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Blue Train

  「今日もか。」

本日都合により休業いたします。

1週間近く、この紙が入口のドアに貼られている。


ここの店でだけの関係だったマスターとは

メールアドレスどころか

この店の電話番号すら知らなかった。

ここに来れば必ず会えると思っていたからだ。


いつもなら鍵が開いているドアも

ずっと鍵がかかったまま。

「今日は帰るか。」

そう誰に言うでもなくひとり呟き、

家路につく。


家に帰り、

いつからか触ってもいなかった電子ピアノに

電源を入れる。

ポーン。

悲しく、

儚く、

1人暮らしの部屋に

無機質な音が響く。


以前マスターにもらった

スタンダードの曲集を

とりあえず広げてみる。


メロディーとコードしか書かれていない無機質な楽譜と

にらめっこを始める。

クラシックの楽譜とは違い、

譜読みをするという感覚よりかは、

自分と話をする感覚に近い。

セッションなどになれば、

共演しているミュージシャンとの会話に

なるんだろうなと

経験もない

音楽家でもない

ただのサラリーマンが

物思いにふける。


夜なのでヘッドホンをつけて

1人ライブを始める。

といっても人に聞かせるわけではなく

自分の気持ちと向き合うために。


まず、即興演奏というなのでたらめを弾く。

楽譜通りしか弾いてこなかった僕にとって

こういうことは実に難しいし、照れくさい。


でも、楽しい。

誰に否定されるわけはなく、ただ一人

思うがままに演奏する。

これにもう少し早く出会っていれば、

ピアノの練習ももっとしていたかもしれない。


レッスンに行くのも、

怒られるのが嫌で、

あまり練習をしなくなった。

結果として、

誰でも知っている曲で

自分が弾いたことのある曲といえば

ドビュッシーの月の光くらいしかない。


この曲は実は今でも何となくは弾くことができる。

"なんとなく”というのが多分クラシックの先生からしたら

ありえなかったのだろう。

何度も何度もけんかをした。


一番自分なりにはちゃんと練習もして

レッスンには臨んだはずだったが、

「これはドビュッシーの音ではない」

と当時の僕には理解できないことを言われ、

それ以来レッスンに行かなくなった。


それから、学生時代にバンドをしたりしたくらいで

全くピアノを触ろうとしなかった。

また誰かに怒られるのじゃないかと

謎の不安が押し寄せてくるからだ。


でも、それはジャズを聞き始めたことで

がらりと変わった。

みんな楽しそうに、意見を出し合いながら

1つの曲を完成していっている姿を見て

いいな、音楽っていいなぁと思った。

幸いにも、楽譜が読めたので

やさしいジャズの曲集なんかを買ってきては

1人で演奏したりしていた。

そんな時にマスターと出会って、

いろいろなことを

教えてもらった。



いろんなことを思い出しているうちに

また、マスターのピアノが聞きたいなと思っていた。

自分とセッションしてくれないかなと

夢みたいなことを思いながら。


明日はお店空いてますように。


そう願いを込めて

ピアノの電源を切った。

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