無感情はトラウマの克服なのか?

愛用のマグカップが割れたので親と一緒に実家の押し入れに保管されている未使用の食器ゾーンから新品のマグを探す。
唯一保管されていたのは前社に内定した時にもらったノベルティのマグカップ。他にめぼしいものもない。
「それ使って大丈夫?嫌な気分にならない?」
「いや、特に無感情だから多分問題ない」
軽く水ですすいで早速風呂上りに牛乳を飲む。
妹から「…デザインはかわいいな」と妙なコメントをされたのでさらりと「そうやろ、デザインはかわいいよなコレ、前の会社でもらったヤツやねん」と返す。
「…さっきの話聞こえてたからコメントしずらかったんやけど……」
「特に何の感情もないしええかなと思って」
変な気遣いをされたのが分かったから自分から切り出したのだが、それでも妙な気を回されてなんだかおかしくなって含み笑いをしてしまった。


その日の夜は、ジャニー喜多川氏による性犯罪報告書を読んだ影響もあってか、寝る前にトラウマとフラッシュバックについて考えた。
会社から逃げるように休職して実家に強制帰還した当初は、テレビで上司や同僚とよく似た顔の芸能人が出てくると思わずチャンネルを変えていた。プライベートで会社の近くに予定があったときは数日前から非常に緊張したこともしばしばある。
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マグカップに対して無感情なのは恐らくその物自体には特に思い出も思い入れもないからだ。内定者の顔合わせか何かでもらったものだし、受け取ってすぐ実家の押し入れ行きになった。入社して実家から出る時には完全に存在を忘れていたので引っ越し先にはし、その後先輩から「実は得意先へのノベルティのあまりなんだって、自分たちももらったよ」と教えてもらい、あっという間に無価値なものになった。だから何も感じない。
結局私は2年前のパワハラの記憶を乗り越えられたのかよくわからない。鬱状態を含む精神疾患ではなかなか克服するのは難しいとの事だがどうなのだろう。そもそも何をもって「克服」と言えるのだろうか。
次回の定期通院で聞いてみよう。


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