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愛があるから

北海道に住む祖父が急に弱ってしまった。正月に会ったときはいつもと変わらぬ元気な様子だったが、突然一人で歩くこともできなくなるほどになった。手紙を一通送った。それから東京から北海道へ会いに行った。祖父の姿を見て心が苦しくなった。体は痩せてしまい、呂律が回らず、ベットに横たわっていた。ついこの間の元気な祖父と比べて淋しくなった。凄まじい勢いで目頭まで込み上げてきた涙を必死に堪え、ぎこちない笑顔を作った。ただ僕に会って嬉しそうな祖父を見るとこちらも嬉しい気持ちになった。そのとき、きっと僕は祖父のために生きていると思った。

僕は愛する存在のために生きている。これまで僕は自分自身のために生きており、周りなんてどうでもいいと考えていた。だからいつ死のうと僕の勝手だなんて思っていた。しかし僕は自分のために死ぬことができないことに気づいてしまった。僕の愛する人がいつか死んでしまったらその分の巨大な穴が心に空く。きっと何もやる気が起こらず全身に力が入らなくなる。愛するものの喪失ほど深い悲しみはない。だから愛する人にはそう簡単にいなくなられては困る。逆も然りである。愛する人に悲しい思いはさせたくない。

時折、いっそのこと死んでしまいたくなることがある。その度に何のために自分は生きてるのかを考える。自分に一切の価値が感じられなくなり、分からなくなる。分からないからこそ、それを見つけるために僕は生きているのだと考えていた。そして漸く生きる意味を一つ見つけることができた。愛する存在のために僕は生きているのだ。たとえ自分の価値を見つけることができなかったとしても、この世界に愛する存在が一つでもあればそれが生きる意味になるのだ。いつかそれに触れることができなくなることはとても恐ろしい。それゆえ迂闊に死ぬことはできないし、愛する人を大切にしなければならない。

人でなくてもよい。例えば、毎年夏頃に咲く桔梗の花を見るために僕は生きることができるし、宮沢賢治の作品が本棚にあるから僕は生きることができる。周りには愛すべきものが沢山ある。僕はそれらのおかげで今日も生きていられる。僕の愛するものには間違いなく価値がある。そして結局のところ、愛する存在が僕自身の価値に繋がっていくのだ。僕の顔を見て笑顔になってくれた祖父を見てそのような大切なことに気付くことができた。愛するものは僕を優しい純情に満たしてくれる。

p.s.
会いに行ってから祖父は元気になってきたらしい。一秒でも早く回復してもらい、次会ったときには共に盃を交わし愉快に笑い合いたい。

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