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次のCurveまで

 真夜中、彼女に呼び出された。
 呼び出しはいつも急だが、虫の知らせなのか、いつも5分程度で出掛けられるようにオレの準備が整っている時に連絡が来る。薄手のジャケットを羽織り、待ち合わせた場所まで車を走らせた。

 既に彼女が待っていた。クラクションを軽く鳴らして合図を送るとすぐに助手席に滑り込むように乗り込んできた。
「久し振り。どうした? こんな時間に」
「いいじゃないの、たまには。ドライブしない?」
 彼女は長年の女友達だ。シートに落ち着くやいなや、おもむろにバッグから煙草を取り出して火をつけた。オレも車を走らせる前に煙草を吸った。
「まあ、いいけど……。どうせ明日は仕事も休みだし」
「それだけ? 久し振りなんだから会いたかった、くらい言えないの?」
 彼女は、けたたましく笑って言う。オレは心の中で彼女を笑って許し、近くの海まで走らせようと提案した。彼女は美味しいコーヒーがある場所を知っていると言い、途中海のそばにあるパーキングエリアに寄り、紙コップに入った熱いコーヒーを買い、そのまま車の中で飲んだ。彼女の言う通り、苦味が深くとても美味しかった。

 彼女に呼び出される時の理由は大抵、彼女が恋人と上手くいっていない時か破局した時だ。反対に連絡がないと上手く行ってるんだな、と思っていた。
「で? 今回の恋愛状況は?」
「ストレートね」
「オレはいつもそうだろ」
「まあね」
「上手くいってるの?」
「まあまあかな」
 驚いた。こんな時もあるのか。
「相手はどんなやつ?」
「お金持ち」
 ハンドルを握る手が少しだけ揺らいだ。こっちは性格や見た目などを問いかけたつもりなのだが。
「あ。海、見えてきた」
 彼女は窓に顔をつけて、うっとりと外に目をやった。

 人工的な灯りは華やかだが、多分波打ち際にまでその光は届かない。オレにとって夜の海はどこか生々しくてそれほどロマンティックには思えなかった。月が出ていれば少しは幻想的かも知れないが、あいにく今夜は曇っている。月や星も見えないのに彼女は目を細めてリラックスして眺めていた。
「……何かあったのか?」
 彼女は窓から目を離してオレを見た。
「どうして?」
「明らかにいつもとは違うから」
「そう?」
「その金持ちのやつと結婚するのか?」
 コーヒーをひとくち飲んでから彼女は言った。
「しない」
「やけに決め付けるんだな」
「気になるの?」
「別に」
 彼女は、ふっと笑った。
「できないわ。結婚してるもの、彼」
 ああ、とうとう不倫の恋愛を始めてしまったのか。オレは心の中で舌打ちをした。
「何でそんな関係を続けてるんだ? 意味がないだろう」
「恋愛に意味なんてあるの?」
「あるさ」
「どんな?」
「互いを好き合っていたら幸せだろう」
「ロマンチストね」
 オレは憮然とした表情になり、そのまま口をきかなかった。ひたすら車を走らせて、なるべく海がよく見える場所を見つけて車を止めた。
「怒らなくたっていいじゃない」
「怒っていない。普段からそんな顔に見られるんだ」
 彼女はオレの必死な言い訳をほぼ聞いていなかった。
「砂浜に降りてみたい」
「寒いぜ」
「いいの」
 彼女はドアを開けた。冷たい風に一瞬目を細めながらも車から降りて砂浜を歩いた。オレも仕方なく、のろのろと車から降りた。潮の香りの風が顔をめがけて来る。

