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【長編小説】ノアと冬が来ない町  第十三話 信頼の証


 ここに、来るまでに。
 これが、できあがるまでに。
 いったい何人の精霊族が犠牲になったのだろうか。

 キメラの腕を切り落としながら、コガラシマルは魔力を見る。様々な種類のものが複雑に混ざっていて判別がつかない。もはや魔力と言っていいのか分からない混沌としたエネルギーの塊がここに重たく降りている。
(この状況、グランドサーペントと戦った時のことを思い出すが……)
 コガラシマルは、切り落とされた腕を何事もなかったかのようにして装着するキメラを見ながら、あれこれと考えを巡らせる。
 キメラ、というのは複数の動物を繋ぎ合わせて作り出した人工獣のことだ。たいていの場合、獅子の背に翼をつけるとか、頭を増やすとかするだけに留めて、各国の戦闘要員入団試験の相手として繰り出すパターンが多い。キメラの性質は何を混ぜたかによって変わり、炎を吐く個体もいれば、雷を呼び寄せる個体もいる。
 この個体は二足歩行で、頭は獅子、体は猿、尾は蛇、手足もまた別の動物の類のようだが、よく分からない。ただ、五メートル越えの猿の存在をコガラシマルは聞いたことがない。
 私兵たちは体内に他者の魔力を注ぐことで倒すことができたが、このキメラには通用しない。むしろ敵に塩を送るに等しい行為だ。あの邪悪に満ちた魔力が接着剤の役割を果たし、自身の魔力として変換してしまうからだ。
「なんか、私兵に似てるよな? 身体くっつけたりいろいろできるみたいだし……」
 ヒョウガの声に、コガラシマルは小さく頷いた。そして背後の気配を確認する。ノアとラスターがやってきた。黒い風に飛び上がった雪の粒たちに頬を殴られながら、情報を得ようとしている。しかしそれを許す連中ではない。コガラシマルは自身の魔力を放ち、ノアが魔術を扱えるように領域を生成する。寒さがしみるかもしれないが、この環境よりはマシだろう。
 ヒョウガは言葉を交わすことなくコガラシマルの言わんとすることを理解する。キメラの気配に注意を向けながら、ノアたちのところに急ぐ。
 ノアもなんとなく状況を察していたらしい。
「あれは何? 精霊族らしい魔力が押し固められて……」
「霊山の……あれ、キメラにされてたみたいなんだ」
 ヒョウガが説明に入る間、コガラシマルが外で時間を稼いでいる。キメラの悲鳴は響いているが、魔力の動きからして致命傷には至っていないようだ。
「なるほど……そういうことか。つまりゴーレム生成で培った技術を、キメラに応用したんだね」
「あれ、倒せると思うか? 中に魔力注ぐわけにもいかないんだろ?」
「魔力注いだら逆効果だから……大本の、悪さをしてい魔力を消す必要がある」
「どうすればいい?」
「アカツキくんがくるまで時間を稼ごう。浄化の魔術ならおそらくは無力化できる」
「いや、もしかしたらワンチャンあるかもしれないぜ」
 話を聞いていただけのラスターが口を挟む。
「何か策があるの?」
 ノアの問いの答えとして、ラスターはポーチから小さな黒い玉――首輪を取り出した。ヒョウガが目を丸くする。
「ど、どうするんだ?」
「これをキメラの首に着ける。倒せなくとも弱体化は狙えるだろ? だって、精霊族の魔力を持ってるんだから」
 投げ方知ってる? とラスターが問いかけると、ヒョウガは苦い顔をする。
「知らない?」
 聞かずともわかる。ヒョウガは首輪の使い方を知っている。ただ答えたくないだけなのだ。ラスターの「見透かしてますよ」というニヤニヤとした笑みに、ヒョウガは渋々と言った様子で答えてくれた。
「……相手の首の近くに投げれば、あとは勝手に紐が伸びる。紐は伸縮自在だから、あれくらいの首相手でも装着に問題はないと思う」
