見出し画像

【短編小説】 ジェフリー・アーチャー

当日はよろしくお願いします、という形式的な挨拶文とともに送られてきたのは雑居ビルの住所だった。東京都足立区……と書いてあった。そのメッセージはおおよそ1週間前くらいに送られてきた。

「こちらこそ何卒よろしくお願いします!」

と小気味良く返信したあとで、僕はひどく憂鬱な気持ちになっていた。そしてメッセージのことは忘れようとして、コーヒーを淹れて、本を読んだ。コナン・ドイルの『緋色の習作』。その文庫本を、僕は時間をかけて丁寧に読んだ。



もともと推理小説なんてものは僕の好みではなかった。いや、でも、僕が本格的に小説を読み始めたばかりの頃、僕は何冊もの推理小説を読んでいた。なかでもお気に入りだったのはジェフリー・アーチャーだ。しかし、ジェフリー・アーチャーの小説を推理小説にカテゴライズしてしまうのはなんだかしっくりこないし、もったいないような気もする。アーチャーの小説は、確かにサスペンスではあるが、つねに人間のエモーショナルな部分が引き金になっていたし、心情描写——筆者の観察眼——もまた素晴らしかった。それで僕はいわゆる純文学と評されるものを中心的に読むようになっていった。僕は、人間の極めて人間的な部分に深い関心を覚えていた。人間の極めて人間的な部分はふだんの日常生活ではひた隠されている。それはズボンとパンツの下にしまわれている性器のようなものだ。と僕は思った。もっと言えば、薄くてやわらかな包皮のなかに格納されている陰茎のようなものだ。陰茎がなにかの拍子に膨らみ、包皮のなかに収まりきらなくなってそのグロテスクな姿形を露わにするみたいに、人間のエモーショナルば部分——人間の極めて人間的な部分——もまた、唐突に姿を現す。アーチャーの小説では、だいたいそれが引き金になって事件が起こる。


関連記事

❶ なぜなら僕はクラシック音楽に関する専門的なボキャブラリーの一切を持ちあわせていない.クラシック音楽史的な年表も頭のなかにインプットされていない.それでもクラシックが好きだと本当に言えるのか?

❷ 目的が邪魔だ

❸ 小説のようなものを書きたい時期と,エッセーのようなものを書きたい時期は,交互にやってくる


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。