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母とのランチは「虫歯を抜きに歯医者にいく」のと似ている

みなさんにとって「母親」とは、どんな存在ですか?

私には69歳になる母がいますが、私と母は「いまいち」という言葉がぴったりくるような、そんな関係です。

近づきすぎるとお互いにケガをしてしまうけれど、離れていれば大丈夫。

今はようやく互いが心地よいと思える距離が分かり、つかず離れずでなんとかやっています。

そんな母と私の関係を表現したくて、短いストーリーにしてみました。

フィクションも少し交じっていますが、「こんな母娘の形もあるんだ」と思ってもらえたら、うれしいです。

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9月8日(水)17:49

昼間鳴いていたせみの声は、とっくのとうに消えていた。

「そろそろ夕ご飯の準備でもしようか」

そう思いながらパソコンの前での作業をなかなか終えられずにいたら、携帯電話が振動した。表示された「おかん」の文字。

一瞬迷って、電話に出た。

「はい、もしもし」



「昨日、夜に雨がたくさんふったけど。そっちのほうは大丈夫だったの?警報も出たでしょ」


昨日、夕方からカミナリが鳴り響き、どしゃ降りの雨が降っていた。21時ごろには携帯電話から大音量のアラームが鳴り「緊急警報」なるものが届いたので、おそらくニュースにもなっていたのだろう。母は心配していたようだ。


「うちのエリアは、何の変化もなかったよ」

と私が答えると、母は


「そうなのね」

といい、


「梅干しを買ってね、明日届けようと思うのだけど、明日は家にいるの?」


といった。


母は梅干しが好きである。


15cm×15cmほどの、薄いピンク色のプラスチック箱につまった梅干し。実家にいたころ、その箱がいつも冷蔵庫に入っていたのを思い出す。

家にはお金がないほうだったけれど、お歳暮のような立派ないで立ちの梅干しの箱は、なぜか欠かさず冷蔵庫にいた。


「明日は用事があって、家にいないんだ」

私は答える。

「この日なら空いてるよ」

という、言葉は出てこない。


すると

「その次の日は?」

と母がいった。私のスケジュール帳は、白紙だ。


空白のスケジュール帳を見ながら一瞬、念じることで「何かしらの予定」が文字となって浮き上がってくることを期待してしまう。


「空いてるよ」


「そう。ならどこかで一緒にお昼ごはんでも食べて、そのあとあなたの家にいってサプライズさせちゃおう」


サプライズとは何のことか。

ああ、そうか。

私の息子へのサプライズか。


私には小学生の息子がいるので、母はきっと「おばあちゃん」である自分が突然家にいたことで、孫が喜び、驚くことを期待しているのだろう。


電話越しに話しながら、

「一緒にごはんを食べるのもイヤだし、家にあげるのもイヤだな」

と思った。


この日は苦行が2つもあるのか、とも。


母に対する、今の自分の気持ちに近いのは何だろう?と考えて、ぴったりくるのが見つかった。

この気持ちは「虫歯を抜きに歯医者にいく」のに近い。



「虫歯を抜く」なんて、嫌だ。
たぶん、痛いはずだから。

でも、今の痛みに耐えるのがつらい。
少しの間、我慢するだけで痛みがとれるなら、私はいく。

帰り道は、スッキリしているはずだから。


私にとって「母と会う約束」は「デリカシーのない母の言動により、傷つけられること」と同義語だ。

「今もちょっと痛い」のは、母とのこれまでをなかったことにはできないからだ。

「我慢すると痛みがとれる」のは、生んでくれた母に「会いたくない」と感じてしまう罪悪感が、会うことでやわらぐと思っているから。

帰り道でスッキリするのは、時間を一緒に過ごすことで、娘としての義務を果たしたように感じて、少し心が軽くなるから。



母との電話を終えると、開きっぱなしの窓から、くぐもった声で泣く子どもの声がしていた。

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いやはや、ヘビーな話ですね。

こういう話を「イヤミス(読後、イヤな気持ちになるミステリー)」っていうらしいです。

あ、これ。ミステリーではなかったですね。

なんとか笑いで落とそうかと思ったんですが、できませんでした。無念です。

ただこんな気持ちになりつつも、意外と上手くやっています。

心の中の自分を客観視している、もう1人の自分がいるような感覚でしょうか。


誰でも苦手な人や、距離をおいておきたい人っていますよね。

私の場合はたまたまそれが母親だった、という感じでしょうか。

そのうち母と、言いたいことを言い合う「ど付き合い漫才」でもしたらいいのかもしれません。



みなさんにとっての「母親」は、どんな存在ですか?


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