自分のなかの揺るがない価値と正解 #振り返りnote 7月29日〜8月4日
毎週土曜日恒例の #振り返りnote の企画です。今週は、7月29日〜8月4日のあいだに投稿した過去記事をまとめました。
ちょうど1〜4年前の今の時期に自分がなにを考えて、なにを行動していたのか。そんなことを振り返るための時間が少しくらいあってもいいと思う。
2019年7月29日 明るく生きようとしなくても、明るく息することのできる日
演劇をしている僕は明るくない。2019年の時点では、「とりあえず大きな声を出すようにしている。できるだけよく笑って、よく喜んで、よくはしゃぐ。あとはあんまり細かいことでいちいち怒らないようにしている。すると、なんだか楽しくなってくる。“脳内麻薬”が分泌される」と書いている。けれど、これはわりに危険なことだ。楽しくなり過ぎて自分や相手が見えなくなってしまうことがあるからだ。
演出家は、俳優やスタッフよりも大きな決定権を有している(ことが多い)。そのため、自分の権力を自覚して行動する必要がある。僕が冷静であるようにと努めるようになったのは『明るく生きようとしなくても』を書いてから数年が経ってからだ。
2019年の時点では、たぶん、まだ学生の延長線上で演劇をしていた。でも、そのような意識も段々と抜け落ちていって、芸術をするのか、職業とするのかと右往左往して悩んだ。芸術をすることを選んでみたものの、次には、芸術とはなにか、芸術の方法について悩むことになる。
創作は自分のためにしなければ意味がないし、自分のためにつくるからこそ芸術になるのだと思う(芸術は、芸術をつくろうとしてつくるものではなく、純粋に自分のためにつくるから結果的にそれが芸術になるのだ)。
と、今、僕は考えている。逆に、職業にするということは、自分のためにしない創作を突き詰めることだと思っている。
自分のためにしない創作はなんのため?……お金のため、地位のため、それも悪いことではないかもしれないが、その道を進むのにはそれ相応の覚悟がいる。
2023年7月30日 語り部の感情や考えが,ほかのキャラクターに伝播し,またそれが観客に伝播されるような演技,演出の方法を創出したい! ver. 2 #演劇note
以前に[ver. 1]として投稿していた記事をリライトしたもの。リライトとはいっても、前半はほとんど変わりなく、後半に新たに文章をつけ加えた。この方法は、書き手が文章を整理して磨きをかけていくうえでは、とてもいいのだが、読み手にとってはあまりよろしくないのかもしれない(むろん、文章がどのように推敲されていくのかに注目する玄人なら面白がれるかもしれないけれども)。読み手はきっとまた同じ記事か、と思ってしまうんじゃないかな。どうだろう?
2019年7月31日 変化しようとしている自分へのエール
2019年。料理に関することを書いているnoteが多いのは、僕がこの頃に主夫のようなことをしていたからだと思う。掃除、洗濯をして、料理をつくった。朝食、夕食、それから家人のお弁当も。至らないことが多かったとは思うけれど、主夫/主婦業はあきらめが肝心なのだということも悟った。凝り過ぎるとキリがないし、散らかす家族に対してまったく優しくなれないようになってしまう。
あきらめが肝心、とは人が集団のうちに属するとき、全般に言えることではないか。とも思う。のだがどうだろう。自分の意見や価値観を持つことは、言うまでもなくたいせつなことであるかもしれない。でも、それを凝り固めた状態で集団のなかで生き続けることは自分にとっても他者にとっても多大なストレスを感じることになると思う。だからこそあきらめが肝心なのだ。まぁいいや。そんな気持ちでいられることもある種の技術です。
2023年8月1日 限られた時間の中で,だからこそ感じられる「短さ」
僕は祭が好きだから、たぶん演劇をやっているのだと思う。祭が好きだから居酒屋で働いているんだと思う。酒の席は祭を演出する。だから好きなのだ。
酒は、人を隔てない。平たくする。酒宴に交われば自己も他者もない、無礼講だ。そんな雰囲気がとてもつもなく好きだ。少なくとも、僕が勤務している小店には、そのような雰囲気が年中ある。客の会話に混じらせてもらうことも頻繁にあり、それがとても楽しい。
演劇が、酒の代わりにならないかと最近よく考える。音楽は酒の代わりになることがある。酒のあてになることもある。音楽と酒の相性はとてもいい。ジャズであっても、クラシックであっても。
映画もまた好ましいのだが、音楽よりは好ましくない。というのも、音楽は会話しながら聴くことができるが、映画は会話しながら観ることはやや難しい。
同様の理由で、演劇が酒の代わり、あてになることは難しいと言える。しかし、それは近代以降の劇場の様式が定めた映画・演劇の観かたに則って考えているためとも言える。
つまり、近代以前の様式——劇場という概念ができるまえの芝居の方法——へ返ればいいのだ。
僕は、演劇や映画がもっとカジュアルに観れて、フランクに論ぜられる(お喋りできる)場をあと数年でつくるつもりだ。今、その構想を、わりに真剣に頭のなかで練っている。
とくに、演劇の作り手ではなくて、演劇を1度か2度くらいしか観たことがない人と話をして、どんなふうにしたら演劇を観てみたいと思えるかどうかを、一緒に考えてもらっている。
