極私的、ベストミュージック

幼少期

私の父親は音楽が大好きで(とはいっても自分で演奏することはないが)、その影響をモロに受けて私も音楽好きになってしまった。
父親が聞く音楽の中から、少しずつ音楽を聴いていくうちにいわゆる流行の曲というものには疎かったというのが私の幼少期である。

幼少期のエピソードとして、物心ついたときにはラジカセをいじり、好きなCDやカセットテープを親に無許可でいいだけかけまくっていた記憶がある。
そのころよく聞いていたのは、渡辺香津美のKYLYNの1曲目に入っている「199X」や、渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」、レベッカの「RASPBERRY DREAM」などなど。
かもめが翔んだ日はカセットテープだった記憶があるが、そのほかの2曲はCDで聞いていた。これが4歳ごろの記憶である。

小学校低学年ごろ

小学生に上がり、ある程度言葉がわかるようになってくると、僕が今でも好きだなと思える音楽が出てくるようになる。
その最たる例が「山下達郎」である。
当時は全く分からなかったが、この少年時代に「山下達郎」という良質な音楽に触れたおかげで、僕は今の今まで流行の音楽にあまり乗ることもなく、ずーっと好きな音楽を追求できている気がしている。
当時、我が家にあったのは山下達郎のベスト盤「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA(1982)」
このアルバムには、名曲Sparkleが入っていないものの、Loveland IslandやRide on Timeなど、今でも色あせない珠玉の名曲がたくさん入っている。
1982年ごろと言えば、青山純(ds)、伊藤広規(bs)の鉄板リズムコンビが築かれた頃で、山下達郎の音楽が一気に変わった転換点ともいうべき時代でもあった。今でこそ珠玉の名盤だと思うが、当時はこれが当たり前で、やっぱりアイドル音楽などは全然馴染めなかった。

時を同じくして、CASIOPEAというジャズフュージョンバンドにもハマる。
今でこそ、一度解散をしてCASIOPEA 3rdとなり、キーボードが向谷実から女性のキーボード奏者に変わっているが、僕が小学生の頃はまだまだ向谷実が現役で、キレッキレの音楽を作っているころだった。
CASIOPEAブームは高校3年生のころまで続くが、その間だいたい僕のかける音楽にはCASIOPEAかT-squareかという勢いであった。
CASIOPEAも、ドラマーが神保彰・ベースが鳴瀬喜博と有数のテクニシャンで、やはりここでも無意識に良質な音楽に巡り合っていた。

小学校高学年ごろ

このころになると、勉強をしながら音楽をかけるようになった。その時にかける音楽にも変化が出てきており、何枚か父親が持っていた松任谷由実のアルバムである。
当時父親が所有していたのは「THE DANCING SUN」「スユアの波」だったと記憶している。このころは「Sunny day Holiday」や「Hello,my friend」などの定番曲を聞いていた。
少し時代が進むと「TEARS AND REASONS」が仲間入りし「恋の一時間は孤独の千年」などを勉強しながら聞いていた記憶がある。

中学生ごろ

正直、中学生頃の記憶があまりなく、当時何を聞いていたのか、当時何をしていたのかあまり判然としていない。
おそらく小学生の頃の音楽をそのまま踏襲し、山下達郎・松任谷由実・竹内まりや・CASIOPEA・T-squareなどを聞いていたと思われる。
またそのころ、邪道と言えば邪道ではあるが「スーパーベルズ」も齧っており、音楽というよりもどちらかと言えば鉄道の走行音や、それをモチーフとした音楽を聴くと言った時代だったかもしれない。
この頃は特にMDをよく使っていたと記憶している。