 少し間をおいてから「コガラシマルにつけたら怒るぞ」と釘を刺されたので、ラスターは思わず笑ってしまった。そんなことをするつもりもないし、そんなヘマをするほどマヌケではない。この状況下でコガラシマルが弱体化したらこちらも死を覚悟する必要が出てくる。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
 ラスターは意気揚々と吹雪の中へと出ていった。珍しい道具を使ってみたいという好奇心が見て取れる。ヒョウガは不安そうにしていたが、ここで眺めていてもラスターの首輪使用を止められないと思ったのだろう。
「ノア、オレたちは昇降機の方に行こう。あのキメラ、精霊族を食べるらしいから……あの二人が食べられないように守ってやらないと」
 ノアは頷いた。頷いてからふと口を開いた。
「俺一人で行こうか? コガラシマルのこと心配じゃない?」
「大丈夫。あいつ強いから」
 ノアは頷いた。確かにその通りだ。事実、キメラの悲鳴が何度か響いている。一撃が決定打にならないだけであって戦闘においては優位な立ち位置をキープしているのだろう。一瞬、一際苦しそうな声が聞こえた。地面が震えている。何かがのたうち回るような振動。ノアはヒョウガを見た。苦い顔をしている。ノアは思った。きっとラスターは喜んでいるだろう、と。
 その予想通り、ラスターだけが喜んでいた。
「そなたでなければ首を刎ねていたぞ!」
 忌々しそうに吐き捨てるコガラシマルに対し、ラスターはどこ吹く風。キメラは自分の首に巻き付いている首輪を外そうともがいている。体が崩れ落ちていく。精霊族の魔力が吸い取られて、キメラを構成する魔力が本来の力を発揮できなくなっているのだ。
「えっぐ。こんな感じになっちゃうの? ひでぇ道具だなぁ」
「…………」
「でも、こんなことならもっと買っておけばよかったなぁ」
 いよいよ原型が留まらないレベルの崩壊を見せるキメラを見ながら、ラスターは呟いた。
「…………」
 コガラシマルも何も言わない。風の向こうから一体、また一体……気配が順々に近づいているからというのが沈黙の理由ではないようだが。
 ラスターがわくわく、といった様子で口を開いた。
「首輪って再利用できないのか」
「できてたまるものか」
 コガラシマルはラスターを置いて空へと駆けた。ラスターはため息をつく。随分嫌われてしまったらしい。
「でも、そろそろ全員揃うだろ」
 暢気に短剣を引き抜いたラスターだったが、先ほど空に飛んだコガラシマルが戻ってきたので目を見張った。
「連中が昇降機の方へ走り出している、姿かたちは多種多様。どうする?」
「ここで食い止めるのは?」
「我々二人で十数体のキメラを倒せるとでも?」
「……あんたならできそうだけど」
「互いに打つ手がない。死にもしないが殺せもしない」
「……なるほどな。分かった。あんたはヒョウガのところに行ってくれ。俺はちょっと用事があるから」


 昇降機の中で、シノは一人で喋っていた。アカツキが聞いているかは分からないが、今までのことを話した。一通り話し終えて、シノが息をついたとき、アカツキはようやっと口を開いた。
「……なんでアイツは、アマテラス人相手に契約したんだ?」
「人には人の事情があるのよ。あたしも正直びっくりしたけど、悪い人じゃないから納得ね」
「……ふーん」
 昇降機が、止まる。外に暴力的な魔力の渦がある。
 アカツキが錫杖を手に、扉を睨む。がたん、とわずかな揺れののち、めんどくさそうに扉が開いていく。
「嫌な魔力だな」
「そうね」
 昇降機の扉が開いた瞬間、シノとアカツキは獣の咆哮を聞いた。距離が近い。「なに、」とシノが戸惑いの声を上げたのと、アカツキが外に出たのは同時だった。爪の一撃があちらこちらから伸びてくる、速い、結界術が間に合うか――と思った矢先、目の前に氷の壁が聳え立った。
「間に合ったか?」
「大丈夫、明らかに攻撃がはじかれてたから」
 壁の外から声が聞こえる。アカツキははっとして後ろを見ると、シノも同じようにして守られていたところだった。獣の声が小さくなる。口の向きが変わったのだ。