2021年8月2日 7月のふりかえり記事《なにを考え,なにを想う》
2021年は週ごと/月ごとに、その週/月に書いた記事を振り返ってまとめていた。この形式をとることに自分なりに意味を見出すことができず、現在のかたち(同時期に投稿された1年以上前のnoteについて振り返る)に落ち着いている。
2019年8月3日 ビートルズが服屋にあたえる力
「部屋を掃除するときには決まってビートルズをかけることにしているんだ」と古い友人は言っていた。僕はその友人のことが大好きだった。センスも。見た目も。ものの考えかたも。僕たちは共鳴しあっていた。
最後に会ったのは……いつだっただろう。明確には憶えていない。記録をさかのぼれば判るのだけど、わざわざそこまですることもないかなと思う。とにかくコロナ前だった。
コロナ中には、なにか用件があって僕のほうから一度連絡をした。コロナが落ち着いたらまた飲みに行こう、と言って以来。たぶん僕のほうから声を掛けなければ、飲みに行くきっかけが生まれないんじゃないかと思う。
ほとんどの友情はそうやって終わっていく。しばらく連絡をとっていないことにも気づかないまま、自然に終わっていく。終わったことにも気づけない友情が、これまでにいくつあったのだろう? と考えるとぞっとする。
LINEの友達を見返して、誰だかもわからない人が何人もいてため息をつく。
そのたびに友情とはなんだろう? かりそめのものなのだろうか? と深く考えることになる。
人脈とは違う、純粋な友情。そういうものに絶えず憧れている。
2019年8月4日 創作をする人は自分の正解をつくっておいたほうがいい
他人からの感想に一喜一憂すると消耗してしまう。喜びのための行為はかならずそれと同等の量の憂いを連れてくる。憂うことは決して悪いことではないし、憂いのエネルギーが創作の意欲を掻き立ててくれることもある。そして憂いが原動力となって喜びを連れてきてくれることもある。大切なのは、価値基準を他人に設定しないということだ。自分のなかに揺るがない価値、正解をつくっておく。
振り返りnoteのアーカイブ
時代は忙しないが, 自分は自分のペースで生きる. #振り返りnote 7月22日〜28日
画家が自画像を描くように. 作家が自分自身をモデルにした物語を書くこともある. しかし, そのような稼業は決して長続きしないことを文学史は証明している. その先にあるのは破滅か. 消失か #振り返りnote 7月15日〜21日
生きる喜びの隣にはいつも気心知れた仲間がいる #振り返りnote 7月8日〜14日
人と会って話す時間が大半を占めている時期には小説を書くことができない,代わりにエッセーのアイデアが絶え間なく浮かんでくる,言語モードが“社会的”に設定されるからだ.小説を書くためには言語モードを“非社会的”にしないといけない,部屋に閉じこもって,スマートフォンやインターネットからも遠ざかる,“非社会的”な時間 #振り返りnote 7月1日〜7月7日
迎合すべきところは迎合すべきだとして、迎合しきれない点があれば自分を貫いてみてもいいんじゃないか #振り返りnote 6月24日〜6月30日
勝負には勝たないといけない,勝つと勝たないのとでは話が全然違ってきてしまうから #振り返りnote 6月17日〜6月23日
「美しい言葉」っていうのはなにも「伝統の中にある言葉」のことだけをさすのではない,僕の中にある言葉の採用基準は:その言葉が持っている普遍性——つまり.時代や国境,価値観,の違いを越えても通じやすいかどうか #振り返りnote 6月10日〜6月16日
めぼしいアイデアはいつも偶然生まれる。偶然生まれたそれを取り逃さないようにすることが大切なのだが、もっとも大切なのはその偶然——1000分の1の確率を、10分の1にまで押し上げることだ。 #振り返りnote 6月3日〜6月9日
もっと現実に向き合わないといけないなと思う。だからフィクションの言葉だけではなく、リアルな言葉で日々を綴っていく。日記やエッセーの言葉は過去の自分からの指令みたいなものだ #振り返りnote 5月27日〜6月2日
「AかBか」で決めなくていい.「AもBも」でいい #振り返りnote 5月20日〜5月26日
読みやすい文章はAIが脅威のスピードで生成してくれるのだから.人間の僕はとにかく読み応えのある文章を書いていこう(しかし,文体を重たくすることと,文章を難解なものにしていくことは同義ではない,) #振り返りnote5月13日〜5月19日
傾向として,愉しかった経験よりも,愉しくなかった経験を書いて残すことが多い.愉しかった経験について書くときよりも,愉しくなかった経験を書くときのほうが,筆がのるのはどうしてだろう? #振り返りnote 5月6日〜5月12日
大切なのは「しゃべるように書く」ことではなくて「書くようにしゃべる」こと.ひさしぶりに尾川正二『文章のかたちとこころ』を読んでみよう. #振り返りnote 4月29日〜5月5日
【急募!】 僕の脳波を測定してくださる方 #振り返りnote 4月22日〜28日
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。