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【短編小説】恋の矢印

 少女漫画にあこがれた。大好きな彼氏くんのために手編みのマフラーを編む主人公にあこがれた。不器用ながらも一生懸命にマフラーを編む主人公は、時折編み棒を指に突き刺しながらもシンプルなマフラーを編み上げた。だけど表面はボコボコで、お世辞にも綺麗とは言えない出来。学校に持ってきたところまではいいものの、こんな不格好なものを渡すのは失礼だと感じて渡すのを諦める。が、それを目ざとく見つけた彼氏くんは主人公の前でマフラーを広げて「サンキュ」と言ってそれをつける。
 ありきたりといえばありきたりだが、私は百円均一で毛糸と編み棒を買ってきた。そのくらい影響されたのだ。とはいえ私は割と器用なほうなので、手編みのマフラーを作るのにさほど苦戦はしなかった。ほどなくして出来上がったマフラーは網目もわりと均一で、初めて作ったにしては上等と言える出来であった。 問題は渡す相手がいなかったことである。
 何のためにマフラーを編んだのかがよくわからなくなってきた。父や母に渡すのが手っ取り早いと今になってはそう思うのだが、当時の私の中には「ない」選択肢だった。バレンタインデーは近づいていたが、マフラーを渡したいほど好きな相手もいない。どうしようか、と考えた私はクラスの人気者にこれを渡す算段を立てた。例年通りにいけば奴の周囲には様々なものが山になる。チョコはもちろん、手編みのセーターや手袋までやってくるが、大抵サイズが大きかったり小さかったり、最悪なものについてはほどけそうになっていたり、去年の手袋については指が六本あった。
 私は特に好きでもないやつにマフラーを渡そうと考えてそれを持ってきたが、ここでも予想外なことが起きた。バレンタイン当日。二月十四日。あろうことか奴は学校を休みやがった。インフルだという。渡すチョコはあるのに渡す相手がいない女子たちは一部発狂していたものの、机や下駄箱にねじ込もうとする輩もいた。そうなれば後は場所取り合戦である。先に入れられていたチョコレートを捨てて自分のチョコを入れようとする悪魔のような戦略を立てた奴が出てきた。カッコウの「托卵」ってこういうことか、と私は思った。一方で捨てられたチョコを勝手に食い始まった男子も多数いた。教室にはチョコの臭いがプンプンしていたが、先生が来る前に換気をしてどうにかなった。なっていなかったかもしれない。
 結局私のマフラーは行き先を失った。渡辺が話しかけてきたのは放課後のことだ。
「それ、佐々木に?」
 教室掃除を終えて机を綺麗に並べたあたりのことだ。彼は通路を挟んだ隣の席の男子で、クラスではあまり目立たないというか、裏方に回ることが多いやつだった。国語の授業で習った「いぶし銀の活躍」というフレーズは渡辺のためにあるのだと思う。
 私はちょっと答えに詰まったが、変にウワサが立つのも嫌だったので正直に答えた。
「テキトーに誰かにあげようと思って持ってきたんだけど、渡す相手がいなかった」
 渡辺は「何じゃそりゃ」と言って笑った。
「編み物が好きなのか?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
 渡辺はもう一度、「何じゃそりゃ」と言って笑った。
「で、そのマフラーどうすんの?」
「えー、どうしようかなぁ」
 私はもったいぶったつもりはなく、ただ本心から「どうしよう」と思っていた。本当に行き場に困っていたのだ。自分で使うという手もあるが、今使っているネックウォーマーの方が温かいし、何より柄が私好み。学校でも使えるようにと選んだ色は私の好みとは違っていたのだ。
 すると渡辺はゲラゲラ笑いだした。私はむっとした。バカにされているような気がしたのだ。
「そこは普通さ、『渡辺クン、もらってくれない?』だろ!」
 渡辺は、わざわざ私のセリフを丁寧に裏声で喋っていた。そしてまたゲラゲラ笑った。
 目に涙を浮かべて笑い転げる渡辺に対し、私は驚愕していた。私がもっと素直だったら口をあんぐりと開けて、教室内に迷い込んだハエを呑み込んでいたかもしれない。私が驚いたのは「あの渡辺があんな冗談をいう」という点についてであって、彼の(ある意味では非常識な)言動そのものは関係ない。というか、むしろゴミにしかなりえなかったマフラーの行先が決まっただけありがたい話だ。
「ほしいならあげるけど……」
 私はようやっとそれだけを言えた。すると今度は渡辺が驚いていた。
「え? いいの?」
「うん。持ち帰ってもゴミになるだけだし」
 言ってから、余計なことを口走ったと思った。私は渡辺にゴミを渡そうとしているのだ。
「マジで?」
 渡辺は手を差し出した。私はそこにマフラーの紙袋をひっかけてやった。男子の手の大きさというものが、やけに印象に残っている。
「やったー。ありがとな」
 渡辺はそう言ってマフラーを巻いた。派手じゃない方がいいだろうと思ってチャコールグレイを選んだ私のセンスは正解だったようだ。素人が作った割には上出来で、市販品にしてはお粗末なマフラーは渡辺のために作ったのではないかと言わんばかりに似合っていて、私は目をしぱしぱさせた。これだとまるで私が渡辺のことを好きみたいではないかと思ったが、それと同時に、私はあの少女漫画の主人公のことが好きなのだと気づくことができた。彼女みたいになりたくて、私はマフラーを編んでいたのだ。
「これさぁ、学校に着けてきていい? 木村からもらったって言っていい?」
 雪にじゃれる子犬みたいな顔で言われて、私は断れなかった。少女漫画のあの子みたいにはなれない。私はそこまで夢を見ない。恋というものについての理解に乏しい私は、ここで普通に「いいよ」と言った。普通ではないのかもしれない。
「へー。普通は嫌がるもんだと思ってた。『やめてよ、恋人同士じゃないんだし』とか言われるもんだと」
 渡辺だってこう言った。やっぱり私のセリフは裏声だった。どのみちつまり私は普通ではないのだ。
「もし私が『やめてよ、恋人同士じゃないんだし』って言ったらどうしてた?」
 私は思った通りに疑問を口にした。別に他意はなかった。
「じゃあ、恋人になる? って聞いてた」
 渡辺はさらりと言ってのけた。チョコレートの残り香が鼻の奥をかすめていった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)