見出し画像

ワタクシ流☆絵解き館その196「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ⑤⇒「闍威弥尼と迦毘羅」

明治36年、400近い出品作があった第8回白馬会展覧会で「白馬賞」を受賞したが、今日に伝わらない青木繁の幻の受賞作品を、作品目録に載るタイトルだけを手掛かりに推測してゆこうという、労多く益の少ない試みの記事の続編。
今回は、出品目録№310「闍威弥尼と迦毘羅」を考える。
今回は一段と、難解かつ深遠。筆者にはごく浅い理解しか出来ない。インド哲学を正しく知る人からすれば笑止千万であろうことを断っておく。

■ 「闍威弥尼と迦毘羅」の読みは?

「じゃいみにとかぴら」と読む。どちらも人名。尼の字があるが、尼僧ではない。男性。「に」の音に「尼」の字を当てている。

■ 「闍威弥尼」とは?

古代インドの哲学者。男性。生没年不詳。ミーマンサー学派の創始者。
ミーマンサー学派は、このシリーズの先の回で解釈したヴェーダ(吠陀)の中の、祭式にかかわる事柄を研究、祭祀を重んじる思想。
ジャイミニは、学派の根本経典である「ミ-マンサースートラ」を書いたとされているが、ほとんどその生涯は伝説の中にある。
白馬会展出品目録№308に「闍威弥尼」というタイトルがあり、この絵が今日伝わっているアーティゾン美術館蔵の作品だ。下に示す。
出品目録№310「闍威弥尼と迦毘羅」により、もう一枚、闍威弥尼を描いていたことになる。

青木繁 「闍威弥尼」 明治36年第8回白馬会展出品 アーティゾン美術館蔵

■ 「迦毘羅」とは?

カピラ。男性。生没年不詳。釈迦以前の時代の実在の人だが、生涯は半ば伝説。インドの古典哲学者。サーンキヤ学派の開祖。
ヒンドゥー教の経典、ヴェーダの関連書物であり、ヴェーダの精髄とみなされ、そのことから奥義書とも呼ばれている「バガヴッド・ギーター」では、ヨガ行者として記述される。
※サンスクリットでギーターは「詩」、バガヴァッドは「神」の意味。
また、その容貌について、時代は後年、大正2年の刊行になるが、哲学者井上円了の「哲界一瞥」に中に、こうある。
「《迦毘羅》の名は黄赤色の義にして、その鬢髪面色ともに黄赤色なるが故なり」
この記述の原典がどこにあるかは書かれていないが、迦毘羅のイメージとしてはこれで通っていたのではないだろうか。そして、この色彩のイメージは、青木の描いた「闍威弥尼」に通じているような気がする。

では、いったいサーンキヤ学とは何か。サーンキヤとは、個別名詞という理解にとどめ踏み込まない。サーンキヤ学派の根本思想は、極めて簡単に分類すると二元論。
ここでいう二元とは、ひとつは自己の内部心臓に宿る自我、アートマン(個人我)であり、もうひとつは、すべての物と現象の外に究極普遍に存在するブラフマン(宇宙我)である。この二元からなっているという概念が二元論。

サーンキヤ学派の考え方は、ヒンドゥー教の経典で、長大な韻文詩「バガヴッド・ギーター」に記述されている。そして、この「バガヴッド・ギーター」(西暦紀元前三世紀から二世紀に成立)は、このシリーズの先の回で解釈した、目録№311「唯須羅婆拘楼須那(ユースーラセーナクルシュナ)」のクリシュナが、アルジュナという王子と対話する形式の韻文詩なのだ。

つまり、青木のクリシュナへの関心と、サーンキヤ学派開祖の哲学者カピラへの関心がここに結び付く。青木が読み込んでいたであろうヴェーダの書物のひとつに、「バガヴッド・ギーター」か、その解説書があったと思われる。
どちらへの関心が先かはわからないが、一人の人物を追っていて、別の人物への関心も芽生えて来たということだろう。

古代インド ヨーガの修行者たちの細密画
クルクシェートラのクルシュナ(※馭者の方)とアルジュナ王子 1830年頃 図はWikipediaより

■ 「闍威弥尼」と「迦毘羅」はどうつながっている?

共通点は、インド哲学の6つの大きな学派の創始者ということだ。両者が同時期にいたということはほぼないと推論されるから、想像上で両者を出会わせた構図ではなかっただろうか。
たとえば、左右に分かれて「迦毘羅」は坐像(ヨガの姿)、「闍威弥尼」は立像として、やや斜め向きの姿などを想像する。

学習の足りなさを感じる。こういう浅い推測しかできなかったのが残念。
                         
                      令和4年10月   瀬戸風   凪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?