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わたしとブルーナさん

先日から、1週間のお盆休みに突入しました。

しかしコロナで遠出はできないので、今年のお盆休みは「積ん読解消」を目標にしようと決意!

早速読んだ本はいくつかあるのですが、今回は(先日行った)銀座でのミッフィー展が終わったということもあって、ミッフィーおよび作者のディック・ブルーナさんについての本を読みましたので、彼について個人的な思いを馳せたいと思います。

今回読んだ本

この度、読んだ本は2冊。

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①ミッフィー展の図録

先日のミッフィー展で購入。祖父江慎さんの手掛けた装丁が本当に素晴らしいです。写真じゃ絶対に伝えられない、表紙の絶妙な質感…。ずっと撫でていたい。展示の内容のほか、絵本作家さんのインタビューなども掲載されています。

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②2010年4月の「美術手帖」

冷蔵文庫を通して連絡をくださった、大学の同じ学科の先輩がやられていた古本屋さんにて昨年(?)購入したもの。その時は買うしかない!とビビっときて購入したのですが、それ以来ずっと読めていなかったのでこの機会に読みました。

とりあえず2冊読んで、ブルーナさんとミッフィーの基礎知識はかなりついた(笑)。


ミッフィーとの出会い

私はあまり絵本や読書が好きな子どもでもなく、小さい時から絵本を読んで慣れ親しんでいた訳でもありません。子どもの頃、何を読んで育ったのかあまり覚えていない…。もちろんミッフィー(うさこちゃん)の本も読んだのかもしれませんが印象に残っていません。

そんな私がミッフィーの虜になったのは、大学2年生ぐらいの時。

きっかけは、東京オペラシティホールで開催されていた「オランダのモダンデザイン」展でした。


この展覧会は、オランダにゆかりのあるヘリット・トーマス・リートフェルトとディック・ブルーナ、そして「ADO」というおもちゃメーカーの展示だったのですが、私はこの時ブルーナさんの展示に強く惹かれてしまって。

しかもその日は、現在「うさこちゃん」の絵本の装丁を手掛けている私の大好きなデザイナー・祖父江慎さんが解説ツアーをしてくれる日だったんです。(狙って行った)

展示を見て、まずブラックベアやミッフィーの作品たちの色や構図の美しさに惚れ惚れしていたのですが、祖父江さんのチャーミングで愛溢れる楽しい解説で、一気にミッフィー(うさこちゃん)の虜になってしまったのです。

その時、祖父江さんがどんなことを言っていたのか細かいところまでは思い出せないのですが、ブラックベアは本を読みすぎて目が赤くなっちゃったこと、初期のミッフィーは耳が割れていなかったこと、作品にはブルーナカラーと呼ばれる6色しか使用していないこと、ミッフィーの顔はアイデンティティが崩壊している…なんてお話も(笑)

とにかく、ただの絵本作家ではないブルーナさんの歴史や、作品の奥深さというか不思議さをそのとき知って、大興奮したのを覚えています。

それからはもうブルーナさんの作品を見る目がガラッと変わり、帰りのミュージアムショップ含めミッフィーグッズを集めるのも楽しい日々が始まったのでした(笑)。

あの時買ったマグカップとポーチは今でもずっと気に入っていて、特におばけミッフィーの正方形ポーチは使いすぎてボロボロになってしまいました。新しいものにしたいけどこれを超えるサイズ感とデザインのものにまだ出会えていない…。あの時の思い出を毎日持ち歩いています。


なぜ私はブルーナさんが好きか

ミッフィーやブルーナさんの魅力に気づいてから数年。

その間にも、NHKでやっていたオランダのミッフィー旅の番組を見て猛烈にオランダに行きたくなったり、ブルーナさんが亡くなってしまったり…。

ずっとポーチやマグカップは使っていたし、なんとなく日常にブルーナさんの作品は存在していました。

また、美大で過ごすうちに自分の興味や好きなものの傾向もわかってきて、その中にドンピシャでブルーナさんの存在はありました。

そして改めてブルーナさんについて考えるきっかけになったのが、先日行ったミッフィー展。

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ミッフィーの生誕65周年を記念して開催されたこの展覧会では、ブルーナさんの生い立ちやデザイナーとしての仕事、そしてミッフィーというキャラクターを通して、子どもにも大人にも大切なメッセージを残してくれるようなブルーナさんのやさしさやこだわりがたくさん詰まっていました。

また、当時の日本の出版社や翻訳者、絵本作家の方々がオランダでのミッフィーの絵本の発売からいちはやく目をつけ、約1年で日本での発売に至った経緯なども知ることができました。ブルーナさんが日本を好きだったことも。

