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GARO ARCHIVES スタートにあたって

◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta

 ときどき、ふとした折に、そのアルバムを初めて耳にすることになったときのことを、想い出すことがあります。後追いの世代ながら、1960 年代や、1970 年代の音楽たちに惹かれていたぼくにとって、その出会いはいつもの通り、中古レコード店の店先で、でした。
 
 10 代の頃、蒼く、幻想的な写真のジャケットに魅かれ、ふと手にとった、『GARO』とシンプルに題されたアルバム。1971 年にリリースされた、全曲メンバーのオリジナルからなるこの LP に初めて針を落とした、あの日の感覚は、いまでも、忘れられません。

『GARO』(1971)
Sony Music Labels Inc. Legacy Plus

 まるで、心の中に風が飛び込んできたようでした。サウンドはアコースティック・ギターがメインでしたが、凛とした、洗練されたそのアンサンブルには、いわゆる“フォーク”とは明らかに趣きを異にする響きがありました。それは、アメリカのグループ〈クロスビー、スティルス&ナッシュ(CS&N)〉からの強い影響のもとにあるものでしたが、堀内護/マーク、日高富明/トミー、大野真澄/ボーカル――、という 3 人のメンバーが織りなした、まるで化学反応のように眩いハーモニーは、彼らの音楽を“ただそれだけ”の存在には終わらせていませんでした。そして、なんといってもメンバーの紡ぎ出した楽曲には、それまでの日本にはほとんど見当たらなかったであろう、カラフルな感覚を纏った“鮮やかなポップさ”が、端々にほとばしっていました。単にポップというだけでなく、蒼く、ザラっとした、どこかロックなマインドが、その奥には根差しているようにも思えました。

――レコード針が盤の内周を辿り、アームが上がる頃には、とにかく、心は新鮮な気持ちでいっぱいだったのです。

 洋楽的なフィーリングでは群れを抜いたギター・プレイとハーモニーにあふれた『GARO』でデビューし、75 年に解散するまでにオリジナル・アルバム 7 枚とライヴ盤 1 枚、シングル 12 枚を残した、ガロ。
 
 自らのオリジナル楽曲を携え、CS&N を規範に出発した彼らの音楽は、やがて村井邦彦、ミッキー・カーチスといったプロデューサーとの邂逅――ガロは村井、ミッキーらが設立した《マッシュルーム・レコード》の所属アーティストであり、また荒井由実や赤い鳥と同様、やはり村井が興した《アルファ》が原盤制作を手掛けた初期の代表アーティストのひとつでもありました――や、グループ活動中盤での期せずしての“オーヴァーグラウンド”での商業的な成功、3 人それぞれの持つ異なった個性とも相俟って、今日ではソフトロックとも、シティ・ミュージックの源流とも評されるファッショナブルなポップスから、時に心躍る明快なパワーポップ、あるいはプログレッシヴでファンタジックなロック・サウンドまで、作品を重ねるごとに“プリズム”のように、様々な顔を見せて行くことになります。

『GARO 2』(1972)
Sony Music Labels Inc. Legacy Plus

 “期せずして”――、つまり、紆余曲折のあったガロの歴史において、その作品作りは、必ずしもメンバーの意に叶うものばかりではなかったのだ、とも言われます。また、時にファンにとっても、ふり幅の広い展開へは戸惑いがあったのだ、とも。それゆえ、中盤以降の彼らの“成功”へのシビアな視線や、ガロと言えば、やはりファースト・アルバムの CS&N サウンド――。そんなこだわりの声も、根強く聞こえてきます。
 
 もちろん、ぼく自身もファースト・アルバムでの彼らの音楽に、大きく心を動かされた一人です。でも、一方で私見ではありますが、こんな風にも考えたりします。
 
 たしかに、ガロの音楽は様々な側面があります。そしていくつかの、世によく知られている彼らの歌った曲が、グループの当初目指した“本筋”ではなかったことも、たしかなことなのでしょう。大きなヒット曲というのは、アーティストにとってかけがえのない財産ですが、人の好みは十人十色の喩えの通り、彼らの残した録音の、そのすべてが万人にとって成功作と感じられるものではなくても、仕方のないことかもしれません。
 
 しかし、そもそも、スタート地点で立ち止まり、“なんら変化して行かない”グループはない、とも、個人的には、思うのです。
 
 ガロとは、少なくともそのスタート地点において、1970年代の日本の音楽の流れのなかに新鮮な感覚を、先駆けて持ち込んだアーティストのひとつだったのではないか――、ぼくは、そんな風に思っています。CS&N譲りのギター・テクニックのたしかさのみならず、メジャー・セブンスのメロディに代表される“洗練”、透明感と彩に満ちたハーモニーなど、そこには次世代へと連なる、新しい“ポップな感覚”の芽吹きが、たしかに感じ取れました。

 少なくとも個人的には、ファースト・アルバムの冒頭を飾った「一人で行くさ」というオリジナル・ソングでの、あの3人のみずみずしい歌声を耳にする度、そう思えてしまうほどの“サムシング”を、その中に見出せる気がして、なりません。
 
 そして、さらに言うなら、日本のポップ・ミュージックが次第に商業的にも成長しつつあった時代、誰もがすべてにおいて手探りであったであろう時代――、オルタナティヴな態度を守ったロック、フォーク系のアーティストが多かった中において、オーヴァーグラウンドな展開へと飛び出してもみせた、貴重な“冒険者”だった、そんな風に捉えられる気もするのです。そのきっかけは、まったく思いがけないものであったにしても――。

