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多和田葉子『太陽諸島』

間が空いてしまった。しばらく読書に没頭していました。
多和田葉子の連作長編三部作、
『地球にちりばめられて』
『星にほのめかされて』に続く、
『太陽諸島』!読みました。

このシリーズ、読んでいる間の多幸感がすごい。
こういう小説にたまに出会う。
物語の筋がどう、とか、登場人物のキャラクターがどう、とかいう以前に、その世界観の存在そのものや、一文ごとの言葉の使い方に打たれているのだと思う。

特にこの三番目の『太陽諸島』はひたすら船に乗っているだけの一冊だ。
なぜそんなことになっているのかを言うために一応概略を書いておくと、

この物語の中で、日本は消滅したことになっている。
日本、という言葉はほとんど明記されていないが(2冊目の登場人物紹介
のところん一度だけ出てきたかも)、主人公のHirukoが生まれた「母国の島国」は、明らかに日本である。

Hirukoは自家製言語「パンスカ」を話す。
「スカ」ンジナビア半島で
「汎」用性のある言葉、
略して「パンスカ」だ。

この言葉の魅力を書こうとすると膨大な文章量になりそうなのでここは割愛。
ヨーロッパ留学中に母国を失い帰る先が消えてしまったHirukoは、自分の母語を話す人間を探して、旅をすることになる。

その過程で様々な人に出会うが、3作目の時点で、その旅のメンバーは全部で6人に増えている。この6人、国と言語の多様性がすごい。

・デンマークの言語学者、

・ドイツに留学中で性のお引越し中であるインド人、

・グリーンランド出身のエスキモー(イヌイット、と言う言い方にも言及されているが、ここではエスキモーであるとされている)、ただし日本人のふりをして寿司屋で働いていた

・環境保護、人権擁護に関心を寄せ、仏教が大好きなドイツ人、

・失語症と思わしき日本人、ただし途中から喋り出す。何年生きているのか不明。

ここに主人公のHirukoが加わり6人。
これで各人2〜4言語くらいを操るので、人によって話が伝わる、伝わらないがあったり、この言葉は別の言語ではこう言う、という翻訳があったり、それぞれの文化の違いで見ている世界が違ったり、などがごちゃ混ぜになっている。この6人が話している、ということが、そもそも多幸感の根元なのかもしれない。

と、こういうわけで最終的に6人は、失われた日本列島を目指す船旅に出る。この船旅が、『太陽諸島』まるまる一冊使って書かれている。

ひたすら船の中の対話、それから、途中で立ち寄る国々のことが少々。
それだけで一冊、というのは、なかなか思い切った構成だと思うのだが、このシリーズの醍醐味はまさしく対話そのものなので、ある意味では一番凝縮された一冊とも言える。

「言語」の違い(と類似)を使って、いろいろな境界を越えてゆくこと。

これがこのシリーズのテーマではないだろうか。
境界には、いつでも壁に区切られている。
区切ることそのものが境界を生むのだから仕方ない。

その壁を、言語で越えていく。
言葉の壁、国籍や人種の壁、個々人の心の壁…ときには時空の壁まで越えてしまう。

なんと鮮やかだろうと思ったところを一つだけ紹介。
ホームシックについて話しているシーン。
性のお引越し中であるドイツ人、アカッシュを中心にした対話。
誰が何を言って、を説明し出すと長いので、エッセンスだけ。

「君はもうホームシックなのかい?」
「まさか。僕はずっと、フルサトを離れることが夢だった」
「私にはホームシックの対象が存在しない」
「だからこそ幻のホームシックにかかるということもあるよ。幻肢痛ってあるだろう」
「あなたは男性から女性になりつつある。男性であることにホームシックを感じる?」
「ないね。いつからか、完璧なレディになることが目的ではなくなった」
「どういうこと」
「長い旅をしていると、旅すること自体が目的地になっていく」
「ホームシックはドイツ語ではフルサトの痛み、ハイム・ヴェーというの。それとは逆に遠方への憧れで心が痛むことはフェルン・ヴェー。あなたは遠方の存在しないかもしれない国に、女性という名前をつけたのかもしれない」
「それだ。性のフェルン・ヴェー」

ホームシックが性の話に転換され、ドイツ語に変換されることで対義語が現れる。それは多言語には存在しない概念かもしれなくて、言語の交流が新しい領域を生み出して、だれかの頭の中を模様替えしてしまって、すっきりと楽にする。

こんな風に、読んでいる間中、言葉で区切られたたくさんの網目が浮かび上がって、自分でもうまく意識できないほどに固定化された境界が、溶解したり、線が引き直されたりしていく。

素敵なところは山ほどあって、また感想を書いてしまうかもしれない。

他者との区切りをつけることの方に躍起になっている今こそ、読むべき物語と思えた。

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