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思い込みの落とし穴

認知症の母親は、いよいよ息子の名前を忘れはじめた。名前を言うとああと気づくのでまだましかも知れない。
ごはん食べ終わると、忘れてしまうというより、一口食べると、その食べていること自体を忘れ、目の前に見えるものに手を出す。 
しかし、最近、同じことの繰り返して聞くスパンが早くなったので、まったく自分の行動がわからない感じだ。

いろんな会話をしているので、ある程度その瞬間は、理解していると思っていたが、実際は、僕も思い込みで聞いていたのである。

認知症の母親は、良く自分が言った後、話をしていると、誰がと聞くことがある。話の内容は、理解しているが、自分が言ったことさえ忘れてしまっていたのだ。

最初は、わざとのように思えるくらい聞いて来たが、こちらとしては、理解しているかしてないかに視点が行ってしまっていたので噛み合わなかったのた。

認知症とかたずけてしまうとすべてがその視点になってしまう。

多種多様だが、いつも認知症であるとは、限らない。

こんな話がある。ある施設に行った時、あるおばあちゃんがいつもしゃべらすいるのが気になり声をかけた。

お話をすると、普通におしゃべりできるかただった。ただ一緒にいるまわりの人が認知症でまともに話ができる人がいなかったのでだまっていたのだった。

職員さんも思い込みでその状態で対処していたのが事実であった。

介護に限らず、コミュニケーションとして思い込みには、やはり、落とし穴がある。そんなことを今回の気付きから学ぶ今日のです。

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