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#39 バスケ少女だった私🏀④


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バスケ部を離れた私は後悔していることがあります。

それは、先輩やバスケと向き合うことを最後まで逃げ続けたことです。
当時、私は既に部活を休みがちで先輩に会うことや部活に出ることがとても億劫でした。そのため自分の気持ち(部活を辞めたい)を、直接伝えることがなかなか出来ますせんでした。

放課後の時間が近づいてくると、私の心臓は騒ぎはじめます。自分でも緊張しているのがわかります。

そこで私はある手段を思い付いてしまったのです。

LINEで伝えよう

私は逃げたのです。直接伝えるということ、向き合うことから逃げたのです。
今思えば、なんてことをしたんだろうと思います。しかし、当時はこれが私にとってたった一つの逃げ道であり、救いでした。

私は、迷いなくLINEで

おつかれさまです。
突然のお話になってしまいすみません。私は、部活を辞めることにしました。
今までたくさんのことを教えてくださってありがとうございました。
本当にごめんなさい。

と送信しました。
そして、すぐに部活のグループLINEを退会しました。

そのとき、私はやっと逃げられたという安心感と本当にこれで良かったのかという猛烈な不安に襲われました。しかし、もう送ってしまったメッセージや抜けてしまったグループは元に戻せません。

私は後日、退部届を持って顧問の先生のところへ行きました。
もちろん、顧問の先生はLINEのことも知っていたので、退部届を受け取ってもらえませんでした。
もう一度、直接自分の気持ちを部活の人に伝えることが退部届を受け取ってもらう条件だと言われました。
私は、ちゃんと伝えようと思いました。

私は体育館の重い扉の前まで行きました。
中からは、ボールをダンダンつく音やダダダダダという足音、先輩の声がたくさん聞こえてきます。

重い扉を開ければいいだけでした。
しかし、重い扉はいつにも増して重く後ろめたい自分の気持ちと重なっているような感じがしました。
そして、とうとうその日は体育館に入って行くことが出来ませんでした。

その後、何度も体育館の前まで行きましたがとうとう入る方はできずに春休みを迎えました。
それからは一度も部活に顔を出していません。

退部届はどうなったかというと、年度が変わるタイミングで部活の所属もリセットされるので2年生になったときには私は帰宅部という扱いになりました。

それをいいことに私は、今まで逃げ続けたということです。

今でも先輩や顧問の先生と廊下ですれ違うときは心臓がキュッとなります。

それでも顧問の先生はふつうに接してくれるのでありがたいです。

今日は、部活を辞めた私が後悔していることについて書きました。なんだかまとまりのない文章になってしまいました…
次回でバスケ少女だった私シリーズは終わりにしたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次回もよかったら読んでください!

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