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「生きる意味」という迷宮

誰もが一度は
自分の生きる意味のようなことを
ぼんやりと考えたことがあるはずです。

もし、生きる意味は
自分が幸せになること
という考えに行き着いたとき

幸せになるということは
生きがい」を持っていることだ
という思考になります。

すると、今度は
自分の生きがいとは、いったい何なのか
ということを、考えはじめるのです。

・無趣味
・趣味がない
・生きがいがない
・人生 楽しみ

などというキーワードの
ネット検索頻度が高いのもそのためです。

みな、生きるうえで
自分の幸せの条件が明確化されていないこと」に
不安を覚えているのです。

また、突然、生きがいと認識していたものを
失ってしまうこともあります。

それが巷で言う「〇〇ロス」です。
(※ペットロスなど)

生きがいだと思っていたものを失ったり
もしくは、それらが色あせてしまったとき
人は、また不安な気持ちになります。

それくらい「生きがい」というのは
人々にとって、重要な問題です。

そして、残酷なことに、生きがいとは
未来永劫を保証されないのに
そうでないと生きがいだと思えない
矛盾をかかえたシロモノです。

アイドルはいつか引退するし
オンラインゲームもいつか終了します。

重ねてきた時間や労力が
無に帰することに、不安を覚えます。

だから、それは本当の意味での
生きがい」にならないのです。

お金もそうです。
たくさんあれば色々なことができます。
しかし、お金を持ったその先に
生きがいが待っている保証はありません。

思考力が強ければ強いほど
こういった迷宮にまよいこんでしまうため
何かに依存してしまう人も少なくありません。

依存とは、まやかしです。

何かに依存している間は
生きがい探しのジレンマに
悩まされなくても良いからです。

自分でコントロールできないものに
身をゆだねることによって
思考の苦痛から逃れることができます。

この不安や迷いはビジネスの食糧ともなり
有名なものでフィアアピールという
古典的なマーケティング手法があります。

簡単に説明すると
このままじゃ不幸になるからこのツボを買いなさい
という手法です。

孤独死への不安をあおり
結婚相談所は市場が拡大しました。

何もできなくなることへの不安をあおり
保険業界も市場が拡大しました。

給料安すぎ?というフレーズが有名な
人材業界も市場が拡大しました。

人は、自分の人生が
自分にとっても、他人にとっても
意味のないもの」となるのが怖いからです。

生きがい」とは
途中で消えてもダメ。
依存やごまかしでもダメ。

では、根本から考え方を変えないと
手詰まりだとは思いませんか?

発想の逆転が必要です。
こう言い換えられませんか。
「生きがい」とは、手に入らないものである、と。

手に入らないからこそ儚く、尊いもの
そういうものは世界にありふれており

例えば、世界の名画だって
自宅の壁にかけておいては興ざめというものです。

手に入らない「生きがい」を求め
辿り着かない「生きる意味」を考え

苦悩し、葛藤するその姿こそ
生の象徴であり、生きた証になる。

そう思えば
自分には生きる意味がない
と、考えることは

ある意味、ポジティブなことであり
哲学のスタート地点でもあり
命の火種なんだな、と思うのです。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます✨