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私の履歴書 新卒採用担当

はじめに

こんにちは!採用担当の「ハヤサカ」です!

僕は2023年11月からピーアール・デイリーに人事として入社をしました!

これからnoteを通してピーアール・デイリーの魅力を発信していきます!
そのためにまずは皆さんに恥ずかしながら僕のこれまでの学生時代までの
歩みを簡単にご紹介して、
どんな人物なのかを知っていただこうと思います!

◆幼少期編

僕は生まれつき弱視でした。
小さいころから母や祖母に
「テレビを近くで見すぎ」
と言われていました。
きっと母や祖母はなぜ僕がテレビを企画で見るのか疑問だったでしょう。

その疑問が解消するのは幼稚園に入ってからです。
幼稚園で視力検査がありました。
なんと全然見えないんですよね笑

そこからはじめて眼科に行き、弱視であったことが発覚します。
ここから長い長いメガネとの共同生活がスタートしました。

◆小学生編

 さて小学生のころの僕はというと
「人見知りのシャイボーイ」
でした笑

学校では先生に当てられて発表するとかいう苦痛なイベントが
あるかと思います。
僕にとっても当然苦痛で、
シャイな僕は当てられると泣き出してしまう始末でした。
当時の先生方は相当頭を悩ませたことでしょう。

正直小学生時代はこれくらいしか書くことがありません。
それくらいシャイだったのです。

しかし中学校に上がり、僕の人生は少しずつ変化していきます。

◆中学生編

 中学生になって最初の苦痛イベントを皆さんは覚えているでしょうか。
それは「委員会決め」です。

当時の僕は
「図書委員とか、そういうのでいいや」
と思っていました。

しかし僕の人生の変化は唐突にやってきます。

学級委員がまーーーーじで決まりませんでした。
誰も手を挙げないのね。

その状態が長時間続きました。

「早く帰りたい・・・」
誰しもがそう思っていたでしょう。

そして沈黙に耐え切れなかったハヤサカ少年は手を挙げます。
学級委員になってしまいました…

「いやだなあ」と思っていた僕でしたが
沈黙に耐え切れない性格のハヤサカ少年は
もう一つ大役に手を挙げてしまいます。

それは「学級委員長」です。
学年の学級委員をまとめる役割が学級委員長です。

ネタバレをすると僕は3年生の最後まで、この学級委員長を務めます。

学級委員長の何が大変かって、
定期的に学年のみんなの前でしゃべらないといけないんですよね。
学年集会とか。
しゃべることなくないですか?

担当の先生に「話す練習だと思って話せ」と言われた僕は、
原稿を書き、先生に持っていって見てもらいます。

最初のころは「つまんない」と先生に言われていました。
そんな冷たいこと言うなよ先生。

でも人間というものは回数を重ねると成長するものです。
だんだん原稿を見なくても、書かなくても、話せるようになってきました。

だんだん先生も「原稿見せなくていいよ」というようになりました。
きっと毎回見せられるのがめんどくさかったのでしょう。

3年間もやっていたものだから、人前で話すは苦ではなくなりましたし。
「ハヤサカ」の話は心が動かされると同級生から言ってもられるように
なりました。

この経験が僕が人前で話す際の基礎になったと感じます。

◆高校生編

さて、高校に進学したハヤサカくんは2つの目標と野望を抱きます。
1つ目は「合唱」をやりたい。
2つ目は「生徒会長になる」
です。

なぜ合唱をやりたいと思ったのか、それは中学校の頃の合唱コンクールでした。
世の中の男子の大半は合唱コンというイベントは苦手だったはずです。
「ねえちょっと男子~」という女子の声が脳内再生されます。

しかし僕はこの合唱コンで「歌うの楽しいやんけ」と思います。
文部科学省の皆さん、良かったですね。
その結果高校では合唱部のあるところに行こう、と思い、市立高校で唯一合唱部のあった高校に進学をします。

そして「生徒会長」になるですが、学級委員長ですっかり気をよくしたハヤサカくんはもっと大きいことがしたいと思うようになります。
その結果、生徒会役員選挙に立候補をします。
生徒会長は2年からしかなれないので、役員としてまずはスタートしなければなりません。
生徒会長になりたいと思っていた僕は、立候補者の演説でこう宣言します。
「来年僕は生徒会長になります!」
演説順も一番最後だったこともあり、生徒の印象に残りました。
そして1年後、僕は宣言通り生徒会長になります。

生徒会長になった僕はさまざまな「改革」に取り組みます。
まずは目安箱の設置。
生徒の意見を聞き、変えれるものは変えるために必要だと思いました。
ちなみに数年後僕は教育実習で母校に帰りますが、姿かたち変えずに目安箱は存在していました。

そして校則変更への取り組みです。
当時の母校では冬場にセーターはいいけど、カーディガンはだめという
よく分からないルールがありました。

生徒指導部と何回話しても納得できる理由は来ませんでした。

そこで生徒会メンバーはこの校則を変えるべく動き出します。
まずは生徒にアンケートを取り、
中学校時代にセーターとカーディガンはOKだったか
を聞きました。

中学校時代にカーディガンがOKだった場合、そのまま使えればコスト削減になります。
それにセーターは割高な傾向にあります。
そのようなエビデンスを集めました。

また全校集会などで生徒のマインドを変えていくことにしました。
「校則を変えるべく動いている」
「しかし、変えるためにはまずは今あるルールをしっかりと守ることで、守れるという姿勢をみんなで示していきたい」
と僕は常に伝え続けました。

結果、僕が卒業するまでには校則を変えるに至りませんでしたが
後輩たちが進めていくための土壌を作ることができました。

この「改革」への姿勢は、常に僕の人生の根幹となっていきます。

◆大学生編

僕は國學院大學文学部日本文学科に進学をしました。
選んだ理由は高校の恩師の母校だったからです。

高校2年生の時、当時古典が苦手だった僕は異動してきた恩師と出会います。
恩師は教え方がうまく、また授業が面白く、瞬く間に僕は古典が得意になり
学年でもトップクラスの成績になります。

当時学校の先生になりたかった僕は、国語の先生になろうと思い、恩師と同じ学校へと進学をしました。

そしてサークルでは合唱サークルに入りました。
正直、僕の大学生活はほぼこのサークルで構成されていると言っても過言ではありません。(勉強しろよ)

合唱サークルに入った僕はまた野望を抱きます。
「指揮者をやりたい!」

野望を抱いた僕は止まりません。
指揮者をやりたいと宣言をしてまわりました。

このサークルでは後任の役職者が選びます。(形式的な選挙はやりますが)
指揮者をやりたいと言って回っていた僕は指揮者に選ばれます。

合唱ガチ勢だった僕は気合いたっぷりに指揮者を2年間務めました。
「ハヤサカのステージに乗ってよかった」
と言われた時はうれしかったのを覚えています。

おわりに

そんなこんなで僕の学生時代は過ぎていきました。
今振り返れば、学生時代の経験が今の僕を作り上げていることがわかります。
社会人になってからの話はぜひ、説明会やインターンシップであったときにお伝えします!


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