展示からしばらく経ち、やっとゆっくりする時間ができたので、オランダのモダンデザイン展やミッフィー展を思い出しながら、図録や美術手帖を読んだのが今日。

そのとき、私がなぜかブルーナさんに惹かれる理由が浮かび上がってきた感覚があったので、ここに記録しておこうと思います。


①デザイナーとしてのブルーナさん

ブルーナさんは、「ブルーナ社」という出版社の家に生まれました。のちにブルーナ社の本の装丁デザインを手がけるようになり、ここで100本ノックのようにデザインの感覚を研ぎ澄ませていったのだと思います。

ここでのデザインは既に、限られた色や切り絵のようなハッキリとしたシルエットを使うことでシンプルかつ可愛らしくて目に留まるものでした。

読書をしすぎて目が赤くなってしまった「ブラック・ベア」もその時に生まれ、瞬く間に人気となり、さまざまなキャンペーンに活用されたそうです。

(これは私が買ったブラックベアのコップ)

それから結婚をして息子が生まれると絵本の制作を始めるそうなのですが、人に訴求するためデザインの経験が前提にあったからこそ、絵本のサイズを子供が持ちやすい正方形にしたこと、極限まで線をシンプルにして色彩を限定すること、文章のリズムまで徹底して考えることなど、今日の唯一無二のスタイルが確立されたのだなと思います。

私は大学の時にオランダのモダンデザイン展に行くまでは、ブルーナさんのことを「ミッフィーの絵本を作った人」としか認識していなかったので、それまでデザイナーとして活動していたことが衝撃でもあり、とても納得しました。

同時に、私の尊敬するデザイナーさんに出会えた!という嬉しさが込み上げてきて、その日からミッフィーを見かけるたびに、デザイナーとしてのブルーナさんを考えるようになりました。

私はブルーナさんの、シンプルなのに不思議とあたたかい表現にとても惹かれます。それがものすごく美しいと思います。

ブルーナさんのようなデザイナーにはなれないけれど、そういった視点は持ち続けていたいし、自分もなんらかの形で表現できたらいいなと思っています。


②おおらかさとあたたかさ

「ミッフィー」と「うさこちゃん」は同じなの?

という疑問がずっと私の中にあったのですが、これも最近解決しました。ミッフィーとうさこちゃんは同一人物です(笑)。

そもそも、オランダで生まれたミッフィーの本当の名前は「nijintje(ナインチェ)」。

これが英語版に訳されたのが「miffy(ミッフィー)」で、日本語版に訳されたのが「うさこちゃん」ということでした。

のちに、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3カ国)では「nijintje」、日本を含むそれ以外の国では「miffy」をつかう、という方針を打ち出しているそうなのですが、それが決まるより前に日本では既に絵本の「うさこちゃん」としてのミッフィーが浸透していたので、どちらの名前も私たちに馴染みがあるということです。

ひとつのキャラクターに、世界によって3つも名前があることを許してくれるブルーナさんの心の広さというか、経営には口を出さず(信頼する人に任せて)自分の制作に専念している姿がかっこいいなとも思います。表現は変わっても、伝えたいことがきちんと伝わればそれでいい、と、いうような。

ちなみにディック・ブルーナの「dick」は、オランダ語で「太っちょ」という意味らしく、自分で太っちょのブルーナさんだよ、と名乗っているのも可愛いです。音の響きも(笑)。

また、美術手帖のなかで、

21世紀に入っても争いが耐えることのない社会状況が続く。こうした状況ブルーナはどのように考えているのか。クリエイターとして何かできることがあるのかと言う質問に対し「もちろん、いつも楽しいデザインができるとは限りませんが、私が常に努力しているのは、ヒューマニティーと、そしてもしできることならあたたかさを感じられるデザインをすることです」と答えた。(p56)

という言葉がありました。

ヒューマニティー(人間らしさ)とあたたかさ。

まさに私も、このどうしようもないけど美しくておもしろい人間らしさやあたたかさ、やさしさ、楽しさを大事にしていきたいなと思っているので、このメッセージは深く自分の胸に刻もうと思いました。

コロナもそうだし、耳を塞ぎたくなるニュースが多いこの世の中。広い心をもって、ブルーナさんならどんなメッセージを発信するんだろう、と考えているし、自分なりの答えを見つけたいです。


