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自分との結婚指輪を買った〜44歳、これからCHANELと生きていく

昨年末にリング100本試着を終えた私は、先日ついにとあるリングをお迎えした。少々フライングで自分の誕生日にと買った渾身の1本は、100本試着旅で見出した「リングに求める条件」には全く当てはまっていない。大方の予想通りと言うか何と言うか、最後に書いたフラグをあっさり回収した形だ。

どうしてそうなったのかお伝えするには、長い長い自分語りを挟まねばならない。先にお断りしておくと、決して気持ちの良い話ではない。特に幼少期に辛い思いをされた方には、しんどい思いをさせてしまうかもしれない。読んでみて少しでも不快な気分になったら、サクッと離脱してください。最後は普通にハッピーなお買い物報告なので、もしよかったら目次から飛んで、見届けていただけるととっても嬉しいです!(御託はええから早よ!という方もこちらからぜひ。)


アダルトチルドレンだった私

きっかけは、12月のムーンプランナーさんのスペース。

これまで、自分がアダルトチルドレン(単数だからチャイルド?)かもしれない、と思ったことはなくもない。だけどちゃんと考えてみたことはなかったし、そもそも「アダルトチルドレン」という概念自体よく知らない。だからスペースで「たとえ当事者じゃなくても知っていて損はない」というフレーズを耳にした時、じゃあ本でも読んでみるか、と思った。それでためしにこちらを買った。


…ワシ、ごりっごりの当事者やんけ。


書かれていたアダルトチルドレン(以下AC)に共通する特徴は、こんな感じ。

・自分の感情やニーズ・欲求がよくわからない
・自分を主張できない
・相手と自分の境界線が混乱している
・ありのままの自分でよいと思えない
・自分が大切な存在だと思えない

『アダルト・チャイルドが自分と向きあう本』pp.18-19

ここ数年でずいぶん改善したと実感できるものの、これはまさに昔の私。

私はてっきり、ACとはアルコール依存やDVのような大変な問題を抱えた家庭に特有のものかと思っていた。ところがどっこい、本によれば、そういったわかりやすい問題が特になく、言ってみれば「すばらしい人」の集まりだったとしても、親が親として健全な機能を果たせないことは十分にありうるというのだ。

そもそも「健康な家庭」とは、何の問題もない家庭のことではないらしい。そうではなく、起きた問題についてオープンに話し合うことができ、家族がそれぞれ自分の感情や欲求を自由に表現できて、個人の成長にともなってあり方や関係性が随時変わっていく家庭のこと。私は心の底から驚いた。そんな家、この世にあるの?

だとしたら、私が育ったのは少なくとも「健康な家庭」ではない。

私の家では、思ったことをそのまま口に出せなかった。というか、口に出してもあまり受け止めてもらえなかった。夏祭りやプールに行きたいと言えば、「忙しいから無理」とか「また今度ね」といった返しすらなく、ただ黙ってやり過ごされた。学校でいじめられてツラいとこぼせば、「しんどかったね」と寄り添われるでもなく、具体的にどうこうする話もなく、「強くなりなさい」と諭された。その他大人にとって都合の悪いことは、まるっと全部「なかったこと」にされた。

思い返せば、家庭内の「暗黙のルール」はいくつもあった。たとえば、家の中が埃だらけでぐちゃぐちゃに散らかっていることは、誰にも知られてはいけなかった。家族にそう言われたわけではなかったけれど、家の中を不用意に人に見せてはいけないと幼心に認識していたから、突然友達が遊びに来た時は居留守を使っていた。


…あれ?もしかして私の家、何か変?


そう思った瑞から、記憶の断片が少しずつ繋がり始めた。

そういえば。5歳くらいの写真の私は、ニッコリ笑った前歯が全部真っ黒だった。「あんたは味噌っ歯だったから」と親に言われた私は、てっきりそういう性質の歯なのだと思い込んでいた。だけどあれって、放置された虫歯が溶けていたってことじゃないか。乳歯が永久歯に生え変わってからは、さすがに歯医者に通ったけど。

そういえば。前にお風呂に入ったのは4日前だと小学校で言ったら、クラスメートにドン引きされた。私はなんでみんなが驚くのかわからなくてぽかんとしていた。そこそこ大きくなってからは逆に、自分がとてつもなく汚いんじゃないかと過剰に気にするようになり、毎朝シャワーを浴びては濡れた髪のまま登校していた。

これってもしかして、今の時代で言うネグレクト、ってやつじゃないだろうか。

連鎖、そして反骨

気づかせてくださったのは、仲良しの自問自答ガールズ仲間のお一人だ。

DMのやり取り中に幼少時代のエピソードをポロッと打ち明けてしまった私に、彼女は「自分は専門家ではないし、時代もきっと今とは違うけど」と前置きした上で、それはネグレクトに類する状況なのではないか、とはっきり指摘してくれた(突然の自分語りを正面から受け止めてくれた彼女には、本当に感謝している)。