『GARO 3』(1972)
Sony Music Labels Inc. Legacy Plus

 たとえば――、かつて、ガロのデビュー当時を少年時代の記憶に留めるあるミュージシャンの方が、ぼくにこんな風に語ってくれたことがあります。ガロの音楽は、ここから“なにかが始まる”んだな、と思わせてくれた。“新しい時代”の到来を感じさせるものだった、と。
 
 あるいは――、ガロが大衆的(エンタテインメント)な成功を収めた頃を知るある方は、テレビを通じて触れた彼らの存在は、あの時代にあってとてもカラフルで、オシャレなものに感じられた――、と想い出してくれました。
 
 これらはずいぶん前の世間話の中での発言でしたから、記述はちょっと正確ではないかもしれません。しかしこんな風に語ってくださったリアルタイム世代の方々は、少なくありませんでした。そして、そこに共通していたのは、ガロが活動を通じ発表した音楽それぞれから、それまでにない“新鮮ななにか”を感じ、受け止めていた、ということです。
 
 そんなみなさんのその表情は、それらのご自分の記憶を、当時受け止めたその新鮮さを、大切なものとされていることが伝わるものでした。
 
 ガロは洋楽への無垢なあこがれから始まりました。“そこ”から 1970 年代の日本のミュージック・シーンの真ん中に飛び出した彼らは、より大きな意味で、当時の日本の大衆音楽の中に彼ららしく、新たな“色彩”を付けて行ったんじゃないでしょうか。そして、一方で、特にアルバムにおいては、時代の様々な音楽に刺激されながら、様々なオリジナル曲にもトライし続けた、それらすべてが、きっと“ガロ”だったのです。
 
 そしてその奥底には、時を経ても容易く忘れ去ることのできない、3つの持ち味が絡み合って生まれた、ガロというグループならではの得難い個性、魅力があったと、個人的にはそう感じています。
 
 指針とすべき前例もない時代、その歩み――冒険のなかには、彼ら自身の迷いもあったかもしれません。しかし、一から十まで上手くキャリアを進められたアーティストなんて、当時を見渡せば、稀です。そんな時代にあって、彼らはその“ガロらしい魅力”で様々な楽曲に対峙し、解散までの約5年間、この国のミュージック・シーンを走り抜けた――。ぼくはそんな風に、ガロというグループの歩みを、受け止めています。

『吟遊詩人』(1975)
Sony Music Labels Inc. Legacy Plus

 音楽なんて、所詮は好き好き、ファンならば褒めるのは当たり前、と言われるかもしれません。評価するべきアーティストはほかにもいる、そんな声もあるかもしれません。

 それでも、長い時を経てなお、あの“ガロらしい魅力”は、ぼくには忘れ難く、色褪せたように思えません。自分はガロの活動した時代を肌で体感できませんでしたが、あのハーモニーを聴くと、若い彼らが生きた瞬間が、歩き過ごした街の空気が、風が、ずっとそこにあったかのように、薫る気さえします。
 
 彼らを取り巻いた喧騒からも時遠く離れたいま、彼らはもっと“ガロそのもの”として、その足跡をふり返られても良いんじゃないでしょうか。ガロは“CS&N の模倣”から始まりましたが、“それ”のみで話をおしまいにしてしまうのでは、それもまた、彼らの一側面だけを見ている、ということ。結果的に、“そこから変化して行った歩み”も含めてが、“ガロ”というグループの残したすべて、なのですから――。
 
 ガロは「学生街の喫茶店」だけではないし、ファースト・アルバムだけで語り切れるものでもありません。埋もれさせたくない楽曲が、ガロには、たしかにあります。
 
 そんなことを想いながら、この『POPTRAKS! magazine』の一環として、《GARO ARCHIVES》という、ガロの特集ページを常設することにしました。もともと2020 年の“ガロ結成 50周年”にスタート予定だったのですが、コロナ禍に端を発し、様々な事情から公開が大幅にずれ込むこととなってしまいました。ここには、ぼくが彼らを知って以降、少しずつ書き留めてきた彼らの活動データや、取材などに基づき書き下ろしたテキストなどを、随時アップロードして行くつもりです。
 
 今年、2023 年は「学生街の喫茶店」でガロがヒット・チャート一位を獲得(1973 年 2月/オリコン・チャート)してから 50 年。つまり、彼らがオーヴァーグラウンドへ飛び出してから、なんと半世紀です。
 
 もしもガロの音楽にあまり触れたことのない方がいらっしゃったなら、機会があるなら、彼らの道程を、ゆっくりと辿ってみてほしいと思います。彼らのシングルやアルバムには、“日本のポップ・ミュージック”の歴史の、忘れ難い、大切な“プロセス”、あるいは“トライアル・アンド・エラー”がつめこまれていると思うからです。そして、ヒット曲だけではない、彼らのオリジナル曲が数多くあります。
 
 後追いの身が“記録”をいくら調べまとめたところで、リアルタイムでの“体験”をなさった方々の、心の“記憶”には及ばないのでは・・・、とも思います。それでももし、このサイトで公開する一連のテキストが、ガロの音楽を識る上でのなにかの一助となったなら。書き手として、そして一ファンとして、それ以上の喜びはありません。

2023年12月 高木龍太

●筆者紹介
高木龍太=音楽著述業。1975年生。ガロに関する主な仕事としては関連各種CD(ガロ『アンソロジー1971~1977』、ガロ『GARO BOX』、マーク『マーク・ファースト「六夢」+1』、マーク『マーク・ブライト+1』)の解説等に携わったほか、雑誌インタビューなど。
2023年からウェブ・マガジン『POPTRAKS! magazine』主宰。
https://poptraks.wixsite.com/takagi-ryuta

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©POPTRAKS! magazine / 高木龍太

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