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老人との生活


三日目の朝は明け方から雨が降り続く、冷たい気候だった。

もう少し眠りたいと思ったが、毎朝のように階下から聞こえてくるレコードの音と、コーヒーのかおりで否応なく目覚めた。

布団をかぶって抵抗しようにも、聴覚と嗅覚が絶え間なく刺激され続けるこの状況ではただただ虚しかった。



その日はどこに行く気にもならずに、家のなかで過ごした。買い置きしていた食材で簡単な料理をつくった。まずカレイの表面に軽く焼き色がつくくらいまで焼いて、さまざまな調味料を上から振りかけた。

「えらいいいにおいがしますなぁ」と、においを嗅ぎつけた老人が私のもとに寄ってきた。

とうがらしベースの出汁にひたしてしばらくのあいだ煮た。私はそのまま台所で本を読み、老人は居間でテレビを見ていた。

この宿は、私にとってそれほど居心地のいい宿とは言えない。部屋が別々であるにせよ、誰かと一緒に暮らすためにはそれ相応に気は遣う。



老人はとても静かに毎日を過ごす。毎朝同じ時間に起きて、レコードを聴き、コーヒーを淹れる。人懐っこく、積極的に私に話しかけようとする。たぶん話し相手を求めているのだろう。一方で、私は老人と話をすることに苦痛を感じていた。

老人に害はない。かれはひじょうに静かな口調で喋るし、こちらの様子も窺いながら話してくれるので、むこうの話の長さにうんざりしたことは一度もない。それに加えて清潔感もあり、老いた者に特有の、独特の体臭や口臭とは無縁だった。


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