だけど、最初はあまりピンと来なかった。だって、家では歯を磨かないのもお風呂に入らないのも、別に私だけじゃなかったから

母はいつも私が寝てから帰宅していたから、子供時代の私の生活習慣を取り仕切っていたのは祖母だった。大正生まれの祖母には毎日お風呂に入る習慣なんておそらくなかったし、いずれ抜ける乳歯を治療する必要なんて微塵も感じなかったのだろう(40年近く前の当時、味噌っ歯はそこまで珍しくもなかった気がする)。

実際、祖母本人もめったにお風呂に入らず、総入れ歯だった。母も似たようなもので、何なら仕事で疲れ切っている分余計にひどかった。考えてみれば、祖母に育てられた母の生活習慣が似通うのは当たり前のこと。軍人だった祖父は二人と違って綺麗好きだった気もするが、ほぼ不在だった父はこれまた不遇な家庭の出身。

この状況で、「私に対するネグレクトが家庭内にあった」などという自覚は、おそらく家族の誰にもない。もし仮に言ったとしても、全く理解されないだろう。何せ家族全員がセルフネグレクト状態。適切に自分のケアができないのがデフォルトなのだから、そもそも何がネグレクトかすら知りようがない。

ようやくそこまで理解が追いついたところで、閃いた。


もしかして私の家、私だけじゃなくて全員ACなんじゃないか。


実質的に祖母に育てられた私がACなのだとしたら、同じ人に育てられた母がACにならないはずがない。だけど祖母だって、何も子や孫を好きでACにしようと思ったわけじゃないだろう。ただ祖母はそれ以外の子育てを知らなかったーーつまり、祖母自身も同じようにACだった可能性が高い。

母は私に対する心理的な距離感が異様に近く、何の疑問も持たずにいつでも私の世界に土足で入り込んでくる。私はそれがとてつもなく嫌なのに、何度言っても母には一切伝わらず、状況も一向に改善しない。ずっと不思議でたまらなかったのだけど、母がACで「相手と自分の境界線が混乱している」のだとしたら…?

ああ、きっとそうだ。それからこの記事の最後に書いた、「母と祖父母は強い絆で結ばれていて、私一人だけぽつんと疎外されている感覚」。私はその由来を「あの家の子どもは私ではなく母だった」と捉えていたけれど、母と祖父母の自他の境界が3人揃って混乱していた、と考えるともっとしっくりくる。

ACが、世代を超えて連鎖している。私は今、いつから続くのかも知れないその連鎖の果てに生きているのだと思った。母の声が耳朶に蘇る。

「〇〇家(母の旧姓)の子や」

しなくていい苦労で泣くたびに、そう声をかけられた。器用貧乏でとんでもなく要領が悪く、果てしない努力をしている割に評価もされず、なのに努力それ自体に価値があると信じて走り続け、立ち止まることも休むこともせず、疲れ果て、決して満たされない。それがかつての私であり、母であり、祖母だ。〇〇家の人間だ。

その瞬間、激烈な感情が湧き上がってきた。


ふざけんな。そんなもん、私の代で終わらせてやる。


私はもう、そんなの嫌だ。今の私は不完全な私を愛しているし、こうして生きているだけで心の底から満足している。何を成し遂げて人にどう評価されるかなんて、私の人生にはもう意味がない。そんなことより私は私の人生に集中して、与えられた命を生き切りたい。それ以外に、この世に生を受けた意味なんてあるだろうか。

もうすぐ4歳になる娘は、最近よく「〇〇ちゃん(自分の名前)ねぇ、〇〇ちゃんのこと大好きなんだー」と屈託なく笑う。私はそのたびにしゃがんで娘に目を合わせ、「いいねぇ最高!すっごく素敵!!」と褒めちぎる。いいぞいいぞ、その調子だ。小さな彼女の大きな大きな自己肯定感、〇〇家なんかに潰されてたまるかよ。

そして、気がついた。


これ、立派な立派な反骨心じゃないの。


前にこの記事を書いた時は、私の心にはもっとささやかな反骨しかないように思えていた。いやいや、とびきりでっかくてめちゃくちゃイキのいいやついるじゃん。

ココに夢中

そうこうするうちに年始を迎え、私はぐったり疲れ果てていた。地震にまつわるあれこれで削られたのもあるけれど、普段は保育園で遊びまくっている自由闊達な娘がずっと家にいて、朝から晩までべったり一緒に毎日過ごすのが、正直めちゃくちゃしんどかった。思い切って書いてしまうが、ACの子育ては、言うて苦行だ。

私は自分の経験から、娘の要望は可能な限り叶えたいと思っている。だけど、娘の要求レベルはあっという間に右肩上がり、対する私の体力気力はダダ下がり。そして毎度思うのだ。私はこんなの許してもらえなかったのに、あんたはどうして。無性に腹が立ってやるせなくて、抑えきれず声を荒らげる。こんなのもう嫌だーー。

そんな毎日を送る中で、なぜだか脳裏にずっとチラついていた指輪がある。CHANELのココクラッシュだ。ベージュゴールドのココクラッシュを結婚指輪に重ねた試着姿が何度も甦ってきて、娘と遊びながらも頭の中では気づけばいつも、ココクラッシュのことばかり考えていた。

