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【長編】分岐するパラノイア-schwartz-【C25】

<Chapter 25 或る男の逸話(六)>


今ではもう、ひとりぼっちだ。

私の人生の一部には、たくさんの人間がいた。
それは深い関係ではなかったかもしれない。
絆や仲間、そういった類のものでは決してない。

ただ誰かと時間を過ごす、共有したいと思っている人間の集まりであり、
彼らは不特定多数のいわゆる「友達」という枠から漏れた人間たちであった。

誰かの「友達」になれなかった者たちが集まり、群れをなし、コミュニティをつくっていた。

私は「友達」がいないということを苦としない。
彼らもそうだっただろう。
ただ、人間である以上どこかで時間や空間を共有したいと思うのは当然だ。

私たちのような人間にも「寂しさ」はある。
でもそれは決して「友達」という概念で埋まるものではなく、
一般大衆がやっているように「寂しさ」を「友達」というシステムで埋めるとしても私たちには副作用がある。

それは自分自身を殺して生きることである。

少し違うという理由で排除された経験があると、違いを隠す癖がつく。
それは自分自身をゆっくり時間をかけて殺していくことである。

それに耐えられなくなった者、そもそもその気すらない者が私の近くに集まった。

だから「友達」ではない、ただの「群れ」である。


砂利の上の尻が痛い。
コーヒーの香りを堪能した私はそろそろ家に帰ろうと思った。
ここに座り込んでいてもコーヒーの香りしか得るものはない。


私のまわりの人間たちはいつの間にかどこかへ消えてしまった。
どこへいったのか。何か大きな化け物に食われたのか。
歩道を歩きながら考えた。

まわりの人間たちが消えてしまったその日は、私は何をしていたのか。

あの時から流れ続ける時間。
増え続ける世界線。
隠されるIFの世界。
偽りの物語。

ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる。

ここは本当に私の世界なのか。
ずっと私がいた世界なのか。

もしかしたら、どこか別の世界ではまだあの頃の「群れ」が私のそばにあって楽しく暮らしているのかもしれない。
そこには別の自分がいるはずだ。
私はその自分に激しく嫉妬した。


立ち上がって立ち入り禁止の棒を跨ぎ、道に出た。
目の前にはお客さんが来るのかどうか、営業しているのかどうかさえ
怪しい床屋がある。

その隣は昔ながらの酒屋だ。
しかし中の電気はついておらず、営業しているかどうかわからない。

私の祖父はこの風景を見ながら生活していたのだろう。
毎朝、床屋や酒屋に挨拶をしたり世間話に花を咲かせたり、
時代を駆け抜けた祖父は病を患ってからはこの店に帰ってはこなかった。
入院したままこの世を去った。

この祖父の店がある通りも最近ではしばしば建て替えや取り壊しが行われている。この地域は住んでいた高齢者がこの世をさり、建物を取り壊すことが難しい。それは世をさった高齢者の親族がこの地域を去っており、連絡がとれないなどの理由からだ。
権利関係がなかなかうまくいかないらしい。

そんななか取り壊しも長期的な計画のもと行われる。
取り壊され、だいたいが駐車場か高齢者用の施設か葬儀屋になるパターンが多い。

祖父の店もそうだった。
幸か不幸か、祖父の店は地主が近くにいたから揉めたりすることはなかった。ある程度の期間は閉店したまま建物はそのままだったが
ある日突然、取り壊された。

祖父の店も、時間が動き出したのだろう。

スマホを確認した。
あれから竜姫からの連絡はない。
こちらから連絡すべきなのかもしれない。
竜姫に電話をかけるためのボタンに指が向かう。
ボタンの上に指が被さる。
しかしタッチすることができない。
ただ指を、少し震わせるだけで竜姫に繋がる。

指はボタンの上で止まっていた。
スマホをじっと見つめた。

私は、その時何か不思議な感覚に襲われた。
心、ではなく頭の中がゾワっとするような。

その感覚は、私の意識を後方に向かわせた。
私はゆっくり振り返った。

息を呑んだ。
祖父の店は取り壊され、平地にされていた。
確実に。さっきまで平地に座り込んでいた。

それなのに。

振り返るとそこには、店があった。

祖父の時計屋ではなく小さな喫茶店、いやカフェだった。
ドアは開かれていて、中には店主が一人で座っている。

さっきまでは平地だったこの場所に一瞬にして店が出現した。
私が唖然としていると、中にいた男が店の前に立ち尽くす私に気がついた。

「あ、いらっしゃい」

男はサッと立ち上がり、こちらへ向かってくる。

「どうぞ」

私は何が何だかわからぬまま店に入った。

この店が突然現れたことに驚いてはいるが、そのことよりももっと驚くべきことに気がついた。

私は、この店に来たことがある。

来たことがあるというレベルではなく、何度も何度も通ったお気に入りのカフェだ。竜姫と行く定番のカフェだった。

私の記憶の整合性の調査を始めようと言ったのもこのカフェだった。

なんとなく席に座ったが、驚くほど見飽きた風景だった。
そして何も考えず、メニューも見ずに注文した。
私はいつも同じものを注文する。
「ブレンドお願いします。」

「はいよ。」
男はカウンターに入り、コーヒーを作り出した。

どうして急に現れたカフェを私は知っているのだろう。
何度も何度も訪れたカフェがここにあるのだろう。
いや、カフェの場所はここで間違いない。
確信がある。

では祖父の時計屋の跡地はどこへ行ったのだろう。
さっきまで座っていた祖父の時計屋の跡地はなんだったのか。

まるで、別の世界の空間と空間が重なっていたようにしか思えない。

「お待たせ。」
店主がコーヒーを持ってきた。

「あの、変なこと聞きますけど、この店ってずっとここにありました?」

「え?何言ってるんですか。この前も来たじゃない。ずっとここにあるでしょ。」

店主は笑っている。
この店主はよく言えば愛想がいい、悪く言えば馴れ馴れしい。
初めて来た時からそうだった。
“この前”とはおそらく竜姫と記憶の調査をしようと決めたあの時のことだろう。

「この前って、二人で来た時ですか?」

「二人?お兄さんひとりだったよ。」

「え?もうひとり女の子いたでしょ?」

「何言ってんの。君、いつもひとりじゃない。ここに女の子なんて連れてきたことないじゃない。」

「ちょっと待ってくださいよ。最後に来た時は竜姫とふたりだったじゃないですか。」

店主は何言っているんだという顔をしている。

店内ではかっこいい BGMが流れている。


ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる。
ここは本当に私の世界なのか。
ずっと私がいた世界なのか。


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