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曲を食べるか食べさせられるか

新しい曲を見つけては、スルメのようにその曲だけを再生し続ける。わたしの音楽の聴き方はスルメと同じ。あごが痛くなるまで噛んで、飲み込んだら次のスルメ。次の曲。
でもこの楽しみ方って、「自分で選んだ」楽しみ方であることが前提だったんだなと思った、大学3年の春。

かつてのバイト先はCDショップだった。併設されているカフェの横の、雑貨スペースの担当として働いていた。
その夏は某アニメとのコラボカフェをやっていて、その期間中はフロアに流れる曲が固定だった。いつもはカフェのスタッフさんが選曲したいい感じの曲が流れるフロアで、流れるアニメ曲。これが地獄だった。アニメ関連なことが地獄なんじゃない。「同じ曲である」ことを存分に味わわされたのが地獄だった。

収録曲は8曲。7曲は歌詞入り、1曲はインスト(歌詞なし)。6曲が個別歌唱、1曲が全員歌唱。ぜんぶ、ぜんぶ同じメロディ。
そう、同じメロディ!!歌い方は個性が出るけど根底は同じメロディ!!これが8種類、エンドレスで流れ続ける。シフト8時間ずっと聴き続ける。1日では当然終わらない。コラボカフェ期間ずっと。
これは堪えた。もう聴きたくない!と思いながらシフトに入る日々。今日も聴くのかと思いながらレジに立つ日々。バイト終わり、頭の中に幻聴が流れ続ける日々。

1曲を聴き続けるのって、あくまでも自分がその状況を選んでいることが大前提なんだなと思った。「聴く」と「聴かされる」はだいぶ違う。スルメを「食べる」のか「食べさせられる」のか。後者だとスルメを嫌いになりかねない。
一時はアニメごと嫌いになりかけた。別の場所で流れると、急いで耳を塞ぐためにイヤホンを取り出した。ノイローゼと恐怖。いらいらいらいら。もはやメンタル不調。

あれから5年以上経って、今はその曲を耳にすることがない。流行りってあるもんね。書きながら、今は克服してるのかなってぼんやり思った。曲を検索しようとして、それすら嫌なことに気がついた。すでに心がざわざわしている。わたしはまだ、他人に食べさせられたスルメの味を覚えていた。

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