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異なるまなざしで作品を見る——Q/市原佐都子『妖精の問題』オンラインツアー トークセッション

現代日本社会において嫌悪や差別の対象となり、ときに見えないことにされているものごとに「妖精」の名を与え可視化してみせたQ/市原佐都子『妖精の問題』。2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件をきっかけに書かれ、2018年にはKYOTO EXPERIMENTの公式プログラムとしても上演されたこの作品が、オンラインツアーという形で中国とインドネシアで上演された。今回のオンラインツアーでは上演後、現地のプロデューサーやアーティスト、観客とのトークセッションも実施。以下では中国版、インドネシア版それぞれのトークセッションから一部をお届けする。


観客にとっては見たくないものに対峙する経験ともなり得る本作だが、美醜や老いに対する考え、あるいは性的規範は文化によって異なり、ゆえに観客の反応も国や地域によって違うものになるだろう。自らのものとは異なる文化圏の観客がどのように作品を受け取り何を考えたのかを知り、あるいは逆に異なる文化圏の作家が何を考えて作品を作ったのかを知ることは、単に作品に対する理解を深めるだけでなく、自らの思考や固定観念を相対化し、無意識に自分や他人を縛っている(かもしれない)ものから自由になるための絶好の機会となるはずだ。


中国版では舞台版『妖精の問題』の映像上映のあと、上海の現地プロデューサーであるZhang Yuan、演劇評論家で俳優のShi Ke、同じく上海で活動する女性だけの劇団・老妖精に『妖精の問題』の作者で劇作家・演出家・小説家の市原佐都子を交えトークセッションが開催された。

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トークセッションの様子

「女性の作品」の問題

冒頭、本作と市原に対する評論家 木村覚の言葉として「女性ならではの視点から描かれているという点で、現代日本戯曲の空白地帯を埋める作品であり作家である」という評価がZhangから紹介されると、参加者からはその評価に対する反論ともとれるコメントが寄せられた。

Shi 女性としての体験がベースにあることもわかるのですが、作品の中で第一に描かれているのは性別によるアイデンティティではなく、過度に性別にフォーカスしてしまうともっと重要なもの、たとえば社会の周縁に追いやられてしまっている人や社会の中で声をあげられない人というテーマが見えづらくなってしまうのではないでしょうか。

市原 私としては最初から女性の問題を描こうと強く考えていたわけではなく、自分の実感を持って考えられる問題や自分の体のことにフォーカスしていった結果、女性的だという感想を多くもらい、結果として女性ということを意識するようになっていったというのが正直なところです。そういう意味では、観客こそが女性という部分を強く意識して作品を受け取っているんだと思います。

老妖精 市原さんの言っていることもよくわかりますが、自分たちとしては創作するにあたって女性であることは避けて通れないことだと考えています。私たちは否応なく女性であることに直面していますし、それは当然のことです。そこには男女の不平等という問題があって、評論家が作品の女性性に触れること自体、平等でない現状を示しているものだとも言えます。平等であればこのようなトピックはわざわざ取り上げられないはずですから。だからこそ、自分が中立的な立場を取っているということをわざわざ表明する必要もないと考えています。

作品の形式について

Zhang 中国の現代演劇では、脚本家と演出家が分かれており、同じ人が両方やることはあまり一般的ではありません。この作品は市原さんが戯曲を書いた上で演出を決めていったのだと思いますが、一人の俳優で演じることや三部構成のそれぞれの形式についてはどのように決まっていったのでしょうか。

市原 竹中香子さんという一人の俳優と作ることは最初から決めていたので、戯曲は彼女と密にコミュニケーションを取りながら書きました。なので、戯曲を書きながら演出も考えていったということになります。
第一部「ブス」については、「ブス」という概念は曖昧で、美醜の価値観は人によって様々なので、観客ひとりひとりの想像力に強く訴えかけるのに向いた形式ということで落語の形式を借りました。
でも、必ずしも全ての形式が最初からテーマに沿うものとして選ばれたわけではなくて、俳優との協働作業の中から出てきたアイディアも多いんです。たとえば、竹中さんはセリフを覚えるのが苦手で、それなら楽譜にしてしまえば台本を譜面台に置いておけるんじゃないかということで音楽を使うことに決めたり、逆に竹中さんは人とコミュニケーションを取る能力が高いので、それを活かそうと思ってインタラクティブなセミナー形式にしてみたり。

Shi 俳優との協働作業で創作していくスタイルは中国の現代演劇においても一つのスタンダードです。必ずしもテーマから導かれた形式ではないということでしたが、何かを訴えるときに、諭したり叱ったりするのではなく、今回の作品であれば俳優がブスやゴキブリを演じていたように、コミカルな形で表現した方がそれを見た観客が自分で考えるので効果的なことがあります。そういう意味で、テーマを表現するために形式としての大衆文化がうまく使われていると思いました。

