名前も知らない彼の命日

2015年8月24日、1人の大学院生が校舎から身を投げて自ら命を絶った。
後に一橋大学アウティング事件と呼ばれる出来事である。

亡くなった彼は、同性愛者(ゲイ)だったらしい。

2015年春、一橋大学ロースクールで出会った同級生Zくんに、Aくんは「好きだ、付き合いたい」と告げた。Zくんの答えは「付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいて欲しい」。Aくんは「ありがとう」「悲しいけどすげー嬉しかった」と返した。

引用 Buzz Feed News 2016/8/16 一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」

告白して、フラれる。
同性間である、という点を除けば、どこにでもあり得る光景だ。
「これからもよき友達でいて欲しい」という言葉通り、彼はこれまで通りの振る舞いをしたらしい。

しかし2ヶ月後、彼が告白した相手は、同級生とのグループラインで彼がゲイであることを暴露した。

「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」

他人の性的指向や性自認などを、本人の同意なしに第三者へ暴露することを「アウティング」という。

ピンと来ない人は、「自分が他人に知られたくない秘密を、勝手に暴露されること」と考えてほしい。
秘密はなんでも良い。そうしたら、少しは想像がつくだろうか。

彼と告白相手に、「自分がゲイであることは他の人には言わないでほしい」「わかった」といったやりとりがあったかどうかは分からない。
告白された方からしたら、突然友人から告白されて、困惑の上暴露してしまったのかもしれない。

けれども、未だに同性愛者等のセクシュアルマイノリティに対する偏見や差別意識が残るこの社会において、アウティングは凶器なのだ。

彼はアウティングされてから、心身に不調をきたしたらしい。

彼は大学のハラスメント窓口や保健センターに相談した。しかし、性同一性障害のクリニックのパンフレットを渡されたり、十分な対応を受けていたのか疑問に残る。

2019年8月24日。彼の4回目の命日だ。
そしてこの日私は、26歳になった。とうとう彼が亡くなった年齢を追い越してしまった。
名前も知らない彼の命日と、私の誕生日が同じ日であることを知ったのは、実は今年に入ってからだった。
もちろん事件のことは以前から知っていたし、憤りも感じた。でも、具体的な日にちを知ってから、見知らぬ彼とこの事件について考える機会が増えていった。

彼が亡くなった一橋大学マーキュリータワーに、8月31日まで献花台が設置されているため行ってきた。
蝉がうるさいくらいに鳴いていた。テニスコートでは快音が響いて、談笑する声も聞こえてきた。これらの音は、彼の耳に入っていたのだろうか。

私は彼の名前も、顔も、どうして司法の道を志したのかも、これまでどんな人生を歩んできて、自分のセクシュアリティについてどう考えてきて、最終的にどんな思いで死を選んだのかも知らない。知らないから、想像しかできない。

もし、私と彼が友人だったら、と献花台を前に考えた。

同性を好きになる気持ちは痛いほど分かる。
思いを告げた後、アウティングされるかも、差別を受けたり偏見の目で見られるかも、という懸念を一緒に共有して、それでも告白する彼の背中を見守るだろうか。
実際にアウティングを受けてしまった時、寄り添い支えられるだろうか。
分からない。

もし私が彼だったとしても、この出来事を話せる友人や、引き止めてくれる人がいたとしても、その手を振り払ってしまう気がするのだ。

そんなもしもを考えながら、献花台を後にした。
たぶん、私はこの先一生、彼のことを忘れられない。顔も名前も知らない彼だけど、命日しか知らない彼だけど、きっと忘れない。
自分が年を重ねる度に、思いを馳せると思う。

セクシュアルマイノリティが差別や偏見を受けない世界。差別や偏見を恐れて自分の感情を隠したり、偽装したりしなくてすむ世界はやってくるのだろうか。
私は、まずは私自身のために、私が信頼できる周りだけでもそんな世界にしたい。
そして願わくば、そんな世界を少しずつでも広げていきたい。

彼に、心から哀悼の意を表します。

2019年8月24日

#LGBT #セクシュアルマイノリティ #一橋大学アウティング事件
#追悼

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