つまらない私が誓ったこと
妻と二人でバラエティ番組を観ていたら人気占い師が登場した。その占い師は選挙の結果を当てたこともあるほど、よく当たるで有名らしい。女性出演者も演出なのかもしれないが、キラキラした目になって番組を盛り上げる。
そんななか、一ミリもテンションが上がらないぼくは「いやいや、何を当てたかよりどのくらいの確率で当てるほうが大事だろ!選挙だって1000回予想すれば一回くらい当たるわ!」と、テレビをみながらツッコんだ。
その瞬間、一瞬にして部屋の中の温度が氷点下に変わったような空気にかわり、妻の顔をみたら、まるで白黒の世界を観ているかのように冷たい目をしていた。そして、一言、「おまえ、つまんな」。
やってしまった。ぼくはいつもこうだ。おとぎ話のような夢のはなしを「理屈」というファンタジーの対義語でぶち壊してしまうのだ。
20代前半の若いころ、合コンで宝くじが1億円当たったらどうするかという話題になったときがある。よくある微笑ましい話題で場を盛り上げるにはもってこいの会話ネタだ。
でもそんななか、「宝くじに当たって大金を手にしたら、金銭感覚バグって破綻するから抱えている借金だけ返して、あとは寄付するか投資に回して質素倹約に生きたほうがいい」と、ちんちんに毛が生えたばかりのヒヨッコが世の中のすべてを知ったような口ぶりでいってしまった。
もちろんこのときも、目の前にあるアツアツの料理が急にカチカチに凍り付いたみたいに、さむーい空気になったのはいうまでもない。「そうだね」と半笑いで女性は答えてくれていたが、それから連絡先は交換したものの既読がつくことはなかった。
このときの会話で必要だったのは「現実から目をそらした妄想」だったのだ。現実なんて翌日になれば嫌でも降りかかってくる。たったの数時間現実から逃げたっていいじゃないか。そもそも宝くじは1億円を当てるゲームではなくて、夢を膨らませて妄想を楽しむゲームであるはずだ。
今回の占いもそうだろう。これが本当に当たるなんて思っていない。半信半疑。むしろ信じていない。突きつけられる現実を励ましてもらい、ときには背中を押してもらい、勇気と希望をもらうのが占いの本質ではないのか。映画を観ているのと同じように占いもファンタジーと同じエンタメだと思う。
ときに正論をいってくれる人は大切かもしれない。だけど、正論云々ではなく、とにかく肯定して前向きにさせてくれる存在もありがたい。
ぼくは今まで前者の道を歩んできた。だけど、これからは後者の道を少しずつ歩んでいきたい。とバラエティ番組を観ながら誓った。
ちなみに占いなんて当たらないわ、といいつつ、初詣で買ったおみくじを一字一句、暗記するかのように熟読していたのは他でもない、この私だ。以上。終わり。
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