見出し画像

「叱る依存がとまらない」を読んで

今年は副担任になったので、本を読む時間がいつもより多く取れて幸せです。
最近読んで、考えが大きく変わった本があったので紹介します。
それは村中直人さんの「〈叱る依存〉がとまらない」です。
概要を以下にまとめたので、ぜひ読んでみてください。

①叱るは「危機介入」と「抑止」の働きをもつ

簡単に言ってしまえば、叱るという行為はなにか良くない行動を制御する働きがあるということです。子どもからすれば「叱られる」ということは自分の言動を制御されるということです。

さらに、叱られた人の脳は「防御モード」になってしまい、なにか積極的に行動を起こそうという意欲がなくなってしまいます。
なぜなら、なにか行動を起こした結果、叱られることを恐れるからです。

教師や大人から見れば、この「防御モード」にあるこどもは「落ち着いている」と判断されることもあります。
でも、それってかなり大きな勘違いをしてしまっている気がします。

本来、学びであれ何であれ、積極的に行動して失敗から学ぶのが理想的です。しかし、「叱る」ことはそこから子どもたちをどんどん遠ざけます。
そういう意味で「叱る」ことの効果はないと言えます。

ただ、「叱る」にも良い面があります。それは、「即効性」があるということです。大きな声で指示すれば、たいていの子どもはすぐに言うことを聞きます。この即効性が世の中に「叱る」ことを溢れさせている気がします。

②「叱る」には依存性がある

「叱る」ことには依存性があると村中さんは言います。
「叱る」ことには、即効性があります。その結果、自分の思うように子どもがすぐに変わります。そのことで「自分には力がある!」「自分はちゃんと指導できている」という自己効力感が叱る側には生まれます。

このことが「叱ることは大事だ」という考えに変わり、「だめなときは叱らないと」という価値観につながっていきます。

さらに、恐ろしいことは「叱っても効果がなければさらに叱る」ということです。

叱られる側はどんどん叱られることに慣れます。
すると、多少の叱責では効果がなくなってきます。そういう状態になると叱る側は不安になります。
「自分の指導が通じていない。もっと厳しい指導をしないと。」
こういう考えに陥り、より激しい叱責を行うようになります。

これらの流れはまるで中毒そのものです。
一時の快楽に溺れて、効き目がなくなるともっと強い刺激を求める。
こういう構図が「叱る」という行為には隠されているのです。

③「叱らなくても厳しい指導はできる」

この本を読んで、最も印象に残った言葉です。
厳しい指導には叱ることが必ず必要だと信じていた私にとって、ある意味衝撃でした。

叱ることは、学びにつながらない。
バスケットなら、選手が自立してプレーすることに繋がらない。
だから、叱ることは必要ではありません。

叱らない=甘やかすというふうにすると厳しい指導ではなくなってしまいます。厳しい指導とは「妥協を許さない」「高い基準を求める」ことで達成されるはずです。

何でもかんでも怒らず、高い基準を示して、それにたいして妥協を許さない。

そういう「やっていて見ていて楽しいコーチング」を自分はしようとこの本を読んで考えました。
自分のコーチングが大きく変わる気がします。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?