高校生ごろ

この頃、私は片道1時間かけて高校に通っていた。時代は進化し、ウォークマンがフラッシュメモリ化され、16GBの中にたくさんの音楽を詰め込んでいた気がする。
時を同じくして、父親のCD収集方法も変わり、リサイクルショップで100円や300円になっている格安中古CDを集めるようになってきた。
また、父親の仕事の関係で実家を離れていた中学生時代とは異なり、実家に帰ってきたことで昔から所蔵していたカセットテープやCDをそれとなく勧めてきたりするようになってきた。
その影響で当時はスムースジャズにはまっており「Stuff」や「Pat Metheny Group」など、スムースジャズならば必ず名前を聞くであろうバンドの音楽を聴いていた。
特に高校2年生ごろはその傾向が強く、父親が所有するレコードも聞くようになった。その中で「Tommy Flanagan」や「Zoot sims」「Joe sample」など、モダンジャズも齧り始める。
それに上記の音楽も組み合わせて聞いていたため、高校時代はさながら混沌を極めていた上に、流行からは完全に乗り遅れてしまっていた。このことが大学に進学した際大きな痛手になる。

大学生のころ

そんなわがままな音楽趣味をしていると、ウェーイ系文系大学に進学したときに困ることになる。当時はRADWINPSやBUMP OF CHICKENなどが流行っており、僕はその流行に全くついていけなかったためサークルのカラオケなどで困ることになる。が、それを解決しようとはあまり思わなかったのがいかにもオタクである。

そんな僕にも1度だけ春が来たことがある。それは大学1年の冬のこと、僕に最初で最後の彼女が出来た。
当然ながら彼女の聞いている音楽に影響されることになる。
彼女と聴いた音楽で一番印象的だったのは、彼女がアラームにしていた、Q;indiviのWAVES。この曲をキッカケとして、僕はハウスミュージックの世界に足を踏み入れる。
そのほか、HoobastankのReasonやマイア・ヒラサワのBoom!!などシャレオツな彼女に似合うシャレオツな音楽が身の回りにあふれていた。
そんな春は3カ月で過ぎ去り夏秋を通り越して氷河期に突入したわけだが、そんな中でも聴く音楽だけは変わらなかった。
当時、クルマも持ち始めてロングドライブのおともには、ビートが一定で四つ打ちドラムが主体のハウスミュージックが最適だった。
この間、pax japonica groove、Freetempo、DAISHI DANCEなどをはじめ、ある程度日本のハウスミュージックと言われるものはある程度さらったと思う。それくらいこの時期はハウスミュージック1本でとにかく聴きまくっていた。
結局音楽の趣味はそんなに変わらないまま、大学卒業を迎える。

社会人になってから

他人との交流が増えて、さらにいろんな音楽を聴くようになった。くるりやサカナクションなども聴き始めたし、今ならYoutube Musicなどで最新の流行曲も買わずにすぐに聞ける。
そうするとどうだろう、流行曲もそんなに悪くないと思えて来ている。
最近は、「ずっと真夜中でいいのに」「緑黄色社会」「yama」など、新進気鋭のミュージシャンの音楽も聴くようになってきた。最近はちゃんと音楽理論なども勉強したんだろうなあという音楽も多く、歌が本編で伴奏はおまけで大して聞いてないだろって言う風潮から少し脱却しているように思える。

しかしそんな中でも、やはり生き残ったのは「山下達郎」と「竹内まりや」である。今だからこそ、青山純というドラマーがいかにすごかったか、伊藤広規というベーシストがいかにすごかったかを思い知らされる。
いつ聴いても色あせない楽曲自体の魅力、そしてそれを支えるミュージシャンの実力、それを統率し、作品として仕上げる山下達郎という音楽職人がやっぱり今の時代でも通用する音楽をつくり上げているんだと実感する。

僕の音楽はあくまで聴く専門で、趣味のレベルを出るものではないが、それでもおそらく同い年の間では聴いてる音楽の量はかなり多い方であると思う。
往年のシティーポップから、ジャズフュージョン、スムースジャズ、そしてハウスミュージックと変遷し、結局やはりミュージシャンの実力が出ている音楽に帰結してくる。

今後も開拓と回顧を続けながら、この音楽趣味を続けていこうと思う。
良い音楽があったら教えてください。
ぶた。

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