③考える余白を残すこと、あたりまえを描くこと

これはブルーナさんがデザイナーであることから言えることなのかもしれないのですが、「子どもを子ども扱いしない」ところが彼の絵本の魅力だと思います。

ミッフィーの目は、本の向こうの読者の目を見ています。二つの黒い目と口元の「×」だけのミッフィー。なにを考えているのか、うれしいのか、楽しいのか、悲しいのか、子どもはもちろん、大人までも想像させる余白を持っています。

この点もまた、美術手帖のなかで日本画家・町田久美さんがミッフィーにまつわるインタビューのなかでお話しされています。

(中略)子供向け製品を与えられると、子供としてあるべき正しい反応を期待されているようで、素直に受け取れなかったと言う。パステルカラーを基調とした日本製のキャラクターにも馴染めず、それらと比べても、原色が美しいブルーナの絵本が好きだった。ただし、抑制された表情や動きなど、その本当の魅力がわかったのは大人になってからだと言う。「(中略)ミッフィーと言う存在も、自立した個として描かれていながら、どの国のどんな子のなかにいてもしっくりくるような空気を持っています。」(p78)

私も大人になってからミッフィーの魅力に気付いた理由は、まさにこれだ!と思いました。

自立した個人でありながら、どんな人でも当てはまるような。それは性別も変えるかもしれません。設定上は女の子だけど、それもあとから決まったことだし、女の子だからといって「らしさ」を強調しているわけでもない。

また、ブルーナさんを日本に紹介した名編集者・松居直さんのインタビューでも、彼の作品について、こう語っています。

「(中略)特に線が印象的でした。図案的なものではなく、子供に語りかけるような線なんです。実際にアトリエで、ブルーナさんの仕事の様子を見せてもらったことがありますが、一筆一筆心を込めて、丁寧に描いている。入魂と言う言葉がぴったりでした。子どもはブルーナさんの絵をしっかりと受け止めていると思いますよ。子どもは絵を読んでいます。なぜなら、絵は全部言葉だから。大人は絵を見るだけだけど、絵を読まなければ、絵本を半分も理解できないのです。」(p90)

正方形の本を開くと、左のページにはお話が、右のページにはっきりとした黒の中にあたたかみが宿る輪郭とやさしい原色の6色が組み合わさった絵。

常にミッフィーがどんな体勢でもこちらを向いて目が合うのは、絵を通して子どもと対話をしているから。

そこに、「あなたはどう思う?」「どう感じる?」といったやさしい眼差しがあって、文章だけで主張を押し付けない余白があると思います。そもそも主張なんてなくて、常に自分はどう思うか?を問うているような。

文は文、絵は絵としてみてしまいがちな大人よりも、もしかしたら絵を読む子どものほうがたくさんのことを考え、学んでいるのではないかと思いました。

またブルーナさんの絵本の中には、肌の色が違ううさぎの「にーなちゃん」や、耳に障がいをもつ「たれみみくん」が自然に登場するし、大好きなおばあちゃんの「死」を扱ったお話もあります。

美術手帖のなかでも、下記のように触れています。

(中略)ブルーナはインタビューなどでもたびたび、大きな変化よりも安定を好む、と言うことを語っている。絵本作りでも、ドラマティックな物語ではなく、自分の身の回りで起きたささいなことを丁寧に取り上げ、物語として編み込んでいく。(p47)

たくさんの人がいて、生があって、死がある。それは当たり前のことなんだよと、でも生きているうちに悲しいことも楽しいこともたくさんあるよ、このシンプルな線と色から伝えてくれます。

これは私の個人的な趣味ですが、映画などでも、大きなドラマチックな出来事がある物語よりも、日常の些細なことに目を向けてそれを大切にする作品がとても好きです。(大きな出来事があっても、日常のシーンを大切にするような作品)そこになんだか、じわじわとした人間味のある豊かさを感じられるんです。

例えば映画なら、「かもめ食堂」「セトウツミ」「人生フルーツ」「リトル・フォレスト」「海街ダイアリー」(是枝監督作品全般)

などなど。

あと、コントを含めた又吉先生の作品も大好きです。本の「火花」とか「人間」とか、大きな出来事は起こらないけど、人間の醜くて愛おしい部分が細かく描かれているというか。あと自由律俳句なんかも同じようなことを感じます。言い出したら止まらなくなっちゃうけど(笑)、お笑いってとても人間的だなぁと思います。


…こんな感じで、ざっくり3つ挙げたような自分の関心というか、軸のようになっているものが、おこがましくもブルーナさんに共感するところがあって、私はブルーナさんが大好きなのだなぁと感じたのでした。

なにかシメに書けたら良かったのですが、燃え尽きてしまったのでここで終わりにします。(精進します。。。!)

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方いましたらおつかれさまでした(笑)。ありがとうございました。


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