ぽとす@1歳児担任保育士

とある街の保育園で保育士をしています!1年目なのでとにかく分からないことが多すぎる。 …

ぽとす@1歳児担任保育士

とある街の保育園で保育士をしています!1年目なのでとにかく分からないことが多すぎる。 国家試験で保育士になりました。 ブログ あそびぐらしもやっています。

マガジン

  • ぽとすの保育について思うこと

    毎週月曜日、現役保育士ぽとすが、日々の保育について思うことを気ままに書きます

最近の記事

保育士と大学院生という二つの生活

自分はいま、保育士としてフルタイムで働きながら、大学院生という社会人大学院生として過ごしている。 仕事と大学院生という生活をどのように過ごしているのか、簡単に書いていこうと思う。 ◯授業のある日 基本的に、授業は週に二回程度ある。その日は、仕事のあとに授業を受けることになる。 授業はだいたい18時くらいからあるのだが、職場と相談し、授業のある日は間に合うように早めのシフトにし、定時で帰るようにしている。 例えば、月曜と水曜日が授業であったら、その曜日は早番にするといった具合

    • 保育士のわたしが大学院に入学するまで

      保育士をしながら大学院に入学しました 今さらであるが、4月から大学院に入学しました。 保育士として働きながら、大学院に通う、社会人大学院生というものになります。 ここまでの道のりは、長いようなあっという間だったような気がします。 今までの道のりを軽く振り返っていこうと思います。 ◯大学院入学を決意するまで 自分は保育分野とは別の大学を卒業していて、保育の専門的な教育を受けず、保育実習も行わず、保育士試験に合格して、保育士になりました。 そのため、いつか保育の勉強を行

      • 子どもが名前を読んでくれることの嬉しさ

        子どもは、少しずつ言葉を話せるようになる。 最初は「ママ」から。そこから、「ぶーぶー」ちょっと進んで「きゅうきゅうしゃ」 自分の興味のあるものから、自分の周りの世界から、言葉を広げていく。 その子の世界にとって、保育者の自分はどのようにうつっているのかな? 顔を見つめてみるけど、そっぽを向かれてしまった。 うーん、まだまだかな。でも、遠くから自分を見つめる姿がある。 ちょっとずつかな。 そうやって、生活を一緒にしていく。 そうしてあるとき。

        • 感謝的保育生活

          「ありがとうを忘れた子は 一人では生きられません ありがとうを思い出すまで 幸せは来ない」 これは、私が好きな倉橋ヨエコさんの名曲、「感謝的生活」の冒頭のフレーズである。 私はこのフレーズに、自分の保育を重ねる。 思えば、自分の保育がうまくいっていないとき、楽しくないなと感じているときは、ありがとうを忘れているような気がするのだ。 同僚に対して。 なぜこの人は、自分の思い通りに動かないのか。 保育のリードをしているとき、そんなふうに思ってしまうことがある。 そして、

        保育士と大学院生という二つの生活

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        • ぽとすの保育について思うこと
          49本

        記事

          異動するときのお菓子

          春は出会いと別れの季節。 異動する人、異動してくる人、退職する人、入職する人。 私も今年度、新しい職場に異動になった。 そんなとき、私はお菓子を渡す。 今までお世話になった人に感謝を込めて。 最終日、メッセージを添えてお菓子をテーブルの上に置く。 なんだか色々と考えていたけど、気がつくと簡単な言葉を書いていた。 「今までお世話になりました」 誰かに会うと恥ずかしいから、誰もいない時を見計らって。 さて、新しい職場は、どんな出会いが待っているのかな。

          子どもの気持ちを整理する

          ある日の夕方の保育でのこと。 私はAくんと一緒にお母さんを部屋で待っていた。 Aくんはお部屋でブロックをして遊んでいたあと、「かくれておかあさんをまつ!」話して、お部屋で隠れてお母さんを待っていた。 そして、お母さん来る。ちょっと急いでいた様子のお母さん。私はつい、隠れていたAくんに対して、「お母さんきたよ」といってしまった。 とたんに顔が曇るAくん。「なんでいっちゃったの! Aくんが隠れているってわかるでしょ!」 泣き出すAくん。 「ごめん、隠れてるって言っちゃだめだったね

          子どもの気持ちを整理する

          保育がしんどいときにどうすればいいか

          ああ、今日の保育疲れたな、しんどいな。 保育をしているとき、そう感じることがある。 それは体調が悪かったり、仕事が終わらなかったり、理不尽に怒られたり。 そんなときの子どもへ声掛け。 「ご飯は食べなきゃいけないでしょ!」「もう2歳になったんだから!」「今はおむつ替えの時間だよ!」 言葉が命令になっている自分に気がつく。 子どもの顔を見てみる。 戸惑う顔。泣き顔。悔し顔。 はっと我に帰る。 そんなに命令になる必要があるのか。 まだ生まれて数年の子、保育園に来

          保育がしんどいときにどうすればいいか

          コミュニケーションという保育士の働き方改革

          保育士の働き方改革という言葉から、どのようなイメージをするだろうか。 業務のIT化、ノンコンタクトタイムの導入、ノー残業デーの実施、持ち帰り禁止。 保育士として働いているなら、実際にやっているという人もいるだろう。 この様々な働き方改革の方法。 一つ一つが大切であるが、そこに私は「コミュニケーション」ということを加えたい。 というか、これがなければどんな働き方改革も意味のないものになってしまうとさえ思っている。 これはどういうことか。 例えば夕方の時間。 4歳児

