだめた。感極まって泣き出した相手が何を言っているか分からなかったが、もうそれどころではなかった。
 経験則だ。この後どうなるか分かる。案の定十数分おきに「思い出の味」という表現が気に入らないらしい人々から電話が飛んでくる。
「私の家は貧乏で、肉じゃがに肉が入ったことがありませんでしたが、それを思い出の味と言うのですか?」
「私は幼少期、アメリカに住んでいました。私の思い出の味であるチーズたっぷりのピザがないということは、外国人差別にあたるのではないでしょうか?」
 N氏はすっかり疲れてしまって、「思い出の味シリーズ」を「ノスタルジー感じる味シリーズ」に名称変更することを決めた。
 その日の夜、従業員はせっせとメニュー表にテプラを張り付けた。

 翌日、再び電話が鳴った。
「おたくの『ノスタルジー感じる味シリーズ』についてなのですが」
 今度は穏やかな声だった。Nは心底ほっとした。感極まって泣きそうになった。だが、その涙も早々にひっこむことになる。
「この、『ノスタルジー』とはなんですか? 何で横文字を使うのですか?」
 流れが変わった。N氏が口をはさむ前に、電話相手はまくしたてる。
「最近は何でも横文字を使いますよねぇ。エビデンスだのレガシーだの、アジェンダだの……もうわけがわかりませんよ。おたくも『ノスタルジー』なんて、まぁかっこいい横文字を使っちゃって。外国語の分からない老人はお断りってところですか?」
「いえ、そんなことは――」
 N氏が弁解する前に、ガチャ切り。
 再び経験則だ。この後どうなるか分かる。案の定十数分おきに「ノスタルジー」という表現が気に入らないらしい人々から電話が飛んでくる。
「かっこいい言葉を使えばいいってもんじゃないと思いますよ」
「私は××国の出身なのですが、どうして××国の言葉を使ってくれないんですか?」
 N氏はすっかり疲れてしまって、「ノスタルジー感じる味シリーズ」を「はじめましての新メニュー」に名称変更することを決めた。
 その日の夜、従業員はせっせとメニュー表にテプラを張り付けた。

 翌日、やっぱり電話が鳴った。
「おたくの新メニューに関してですが、肉じゃがは別に新しくもなんともないですよね? そもそも肉じゃがを発明したのはあなたではなくて――」
 N氏は、電話線を引っこ抜いた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)