最初は、あまりに疲れてイライラするからストレス発散に大きな買い物がしたいだけじゃないか、と思った。だってココクラッシュは、試着旅で見極めたこの条件にほとんど当てはまらない。薬指にぴったりなクラシックでミニマルなデザインは、方向性としてはむしろ正反対だ。

・インパクトあるデザイン
・右手人差し指か中指にする前提で、ピッタリ指に密着すること
・細部へのこだわり(機能性・デザイン両方)
・ストーリー、この1本じゃなきゃダメな背景

だけど、忘れられない。100本試着旅noteを書いても、変わらなかった。

「重くてマット」が似合う私には、ツヤのあるプラチナの結婚指輪は似合わない。そう知ったのは、スギサキさんのカラーレッスンでのこと。特訓を経た私の目にもそれは十分認識できた。だけど似合わせることはできるんだよ、とスギサキさんが取り出してくれたのは、ツヤ消しゴールドのリング。結婚指輪に重ねてみると、急にプラチナの輪郭が際立って、メレダイヤがはっきりと輝き出したのに驚いた。

そうだ。あの時のココクラッシュは、まさしくこの再現だったんだ。

ココクラッシュが結婚指輪の下に入ることで、結婚指輪をより一層輝かせる。それが何だかとても象徴的に思えた。私が今築いている自分自身の家庭をより良いものにするために、自分の基盤を自分でちゃんと整える。ベースがあるから、より良い夫婦関係や親子関係を作っていける。それって、ものすごく大事なことじゃない?

そんなことを考えていた矢先、目にしたのがもとこさんのポスト。

年末からモヤモヤと考え続け、ふわふわとあちこちを漂っていた様々な想いの欠片が一つにまとまって、ぴったりの名前をつけてもらったような気がした。自分との結婚指輪。私が、私を生涯幸せにするために、私に贈るリング。考えうる最高の誕生日プレゼントだ。ココクラッシュ、これ以上ない適役じゃないか。


ついでにダメ押しで、シャネルについて知ろうと本も読んでみた。

パラパラと数ページめくっただけで、鮮やかにノックアウトされた。

何という反骨精神、何という心意気。信じられないほどの行動力に抜群のセンス。匂い立つような色気に男気溢れる言動。そして、圧倒的な生命力。アウター試着旅で初めてCHANELのツイードジャケットを羽織った時、服の持つ力に一瞬で魅了された私は、60歳でこれを着こなす女性になりたいと強く思った。あれは、ココ・シャネルという人そのものの魅力だったのか。

ココクラッシュは、「ココに夢中」という意味らしい。然り、私もすでに夢中だ。

最後の一押しは、1月のCHANEL値上げの一報だった。ついに来たか、と思った。カレンダーを見れば、値上げ前の最後の週末はもうすぐそこ。だけど私の新年最初の出社日は、それよりさらに数日前なのだった。そのタイミングなら、さすがにまだ欠品はしていないだろう。帰宅前にCHANELに立ち寄ることは、十分可能だ。

観念した。やおらスマホを手に取った私は、来店予約と取り置きをお願いした。

ついにお迎え

その日、1月10日は偶然にも、ココ・シャネルの命日だった。これも何かの巡り合わせだろうか。

ジュエリーラインだけ別仕様なんですよ、と手渡されたのは、ライオンが浮かび上がる何とも可愛らしいショッパー。獅子座生まれのシャネルにとって、ライオンは特別な意味を持つ動物らしい。潔いまでのシンプルさに際立つエレガンス、最高。

ラッピングにもロゴの類が一切なく、テープで留めてすらいない。艶やかなリボンにだけCHANELの文字が躍る。白と黒とゴールド、さすがの世界観だ。

カメリアチャームに加えてさりげなく私のイニシャルチャームがあしらわれていて、感慨も一入。

それでは、開けてみましょう。

これまで普段の私は、結婚指輪1本で暮らしていた。

この下にココクラッシュを足すと、こうなる。一気に結婚指輪が肌に馴染んで見えるのが伝わるだろうか(写真に撮るの難しい!)。間から、わずかに地肌が見えるのがお気に入りだ。

お出かけバージョン、Before CHANEL。人差し指にしているのが月の雫リング。新卒2年目に買ったタンクフランセーズは、ぼちぼち17年目を迎える相棒だ。

After CHANELがこちら。タンクフランセーズのピンクとココクラッシュのベージュゴールドが呼応して、まとまり感が出ている気がする。

つけ始めてからまだ1週間しか経っていないのが信じられないくらい、すでにぴったりと馴染んでくれているココクラッシュ。「私は私と生きていく」。どこかの広告にあったような気がするが、手元を見るたびにそんなフレーズが頭に浮かぶ。

日々好き勝手に生きていて、お世辞にも良き妻・良き母だなんて言えない私だけれど、誰よりも夫と娘のことが大切だ。スカポンタンな自分には何もできなくても、その愛を伝えることだけは忘れずにいたい。44歳の誕生日を前に、そんな決意を新たにしたのだった。




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