サブスクと所有

三体が読みたい田中です。しかし世界貿易センタービルに民間ジャンボジェットが突っ込み、大津波に襲われて原発もメルトダウンして、ドローンで石油施設が攻撃され炎上、ボストンダイナミクスによって機敏に活動するロボットが作られ、TikTok上では動画のリアルタイムな顔認識や服装の認識によるレコメンドやEC直結の機能が搭載、折り畳み液晶のスマートフォンや画面占有率180%のスマートフォンが発売され、100万を切る価格での民生用人工筋肉搭載のパワードスーツが発表され、ゴーンが日産でやっちゃってたり、トランプが大統領だったり、ジョンソンがイギリス議会を閉鎖してEUが存在意義を…これは何度もあったか。とにかくとっくに現実はカオスでありファンタジックともいえる。

サブスク解禁とは?

Perfumeの時もやたらと話題になったサブスク解禁の反応が不思議でしょうがなかった。うまく言語化できない気もするが、試みる。サブスクはとても便利だし自分も使っている。特にNetflixはずぶすぶであるので、利便性や費用対効果的な側面ではすごく体感している。

しかしそれは、プラットフォームとしてのNetflixを評価しているのであることに近い。きっかけはETを掘り起こすドキュメンタリーを放送する唯一だったからだ。Amazon primeに入った要因の1つはジェレミークラークソンだが、それはAmazon primeを通してのみ投資できるオリジナルコンテンツであるからだ。つまりはそれらのプラットフォームはコンテンツを供給するスタジオでもあるからなのだ。

Perfumeや星野源の楽曲へアクセスする方法はサブスクが解禁されなくても存在してた。そして既に人気ある。一体何が誰に何のために禁止されていたのかが分からないというのが違和感の理由かもしれない。つまり誰にむけて解除したのか。

所有の終わり?

電子書籍元年が複数通り過ぎて令和元年。果たして電子書籍は所有しているのか問題はサービス閉鎖とともに蒸し返される問題です。翻って映画や音楽の世界はそもそも所有してるかもしれないと思わせることもしないサービスで隆盛を誇る。わあ懐かしいなこの…そういったコンマリを阻害する物理的な思い出は残らない時代かもしれない。

そもそも最近の政府国家の仕組みはあまり個人の所有を認めてるフリしかしてない。クルマは買う時もその後も継続的にあらゆる側面で税金を払う。これはいわばレンタルであるとは昔から言われてきていた。土地にしても同様だし、家にしても、その課金のタイムスケールが月額か一年なのかそうでないのかの違いではなかろうか。

気持ちの整理

私はプラットフォームに払っているというよりコンテンツを作り出してくれていることに対しての対価を唯一の手段として課金している。その気持ちでPerfumeや星野源の解禁を喜んでいる人をみると、なぜ既存の手段をとらないのかと疑問に思うのだな。そしてそれは同時にその程度の好きをなぜ表明してしまうのかと、よくわからないがそんな気持ちになる。

湧き立つ疑問

なぜ映像部門はスタジオ化できるのに音楽部門はレーベル化できないあるいは成功していないように見えるのだろう。というかサブスクでは出版も衣料品もあまり成功はしてないのをみるとむしろなぜ映像部門は成功できるのだろうか。

当然既存の業界構造がネックなのだろうが、それは映像部門とて同じではないのか。テクノロジーとの相性だろうか。

サラリーマン

サラリーマンとはつまり経営者から見ればサブスクの1つである。ギグエコノミーや副業や転職など、サラリーマンはむしろ自分を再所有しようとするトレンドにある気がしているので、コンテンツ界隈とは逆をいっており、ここがまた趣深い。そうは思わないか?



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