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勇魚

あと二か月もすれば東京には桜が咲く。冷たい冬から一気に春の暖かい日が差してくる、あの季節の移ろいが感じられる時季がどうしようもなく好きだ。心まで暖かくなる。

前に眠れない夜におやすみジブリを流す話をしたが、最近はYouTubeで鯨の鳴き声を聴きながら眠りに落ちている。鯨の鳴き声は独特の響きがあり、それが神秘的でとても美しい。目を閉じて聴いているとまるで自分が深い海の中にいて、魚にでもなったかのような気がしてくる。

周りは薄暗く、頭上には仄かに滲んだ明かりが見える。月か太陽かも分からぬ、夜か朝かも分からぬ、暗い中にただぼんやりと淡い明かりが差す。静けさの中に水の弾ける音が聞こえる。僕は魚だ。突然、真暗になる。一縷の明かりが消える。代わりに、頭上には巨大な影のようなものが見える。それはゆっくりと移動している。同時に笛のような高い音が響き渡る。ゆっくりとゆっくりとそれは移動する。少しずつ明るくなる。明かりは影を鈍く照らす。あれは、鯨だ。微かに照らされた顔と悠々とした大きな体が綺麗で見惚れる。水が弾け泡沫になる音と、鯨の声が静かに響き渡る。時折唸りにも聞こえる。しかしそれは優しく僕たち魚を包み込む。遠くの水面が明かりを受けて揺らいでいる。影は離れていき、巨大な尾びれだけが白くぼんやりと見える。大きく動くそれもやがて離れ、小さくなっていく。去っていく後ろ姿は少し悲しく感じる。すると遠くの鯨は身体を90度傾ける。水面から差す明かりを呑み込んだ白い腹と幾つもの線がとても神秘的に見える。そして静かに鰭を振るような動きをして、身体を元に戻す。高い音が暗い水中に明るく響き渡る。その声も徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなる。水の弾ける音だけが静かに残る。

そうして気づけば起きる時間になっている。

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