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反骨ってなんだ〜マルジェラとフォクシーが教えてくれた、「私にとっての反骨」とは

反骨って、なんだろう?

8月末の自問自答ファッション教室からずっと考えてきたことを、試着旅を経て少しだけ言葉にできそうな気がするので、書いてみる。ただし、これはあくまで「私にとっての反骨」の話。人には人の乳酸菌。反骨のストーリーはきっと、人の数だけ存在するのだろう。

毎度のことながら、今回も試着した服は備忘と考察のために画像を貼らせていただきました。一部を除いて公式サイトからお借りしています。


戦いとY'sと私

反骨について考え始めたきっかけは、「制服化をしてどんな気分で過ごしたいですか?」という教室での問いかけ。6月半ばに用意していた「優雅に、遊ぶように戦いたい」という自分の答えを読み上げながら(あきやさんがプリントアウトしてくださっていた)、どうにも居心地が悪くて落ち着かなかった。本当に? 私、本当に戦いたいんだっけ? っていうかそもそも誰と、あるいは何と戦うんだろう。

思い返せばこの回答を書いた少し前、私はY'sで初めての制服を手に入れていた。購入noteを読み返すと、ブチ上がったテンションのままに「私に必要なのは、いわば戦闘服だ。戦う私に寄り添って、力をくれる服が欲しい。動きやすくてシンプルで、それでいて心湧き立つ服がいい」なんて書き綴っている。

購入後しばらくは、この服を着て歩く自分が好きだ! なんてうっかりX(当時はまだTwitter)で呟いてしまうくらいには浮かれ騒いでいた。肩で風を切る、ってこういう歩き方を言うんだろうなってくらい。自分が誇らしく、出会えた運命に感謝し、相手の良さを噛み締めてニヤニヤする、まさに付き合いたてのカップル状態。

それから約3ヶ月後の教室当日も、猛暑をものともせずに長袖を捲り上げ、私は制服を着て出かけた。付き合いたての熱狂はいささか落ち着いたものの、愛はいや増すばかり。それなのに、私の中からいつの間にか「戦いたい」という言葉が消えていたことに気がついた。

この時から、私にとっての「戦い」って一体何だったんだろう、という疑問が頭を離れなくなった。モードといえば反骨、反骨といえばモード。それに共鳴したからY'sを選んだんじゃなかったのか。だけど「戦いたい」が消えたところで、やっぱりY'sはめっちゃ好き。あれ、っていうかちょっと待って。

反骨って、何?

裏テーマ:反骨を知る試着旅

おそらく簡単には解けそうにない、この問いに挑むチャンスが訪れたのが10月末。dmsさんユキノコさんなかまちさんとの試着旅に出かけたのだ。抱腹絶倒、楽しすぎた旅の様子はこちらの記事に余すところなく書き尽くされているので是非!(レッツ☆丸投げスタイル)

この日私がどうしても行きたかったのは、マルジェラフォクシー。明確に反骨「じゃない方」の服を着てみたら、逆に反骨が浮かび上がってくるんじゃないか、という魂胆だ。

マルジェラに興味を持ったのは、「脱構築だけど反骨ではない」から。映画の中に確かそんなくだりが出てきた。

前に1人でマルジェラに入ってタビブーツと5AC(どちらもど真ん中ストレートのクラシックモデル)を試着してみたら、全くピンと来なかった。その経験をなぜか消化しきれずにいる、と教室で話したら、映画を見るように薦められた。で、2本とも見た。

マルジェラはドラスティックに服の構造を解体しているけれど、そこには別にヒリヒリした必然性や社会への痛烈なメッセージがあるわけじゃない。彼はただ服を通じて世界と戯れているだけで、どちらかといえば「遊び」であり「実験」なのだ(と、私は理解した)。いや何それ。着てみたら、何かわかるのかな?

フォクシーは、「反骨の反対はコンサバ」と教室で教わり、すぐ脳裏に浮かんだ。上質で華やかで品があってキラキラしていて、私の中では良家の子女そのもののイメージ。30代で婚活沼にいた頃に存在を知り、気になりながらも恐ろしくて一度も入ることのできなかったブランドだ。

実はフォクシーは、アヅマさん・もとこさんとの試着旅でも入店候補に挙げていたのだが、ピンクハウスですっかり満たされてしまって行かずに終わった。結果的には、この日「マルジェラからのフォクシー」となったことが大きな気づきにつながったので、タイミングってあるんだなぁ、と思うなど。

マルジェラ

そんなわけでやってきたマルジェラ。のっけからこのジャケットに目を奪われる。

公式サイトで見つけられず拾い画で失礼します

これ、調べてて初めて気づいたけど、メンズ、もといジェンダーレスモデルだった(サイズがちっとばかし大きかったけど、そういうものとして着ればいいのね)。めっちゃくちゃシンプル。どちらかといえばザ ロウみたいな、クワイエットラグジュアリー寄りな端正な雰囲気。えーーーマルジェラにこんなのあるんだーーー?