 争いの音が聞こえる。純粋な冬の風が降りる。一瞬目を閉じた間に、コガラシマルが目の前に降り立っている。この壁を飛び越えてきたのだろう。
「状況を報告する」
「お願い」
「あの魔術師が作り出したキメラが十数頭、既にこの周りに集っている。連中は精霊族を好んで食し、その魔力を自らのものに変換する性質があるようだ」
「つまりあたしたちがエサってこと?」
「いかにも」
「浄化の魔術を放たないとならないけれど、この空間で術を組むのは難しいんじゃないかな」
「それには及ばぬ」
 コガラシマルがヒョウガの氷に触れると、周囲が清浄な冬の空間になった。
「某の冬を起点にすれば、浄化の魔術の術式を組むのも多少楽にはなるだろう」
「……言っとくけど、俺の魔力は強烈な炎だ。そんな浄化の魔術をぶちかましたら、お前、溶けちゃうぞ」
「そなたの炎ごときで某の冬は解けぬ」
「なんかムカつく」
 錫杖を鳴らし、アカツキが術の準備に入る。それを見たコガラシマルは再び壁を越えて外へと向かった。
「アカツキくん、ありがとう」
 続けてノアがアカツキに話しかける。アカツキは不思議そうにノアを見た。
「……俺を助けに来たからこうなってるんだぞ?」
「それでも、町を救う協力をしてくれてるのは確かだから」
 そういうものだのだろうか、とアカツキは思う。自分の境遇を考えると人間もアマテラス人もロクな奴じゃないとばかり思っていたが、どうやらそうとは限らないらしい。
 地表に魔力の線が描かれる。ノアはその文様に目を奪われた。
 魔術そのものを設置する際に用いられる魔法陣は、そのデザインの精巧さから芸術面においての評価も高い。アカツキが描いた陣は力強い線と精密な術式が組み合わさり、もはや一つの工芸品といって差し支えなかった。
「ノア!」
 シノが声を張る。ノアははっとしてシノの方を見た。薙刀を手にした彼女は切羽詰まった顔でキメラのいる方を見た。
「この術、時間がかかるわ」
 それだけで、彼女の言わんとすることが分かる。キメラがアカツキを襲わないように防衛する必要がある。
「キメラに幻術は?」
「分からないわ。動物の類ならなんとか」
「でも十数体……どのみち食い止める必要があるか。行こう」
「場所は?」
「ノイズのような魔力の気配があるの、分かる?」
「なるほどね、分かったわ」
 シノは空間に穴をあけて、そこに飛び込んで行ってしまった。夢の空間を経由してキメラの隙をつくのだろう。
「キメラの足止めは俺たちに任せて。後は頼んだよ、アカツキくん!」
 ノアは最も手近なキメラの下へと急いだ。身体拘束魔術をかけて動きさえ封じれば、他へ向かう余裕が出てくる。風は随分と落ち着いている。あの変質魔力の冬を気に食わないコガラシマルが半ば無理やり上書きしている影響だろう。あとはアカツキの魔術がどんどん完成に近づいているのも理由のうちかもしれない。
「…………」
 アカツキの魔力がどんどん膨れていく。術式がどんどん組みあがっていき、境界の魔力が浄化されていく。巨大な炎が立ち上っているようにも見えるそれに、すべてのキメラが危機を覚えた。
 あるものは飛び、あるものは大地を駆け、あるものは地中に潜った。
「させるか!」
 ノアはキメラの足に身体拘束魔術を展開する。巨体が雪にめり込んだ。そのすぐ傍で、空からキメラの巨体が落ちる。空中のコガラシマルが片っ端から撃墜しているらしい。勢いよく突進していったキメラの足が止まり、ふらふらとその場に座り込む。ぼーっと空を見て、すんすんと鼻を鳴らし、そのままうずくまって眠ってしまった。シノの幻術だ。
「そっちはどう?」
 ノアは空に向けて叫んだ。すぐに風に乗って「問題ない!」と返事がくる。
 ……そこでノアは、そういえばラスターの姿が見えないということに気が付いた。
 ラスターは、と問いを投げようとしたそのとき、アカツキのいるところから猛烈な勢いで光が昇った。
「日輪よ、天高く燃ゆる我が魂よ」
 詠唱に術式が反応する。光が炎の色味を帯びる。錫杖の赤い宝石が輝き、光がいよいよ揺らめいていく。
