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あなたが違うんじゃなくて、みんな違う



言われて嬉しい褒め言葉は??と聞かれれば、「面白い」だと答えます。

面白いを辞書で引いてみると、

興味をそそられて、心が惹かれるさま。

と、いちばんに書いてあります。(weblio辞書)

そうです。私の思う面白いは滑稽とは異なります。私はあいにくギャグやモノマネような技のある面白さは持ち合わせていないのですが、人間的に面白いとか、発想が面白いとか、話していて面白いと言われることが、いちばん嬉しいのです。


先日職場の人から、好きな人には可愛いって言われたいでしょ?と聞かれましたが、、やはり私は「面白い」がいいなあ。可愛いと思ってもらえるのは、面白いと思ってくれたその後でいい。後がいい。

好きな人に限らず、私の存在、考え、発言、行動で、周りの人たちが笑ってくれるってすごく幸せなことだなーって思います。

でも私は面白いという評価を求めていながらも、私の中での、面白いの基準って何かなあ?と考えていました。


先日、セクシュアリティについて診断できるサイト、anone診断を友人に紹介しました。

LGBTQ+の+の中には色々あるみたいでね…と伝えると、全然知らなかった!とその友人は驚いていました。私はこの診断で、自分の考え方や感じ方にデミセクシュアルという名前がついていることを知ったんだと話すと、なるほどねぇと頷き、彼女も診断をやってみると言っていました。

「私の知らないことを知っていていつも刺激をもらえるから、話していて面白い。」と、彼女から言われました。しかし、私の知っている世界はほんの小さな一部分に過ぎません。興味が偏っているので自分の視野が偏っていることも重々承知です。

それでもこれまで迷いながら歩いてきた道の上で出逢った景色や人、そして経験が、現在の私の一部になっているんだと思います。それを含めて面白いと感じてもらえるなら、やはり無駄なことなんてないと思えるし、失敗だって大抵のことはネタにしちゃえば、みんなに笑ってもらって思い出になります。

だから、面白いと思ってもらえる人で在り続ける為には、たとえ1ミリずつでも、自分の生きる世界を広げていきたいと思っているんです。生きている限り、ずっと。

新しい環境に身を置くこと、新しいことを始めること、新しい価値観に出会ってアップデートすること。古いものを知ることだってそう。何歳になっても、それらを躊躇うことはしたくないんです。


デミセクシュアルの話は、誰にでもするわけではありません。今ではたわいな恋愛話も誰とでもするわけではないので、仲の良い人とそういう話になった時に伝えます。

診断をしたばかりの時はそれがマイノリティなものだと分かっていたので、「私は少し違うみたい」と考えていました。

けれど、そう考えてしまうと、私は私の友人のことも「あなたは少し違うみたい」と言ってしまえる。それは違うなと思いました。

私が違うとか、あなたが違うとかではなくて、
みんな違う。

うん、これがいちばんしっくりきます。
そもそもみんな違うことが当たり前。だから、誰もが自分のセクシュアリティのことを話す時に「カミングアウトする」という概念がなくなればいいなと思っています。

それはもちろんセクシャリティに限らず、すべてのことに関して。育った環境や慣れ親しんだ文化、信じているヒーロー、描く未来は、其々です。

その違いが、新しい価値観や考え方、気づきを与えてくれる。だから、何かを知ることは面白いではないのかと思います。友人が私に伝えてくれたように、ある種の刺激であり、学びでもあります。誰かの考えや生き方が自分と違ったのなら、それは新しい出逢いです。

一緒や同じは楽しいし、安心です。それもまた素敵で、時には必要なものです。実際に私もnoteで同じ気持ちの人がいるんだと分かって嬉しかったこともあります。でも、違うからこそ面白い。その違いこそが、尊重し合えるもの。もしもその違いを簡単に嘲笑う人がいたのなら、それは面白くない人なのかもしれません。

とはいえ、私の知識もかなり偏っています。自分をアップデート出来るように、これからもっと見聞を広げて、たくさんの違いを知って、これまで踏み込んで来なかったような分野のことを知っていきたい。というのが、来年の抽象的な目標です。


じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^