この日私は薄手の黒ハイネックカットソーに制服上下を合わせており、その上からこちらを羽織ってみたら、見事に「ストン」とハマった。あまりのハマりっぷりに、着てるんだか着てないんだかちょっとわからなくなるほど。あれ、これ私最初から着てた? 一同大絶賛してくださって、「いやぁ」とニヤつきが止まらない。

くるり、と後ろを向くとひょっこり顔を出す、例のタグ。これが絶妙な存在感を放っていて、タダモノジャナイ雰囲気を演出してくれる。見る人が見ればわかる、でもわかんなくて全然構わない、自分は密かにしみじみと嬉しい、みたいな。

同じく拾い画で失礼します

これですっかり気をよくした私は、皆さんの存在を頭の片隅に置きつつも、目に留まった服を片っ端から着させてもらった。

たとえば、ペンドルトンコラボのブルゾン。

袖のシャカシャカ部は、別生地を貼り合わせているのではなく表面を剥ぎ取って裏地を見せているんだとか(!)。裏地の良さも見ていただきたいから、という店員さんの説明に目が点になる。スタンドネックがスタイリッシュかつ邪魔にならないちょうどいい高さで、ボタンを留めなくても立ち上がったままなのがさすが。しかもこれ、まさかの隠れミッキーデザイン(店員さん談)。隠れすぎやろ。

それから、コレクションピースのこちら。

写真だと全く伝わらないのだけど、実際には正面のグレー部分は穴が空いている。公式オンラインだとモデルさんがパイを直見せして着ていてなかなかのインパクト。サイドも脇下で一点だけ縫い止められている不思議な服で、ベストかと思ったら商品名が「ニットタンク」だった。なるほど。

あーそうそうそう、マルジェラってこんな感じだと思ってた! わっかるー! な服たち。デザイナー氏が「ねえねえ、こういうデザイン思いついちゃったんだけどさ、超面白くない?」なんて言ってそうな、カラリとした茶目っ気とワクワク感が伝わってくる。ちなみに、2着ともそれなりに似合っていたと思う(し、皆さんにもそう言っていただけた)。

それにしても、ジャケットとの雰囲気の差がすごい。そして、以前クラシックなタビと5ACには全くときめかなかったのに、今回着た服には全てギュンギュンに心を掴まれた。何が何だか全然わからない! と思ったのだが、お粥会でおだまきさんとお話ししてようやく気がついた。マルジェラって多分、ものすごく振り幅が広い。そして、深い。一部を見て分かった気になっちゃいけないなと思ったし、この日以来マルジェラをもっと知りたくて、ひどく興味を掻き立てられている。

フォクシー

マルジェラですっかり時間オーバーした上にドーバーでめちゃくちゃ盛り上がり、最初の試着旅プランはどこへやら(詳細はなかまちさんレポ参照)。とりあえず、フォクシーとシャネルだけは行くべ…とどうにか移動し、滑り込んだフォクシー。

「娘の七五三で着る服を探しています」という口上(七五三は本当だけど別に服は探していない)で、ブラックのフォーマル風ワンピースを数点試着。予想では、いやぁ似合いませんね! ワハハ! 退散!! となるはずだった。

が、こちらを着た瞬間、びっくり仰天。

マルジェラジャケットが「ストン」なら、フォクシーワンピースは「カチリ」。

着た瞬間、パズルのピースみたいに何かがハマった。その音で、眠っていたもう一人の自分が目を覚ました、ような。鏡の自分には何も違和感がないのだけど、あくまで別の自分、別の人格みたいな、不思議な感覚。試着室から出て大きな鏡の前に立つと、なぜかお受験面接の会場(見たことはない)が頭に浮かんでしまって、思わず指先を揃えて体の前で手を組んで、深々と一礼した。

 dmsさん「お受験ママ」
 ユキノコさん「ああ、いるいる」
 なかまちさん「小公女」
 d・ユ・私「「「ああ〜〜〜」」」

唐突に、「私にはこの人生もあったな」と思った。

親の、あるいはまたその親の価値観をインストールし、幼い頃から誠実な努力と真っ当な選択を重ね、若さ輝く年齢で良き伴侶と可愛い子に恵まれ、今度は子の代にその価値観を粛々と継承していくーーおそらく、そんな感じの人生。

そういえば子どもの頃の私は、ファミリアの服ばかり着せられていた。最近実家で昔のアルバムを見たら、3歳くらいの自分がいつもパリッとした真新しいワンピースを着ていることに気づいて慄いた。特別なお出かけの時だけではなく、部屋の中や家の近所で遊んでいる時でさえ、膝と脚丸出しのきれいなワンピース。