「我が嘆き、我が喜び、我が魂の叫びを聴け」
 キメラたちが慌てて向かおうとするが、アカツキに近づけば近づくほど浄化の力は強まっていく。足が止まる。一匹がうずくまると、別の一匹もその場に倒れていく。
「生命の煌めきをもとに、浄化の炎で邪悪を滅す……」
 魔法陣が強烈に輝く。ノアは一瞬、何かが爆発したのかと思った。思わず目を閉じ、腕で顔を守る。
「焼き尽くせ! 業火絢爛・浄罪の焔!」
 空間に満ちていた重苦しい魔力が、一斉にその力を失っていく。空中のコガラシマルが即座に反応し、自身の魔力を即座に冬として定着させる。上手くいった。誰もがそう思ったその瞬間、
 どん、と重い音が響く。シノが小さく悲鳴を上げる。
 土を泳いだキメラが一匹、アカツキの前で飛び上がっていた。
「!」
 突如自分の視界の中に飛び込んできた巨体に、アカツキは当然気づいている。が、魔術の反動が全身を支配している。強力な術には必ず代償が伴う。今のアカツキは結界一枚張ることすらできない。大きな口をぐわっとあけて、キメラがこちらを食おうとしている。シノがこちらに向かおうとしているが、あの距離では間に合わない。
 飲まれる、と思ったその時、キメラの巨体が宙を飛んだ。
 地面から氷塊が生えている。それを足場にして高く飛んだ彼は、キメラを十数メートル吹き飛ばした。地面にたたきつけられたキメラはしばし動かなくなった。さすがに衝撃が強すぎたらしい。
「お前……」
 自分とキメラの間に降り立ち、まるで「アカツキを守る」ようなふるまいを見せたヒョウガは、そのままアカツキの周辺に氷の柱を立てる。万が一キメラが来たとしても、彼らの爪牙がアカツキに届かないように。
「なんで、助けた?」
 アカツキが尋ねる。ヒョウガは振り向かず、キメラの動向を見つめながら答えた。魔力が浄化されつつあり、体を動かしにくくなっているようだ。が、まだ戦えるらしい。
「その理由って、必要なもんなのか?」
「……俺はお前を焼き殺そうとしたんだぞ。浄化魔術だってほぼ発動してたし、俺を守り切る理由、お前にはないだろ」
「そんなにアマテラス人の手を借りるのは嫌だったか?」
 ヒョウガの返答に、アカツキは自分の頭をガシガシと掻いた。
「そういう意味じゃなくて! その、……ああもう!」
 錫杖が小さな炎を灯す。ヒョウガは眉間に皺を寄せた。
「俺はお前に謝りたいってこと!」
「別に気にしてないからいいけど……」
「俺が気にするの!」
 アカツキは納得いかないといわんばかりに飛び跳ねた。自分の言わんとすることが相手に伝わらない苛立ちである。ヒョウガはどうすればよいのか分からず、そっと自然に視線を逸らした。
「……お前、名前なんていうんだ?」
 そこに予期せぬ問いかけが飛んできて、ヒョウガは思わずアカツキの顔を見た。
「え?」
 キメラが地中に姿を消す。一度体を回復させに行ったらしい。冬の風の音がする。この周辺は本来静かな場所なのだろう、とヒョウガは思った。
「名前」
 ヒョウガは少し沈黙を作ったが、答える気がないと思われたら嫌だったので、慌てて自分の名を告げる。
「……ヒョウガ」
 アカツキが、「ヒョウガ……」と繰り返す。何度も名を呼んでくるものだから、ヒョウガは少しむずがゆくなった。
 影が降りる。体勢を整えたキメラが飛び出る。シノが近くの空間から飛び出てきた。
 すぐさま炎が躍る。ヒョウガが氷の柱を立てたのは正解だった。真正面から襲い掛かってきたキメラに対し、アカツキが業火を放つ。
「俺は――」
 ヒョウガは「知ってる、」と言いかけてやめた。魔力が立ち上る。生命力に満ち溢れた、熱を持つ清浄な魔力。この単純明快な性質をヒョウガはなんとなくわかっている。
 アカツキの口元がニヤリと笑みを描く。

「俺はアカツキ。……炎と光の加護を受け、始まりを司る精霊だ!」

 白い光が、夜明けの光が、黒い風を裂いた。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)