観客からのリアクション

ゲストによるトークセッション後には観客からも多くの質問や感想が寄せられた。「なぜ衣装がオムツなのか」「なぜ妖精なのか」「なぜ女性器をあからさまな形で扱うのか」といった日本でのQ&Aでも出そうな、同時に作品の本質に関わる質問もあれば、日本語と中国語で同じ単語が使われている言葉のニュアンスに関する質問もあった。たとえば中国語の「妖精」には「普通の人間と異なる部分を持つ人間」という意味もあるらしい。
また、こちらは翌日のインドネシア版のトークセッションで言及されたことだが、中国語への翻訳にあたっては「交尾」という言葉が日本語でどのようなニュアンスなのかが議論になったそうだ。こちらは動物の生殖行為を指す点で中国語と日本語のニュアンスに違いはなく、また、作家の意図としても、さまざまな欲望のまとわりつく人間的な性交という言葉ではなく、原初的な欲望や行為としての生殖を示すために交尾という言葉を使っていたということが改めて確認された。
他にも、この戯曲はフィクションなのかそれとも事実に基づいているのかという質問や、コロナ禍の状況ではこの作品の受け取られ方は変わってくるのではないかという質問もあった。時代的な背景もまた、作品にとっての文化的なコンテクストの一つとなる。

市原 オンライン版についてはコロナ禍に入ってから作ったものですが、基本的に戯曲は変えずに上演しています。たとえば作中には「殺菌は本当にいいことですか?」というセリフもあって、今の状況でそれを聞くと、殺菌しないと人の命が失われるかもしれないということが強く意識されることになるとは思います。現実で今、「殺菌しない」という主張をする人が現れたら危ない人として扱われてしまいますが、演劇という嘘のなかではそういう人を描くことができる。それによって現実を別の角度から眺めることができるかもしれませんし、そういうことを描けるのがフィクションの力だと思っています。


翌日のインドネシア版では日本人俳優によるオンライン版『妖精の問題』の第二部までを上映した後、第三部をインドネシアの現地俳優の演技に日本人俳優の映像を一部組み合わせたハイブリッド版として上演。続くトークセッションにはインドネシアからジョグジャカルタを拠点にプロデューサーとして活動するMuhammad Abe、舞台芸術研究者でプロデューサーのRebecca Kezia、俳優のArsita Iswardhani、戯曲のインドネシア語への翻訳を担当した俳優の横須賀智美、中国版から引き続きZhang Yuanと老妖精のCuixi、そして市原が参加した。

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インドネシア版配信の様子

舞台版とオンライン版の違い

Abe Rebeccaは2018年にジョグジャカルタで行なわれたフェスティバルでインドネシアの俳優によるリーディング上演も見ています。今回、オンライン版を見て印象の違いはありましたか。

Rebecca オンラインだと作品が観客に与えるニュアンスが変わってくる部分があるとは思いますし、舞台とは違う意味で何が起こるかわからないZOOMという即興的なプラットフォームで上演をすることは一つのチャレンジだと感じました。ただ、当然ですが扱っている問題に違いがあるわけではありませんので、今日は主に戯曲について話したいと思っています。

Cuixi 日本のオンライン版の俳優はおそらく実際の生活空間から配信していて、それが見えることによって感じられる作品のイメージというものがあるなということを強く感じました。

Zhang 昨日の中国版では舞台版の記録映像を上映したんですが、私は今日のオンライン版からはかなり違った印象を受けました。全く違う作品にも思えます。舞台版の記録映像の上映ではそれを見る観客の側からは演劇的な感覚はかなり失われてしまいますが、オンライン版はやはり映像作品ではありますが演劇的な感覚を感じることができました。また、舞台版は一人芝居として上演することで観客の想像力を喚起していましたが、オンライン版では登場人物ひとりひとりに俳優が割り当てられています。観客の想像力へのアプローチの仕方が全く違っています。今回のオンライン版では本編の前にインドネシアの俳優がやりとりをする場面が置かれていましたが、あれも観客の想像力に働きかけるための工夫だったのでしょうか。

市原 インドネシアの俳優によるイントロダクションは、ネットが不安定だったり視聴者側の画面や音の操作の問題があったりと、オンラインならではの環境をケアするために用意したパートでした。もちろん、画面上とはいえライブであることを感じてもらいたいという意図もあったので、そういう意味では観客の想像力に働きかけるために重要なパートでもあります。