当時の私と同じ3歳のわが娘は、ユニクロのレギンスとお下がりのトップスで毎日泥だらけになって走り回っている。そして今私は、ファミリアの服が1着買うのも躊躇する値段なのを知っている。ありがたいと思う一方で、写真を見返すといささか奇妙な気分になる。私、毎日何をして過ごしてたんだろう。当時の記憶はない。

それはさておき、あのファミリア少女がそのまま大きくなったら、いずれはフォクシーを着るようになったのだろうか、などと夢想する。でも現実の私は、フォクシーを着ない世界線に生きている。

後日なかまちさんが「双子の姉」と書いてくださって、言い得て妙だった。何度読んでも腹筋崩壊の後日譚も是非(なお当方、残念ながらくのいちの運動神経は持ち合わせていない)。

私にとっての反骨とは

マルジェラのジャケットは、反骨ではなく「ニュートラル」だったんじゃないか、と今は思っている。意思を持った強さというより、ただそこにある美しさ、のような。でもあれが何だったのか、というか、マルジェラというブランドが一体何者なのか、分からなくて知りたくてたまらない。また行きたくて、うずうずしている。

そして、フォクシー。てっきり私は、自分にはコンサバが似合わないから反対のモードに走るしかない、という結果を予想していた。でも実際には、コンサバだってめちゃくちゃ似合っていた(ちなみに、他の皆さんもフォクシーの服はそれぞれめちゃくちゃお似合いだった)。

コンサバが着られないから、ではなく、コンサバだって着られるけれど、着ない。自分はそういう選択をしたのだ、ということか。コンサバだってモードだって、別にどっちを着たっていい。どちらが合っているとか間違っているとかではないし、それぞれにそれぞれの美しさがある。なんだか、人生に似ているような気がする。


ああ、そうか。私は、コンサバな人生を選ばなかったんだ。


親がいいと言ったレールを途中まで歩んでみたものの、何かが違う気がして少しずつ逸れ始め、いつの間にか脇道から転げ落ちていた。仕事はうまくいかず適応障害になり、長引く婚活に疲れ果て、転職しようにもどうしていいかわからなかった。だからいつだって、誰かに正解を尋ねて回っていた。

その渦中にいた私は、長らく服すらも自分で選べずにいた。フォクシーを着る勇気もなかったし(着たとしても服の力に負けていた気がする)、モードなんて知りもしなかった。だけど紆余曲折を経て、もう他の誰かに人生を委ねるのはやめよう、私は私の人生を生きようと決めたタイミングで、自問自答ファッションに出会った。そして、Y'sを知った。

反骨って、人がそれぞれに置かれた環境の中で、本来尊重されて然るべきなのに、様々な形で否定されたり踏みにじられてきた「何か」を自分の手に取り戻すこと、じゃないだろうか。その人の境遇や経験によって、何を取り戻したいかは全く異なってくる。だから、いろんな種類の反骨があるんじゃないか。

私が取り戻したかったのは、「自分の声」だ。他の誰でもない、自分自身が今この瞬間一体何を望んでいるのか、この先どうしていきたいのか。内なる自分が上げているはずの消え入りそうな小さな声を、これ以上無視するのが嫌だった。

私は最初、そのためには「自分と」戦わなければいけないと思っていた。自分に制限をかけるのはもうやめよう、自分はしょせんこの程度、なんて思い込むのはもうやめだ。そんな風に鼻息荒く拳を握っていた。

だけどきっと、そうじゃない。私がすべきなのは自分と戦うことではなく、自分を慈しんで守ることだった。そう、気がついた。

私がやりたいことも、私が好きなことも、全部自分の中にある。内なる自分はいつだってそれを教えてくれているのに、聞こうとしなかったのは私。自分らしく生きるためには、ただ耳をよく澄ませて心の声を聞けばいい。好きだという思いを一つ一つ大切に拾い上げて、誰が何と言おうとそっと抱きしめてあげればいい。

なぁんだ、そっか。戦わなくて、よかったんだ。

そんなわけで、私はやっぱりY'sを着ようと思う。「自分にはこれしか似合わないから」じゃなくて、他にも似合うものはあるけど、やっぱりこれが好きだから

世の中に他にも選択肢があると知ることは、自分の幅を広げてくれる。生きることが楽になるし、格段に楽しくなる。私は試着旅をする中で、かわいい服もコンサバな服もそれぞれいいなと思うようになったし、マルジェラの強烈な魅力にはこれからずぶずぶとハマりそうな予感がしている。

服が、生きることを教えてくれる。私は今、ファッションの世界を知ることと、それをこうして書くことが面白くてたまらない。


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