          コミュニケーションという保育士の働き方改革

          子どもたちと心地よさをつくるために

          お気に入りの音楽を聴いているとき、ぽかぽか陽気の中で散歩をしているとき、温かい布団でぐっすりと眠るとき、好きな紅茶を飲みながらお菓子をのんびり食べるとき、私は心地良いと感じている。 そして、これは一人のときだけとは限らない。 大切な人と過ごしたり、気の合う仲間と遊んだりすることもまた、心地よさである。 これは、子どもと一緒に過ごすときもそう。 お部屋の中でふと一人で過ごすことができる静かな場所を作ってみたり、ふかふかのラグを敷いてみたり、お庭に色とりどりの花を植えてみ

          子どもたちと心地よさをつくるために

          保育者は抱っこをするべきか

          抱っこ。 保育者のみなさんはどんな時にしているのだろうか。 子どもが不安なとき、遊んでいるとき、疲れているとき、お昼寝をするとき…… 保育の中で多くの場面で抱っこをしているだろう。 あまりに自然に行っていることのせいか、抱っこを当たり前のものと感じてる人もいるかもしれない。 しかし、私は問いたい。保育者は抱っこをするべきだろうか。 そもそも抱っこはどのような目的で行われているのだろうか。 まず挙げられるのが、情緒の安定であろう。 例えば、登園時にお母さんから離

          保育者は抱っこをするべきか

          ブラックな保育実習を変えていかないか

          保育士のみなさんなら、保育実習を行なった経験が多いのではないか。 あるいは、保育士として実習生を受け入れている先生もいるのではないか。 私自身は、国家試験で保育士資格を得たので保育実習の経験はない。 だからこそ、同僚や実習生の話をきいていると、正直キツすぎるのではないかと感じてしまう。 例えば、保育日誌。 1日の流れを書き、ねらいや環境構成を書き、ふりかえりを書き…… それも手書きである。 ある実習生に「どれくらい時間をかけているの」ときいてみたところ、3時間と

          ブラックな保育実習を変えていかないか

          保育参観ではなく保育参加へ

          保護者が保育園にくる。 そのようにきいたとき、みなさんはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。 子どもたちが発表をしている姿を保護者が離れたところで見ている。 そんなイメージをしている人も多いのではないだろうか。 実際、今でも多くの園では「保育参観」という言葉のように、保護者が子どもの姿を遠くの方から見るというやり方を行っている。 そのようなやり方を否定するつもりはない。 だが、他のやり方があるのではないか。 その一つが、「保育参加」だ。 聴きなれない言葉

          保育参観ではなく保育参加へ

          休日の散歩

          保育のない休日。 ついつい、休み明けの保育を考えてしまい、落ちつかない。 そんなとき私は散歩をする。 温かいお茶と好きなお菓子を持って、好きな音楽をイヤホンで聴きながら散歩をする。 目的地はなんとなく決める。 あの池のある公園に行ってみようかな。 あそこのベンチなら、お菓子をのんびり食べることができそうだな。 そうして、ふらふらと散歩をする。 静かな住宅街を歩く。ただ無心に歩く。 心地良いリズムを感じながら、時折素敵な看板に目をやりながら。 気がつくと公園

          子ども主体の保育とは何かを図にしてみた

          子ども主体の保育。 保育者なら一度はきいたことがあるはずだ。 でも、どのようなものが子ども主体の保育なのか、考えてみると意外と難しい。 そもそも主体って何? 自由保育とは違うの? じゃあ一斉にやる活動はだめ? 多くの疑問が浮かび上がってくる。 私も多くの本を読む中で、子ども主体の保育の構造が明らかになってきた。 これが子ども主体の保育である。 これだけだとよくわからないかも知れないので、説明していく。 まず、前提として、保育者と子どもの信頼関係が必要である。

          子ども主体の保育とは何かを図にしてみた

          保育の羅針盤は子どもとの対話である

          どのように保育活動を行なっていけばいいのかわからない。 どんな室内環境にすればいいのかわからない。 子どもへの声掛けって難しい。 日々保育を行なっていく中で湧いてくる様々な悩みや疑問。 このような疑問に対して、これが正解である、という答えは存在しない。 保育者は答えのない疑問に対して、同僚や先輩に相談したり、本や動画を参考にしながらなんとか答えらしきものを出していくものである。 だが、この疑問に対して、答えではなくとも、正しい方向を示す羅針盤はある。 その羅針盤

          保育の羅針盤は子どもとの対話である

          休憩室の会話から始まる子ども理解

          保育は子ども理解から始まる。 子どもが楽しんでいる姿から、活動を行なってみたり。 子どもがどのような発達にあるのかを知ることにより、援助の方法を考えてみたり。 子どもが心地よさを感じているものを知ることにより、保育室の環境を変えてみたり。 子どもをどれだけ理解しているということが、保育の質につながるのだ。 そこで、子ども理解をどのように行うのかが重要になってくる。 もちろん、日々の保育を行う中で、子どもを理解していくというのが基本であろう。 だが、一人では限界が

          休憩室の会話から始まる子ども理解