「ちっとも寒くない」
「オレは寒い」
 ジャケットの前をぎゅっと閉めて、風が入らないようにしているオレを見て彼女は微笑んだ。
「あたし、感覚がない人間みたいね」
 ぽつりと言う彼女の心情を計りかねたまま、横に立った。
「なあ、悩んでるんだったら吐き出しちゃえよ。楽になるかも知れないぞ」
「優しいのね」
 彼女は不意に波に近づき、オレから離れたので表情が読み取れなかった。
「ね。あたし、その金持ちを愛してるんじゃないのよ」
「じゃあ、なぜ」
「自分でも判らないの。相手がお金持ちっていうのは、たまたま。でもね、触れていると安心するの」
 オレは黙って煙草に火をつけた。
「怒った?」
「別に」
「怒る理由はないか」
「怒って欲しいのか?」
「そう、って言ったらどうする?」
 少しだけ間が空いた。
「……オレは君の両親でもないし闇雲には怒れない。でももしも淋しさから続けている関係ならやめちまえ、とは思う」
 彼女はオレの背中に腕を回して抱きついてきた。
「やっぱり優しいわ。こんなバカな恋愛をしてる女なのに親切過ぎる。あなただけは誰も代わりにはなれないんだから」
 手が冷たい。そっとその手を取って自分の手の中に包んだ。オレがどんなに気のない振りを装っても、彼女にはほんの少しの動揺すらバレているに違いない。こんな状況になったらオレがどんなに小さなことでも断れなくなるということも。手が少しずつ汗ばんでくる。彼女に伝わらなければいいが、もう遅いか。

 その時、彼女の携帯電話が鳴った。
 彼女はオレの体からゆっくりと手を外して背中から離れた。そして少し離れた場所に立って電話を受けた。男からか。オレはため息をついて腕組みをした。
 ふと見ると彼女の履いた靴のヒールが砂にめり込み、立っている姿がおぼつかない。彼女は明らかに無理をして元気に振舞っている。オレは長年彼女を見ている。彼女は自分の美しさを自覚している女だ。だからこそ、そんな無様なことを許せる女じゃないはずだろう。ヒールを履くなら誰よりも美しく歩く。そんな彼女のプライドくらいオレは判る。いや、オレになら判る。
「切れよ」
 唐突に話しかけたオレに彼女は驚いた顔でオレを見た。その眼差しだって彼女らしくない。もっと好きな相手とのやり取りならとろけるような眼差しでオレをうんざりさせていたはずだろう。もし、そうじゃないのなら……。
「あ、ごめんなさい。今、お友達と一緒なの。また近い内に」
 彼女は電話の主に言い訳をした。まだ相手は切っていないようだったが彼女の手から電話を取り上げて切った。
「どうしたのよ、そんな強引に」
「君がそうさせるんだ。オレといる時はオレだけを見ていろ」
 オレは睨みつけるように彼女を見た。彼女もオレを見た。しばらく見つめ合った。
「わかった」
 彼女は静かに携帯電話の電源を切った。俯いていた。オレは相変わらず憮然とした表情だったが先ほどの言葉がすべてを物語っていた。だが、確かに彼女が失いたくない存在であることは確かだ。何でも話せるという仲だからだけじゃない。いつも心配だった。そして彼女が噓ではなく笑っていてくれればいいと思っている。これ以上そばにいたら、きっと今の二人の関係は形を変える。でも、だから何だって言うんだ。

 オレたちは車に戻った。
 車までの道のりを彼女はずっとオレの腕に掴まって砂浜を歩いていた。パーキングにつき、オレの手を離れて助手席から彼女が言った。
「困ったなあ……」
「それはオレの台詞だ」
「お互い様か」
「オレは今、君を女として見てるぜ。どうする?」
 彼女はしばらく下唇を噛んで考えていた。
「場所を変えましょうか」
「どこに?」
「あなたの部屋で何か食べない?」
 拍子抜けした。しかし確かに空腹ではあった。彼女は助手席で裸足になり、靴の中に入った砂を払っていた。その細い足首にはアンクレットが輝いていてオレの胸を苦しくさせた。
「その方が、君らしい」
「どういうこと?」
「砂に絡めとられてよろけたままヒールを履く君なんて見たくないんだ」
 彼女は今度こそ真剣にオレを見て言った。
「あたし、たくさん食べるわよ」
 何て意味ありげな台詞だろう。
「オレもだ」
 どうやらオレたちはもう戻れない場所を望んでしまった。けれど戻ってどうする。前向きに、と彼女にいつも言っていたのはオレだ。進むしかない。もちろんまだ彼女の横顔の真意は計りかねる。けれど本気だ。これ以上真剣な本気なんてない。オレは夜更けから夜明けに向かって車を走らせた。


《 Fin 》
2004年11月27日
推敲 2023年6月27日

解説
大澤誉志幸さんの曲から想起した物語です。どうしても男性のモデルが大澤さんになってしまい、そのイメージからか、一人称を「オレ」にしていた物語がこの時は多かったです。「オレ」と言う一人称を見つけたらその男性のモデルは大澤誉志幸さんだと思ってください(〃∇〃)

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