固定観念を揺るがすもの

Rebecca 妖精というのはある集団が持つ神話や物語の中に存在する超自然的な生き物で、ある現象を説明したり、抽象的な観念を対象化したりするために、生み出され描かれてきた存在だということができると思います。シェイクスピアに登場する妖精を見てもわかるように、普通の人間の役とは違う力を持っていて、物語を捻じ曲げたり、ドラマを引き起こすことができる、あるいは善悪を二項対立ではない視点から捉える役割を持っています。この戯曲には、はっきりした形で登場するわけではありませんがそのような妖精のモチーフが通底しています。
それはまた、何が普通で何が普通でないのかについての集団的な決定のあり方を示すものでもありますし、人間が人間だけの世界ではなく、より大きなエコロジーのなかでどのように生きていくのかという問いにもつながっていくものだと感じました。
異なる視点を持ち込むという意味では、本編冒頭で竹中さんは日本の満員電車の異常性について語りますが、彼女は「普段はパリに住んでいる」ということを前置きしてから語りはじめるわけで、これは非常に重要な部分だと思いました。

Arsita この作品で描かれていることの多くはインドネシアでも同じように重要な問題ですが、一方でおそらく異なる受け取り方をされる部分もあるなということも感じました。たとえば老いの問題。第一部で老人介護の話題が出ますが、インドネシアでは年老いた両親の面倒は実家で見ることが美徳とされていて、老人ホームに入れることはタブー視されているとさえ言えます。それは日本の感覚とは異なるのではないでしょうか。

Cuixi 美醜についても同じようなことが言えると思います。インドネシアのワヤンなどの伝統芸能を学んでいると、醜さというのが必ずしも嫌悪の対象としては描かれていないことに気づきます。アジアの伝統芸能では人と違う顔、醜い顔を持っている人物が人気者として描かれていることも多くあります。そういうものに触れていると、醜い顔がネガティブに捉えられるのは極めて近代的な価値観なのではないかと思えるんです。なので、伝統芸能に親しんでいる観客がこの作品にどのように反応するだろうかということが気になりました。

市原 美の基準は社会的に作られるものなので時代や場所によって違っています。上演される場所によって作品の受け取られ方が変わるということ自体がこの作品のテーマと重なっていて、そういう反応はとても面白く受け取っています。

「まんこ」の問題

Rebecca 第三部は科学的なセミナーの形式をとっていますが、そのなかで「メメック」(日本語の「まんこ」にあたる)という言葉が使われていることが非常に面白いと思いました。インドネシアではそういう性的表現を公の場で口にすることにはかなり慎重にならなければなりません。だからこそ、フォーマルなセミナーの形式のなかに「メメック」という言葉が登場することでその言葉に対する私たちの偏見が強く自覚されるように感じました。

横須賀 私は作家の言葉をなるべく壊さずに伝えることが翻訳者の使命だと思っています。自分はインドネシア在住なので、インドネシアでメメックという言葉は公の場では口に出すことのためらわれる単語だということも知っていますが、戯曲の特徴をきちんと翻訳するということを考えるとメメックという言葉をもっと穏当な表現に置き換えるという選択はありませんでした。
インドネシアには450以上の民族がいて、それぞれ文化も違います。だから、インドネシアで日本のカンパニーの字幕付きの上演があるときは場所によって字幕もちょっとずつ変わっていきます。私が翻訳をするときはまず言葉の専門家が訳し、俳優の自分が直し、現地のインドネシア人にチェックしてもらうというステップを踏んでいて、今回「まんこ」をどう訳すかについてもインドネシア人に相談して決めました。メメックと似たニュアンスの単語がもう一つあったんですけど、ヨーグルトと組み合わせたときに元の「マングルト」に似た「メメグルト」という響きになるということでメメックという言葉を使うことになったんです。
いずれにしても、そういう言葉が使われていることはこの作品の大きな特徴なので、そういう質問がこの場で出たことはうれしいです。

Zhang 実は中国語の字幕では性器をどう表現していたのかが記憶に残っていません。改めて確認したいと思います。

市原 男性器に比べ、女性器がタブー視されている空気を創作当時に感じていたので、そういった固定観念を刺激してみたいと「まんこ」という言葉を使用しました。やはり日本での初演のときには、男性が「ちんこ」と言うのはオッケーだが女性が「まんこ」と言うのには抵抗感があると一部の男性の観客から言われました。
こうやって様々な場所・言語で上演することで各言語の女性器の呼び方を知り、観客の反応を見るのも面白い経験になっています。

(取材・文:山崎健太)

Q/市原佐都子『妖精の問題』オンラインツアー
アーカイブを限定配信!
期間:6月21日(月)〜6月27日(日)
トークセッション(日中)https://youtu.be/vxRNvtpB0Ow
インドネシア版配信 https://youtu.be/G0XzPHNtY_s
トークセッション(日中尼合同)https://youtu.be/HiEsGfSHY2k

特設ページ:http://drifters-intl.org/event/category/others/1366(ドリフターズ・インターナショナル)

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