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“分かりやすい”ってどういう状態?

ものすごく頑張って「これなら絶対分かってもらえる! この書き方なら誰でも分かるはず!」と信じて満を持して提出したレポートに、「分かりにくい、どういう意味?」と返ってきて、絶望したことはあるでしょうか。
あるいは、そんなことになると怒りを覚える人もいるかもしれませんね。

そもそも分かりやすい文章とはなんでしょう?
あるいは、そんなものは存在しない幻なんでしょうか。

いつもありがとうございます。
もしくは初めましての方、記事を見つけてくれてありがとうございます。
私は20~30年ほどエンジニアとして仕事をしております、中島と申します。

この 絶対バグらないシステム作ろうぜの会 は、トラブルの起きないシステム、トラブルを起こさないチーム運営をしていくうえで大事だと思うことを、なるだけ面白いコラムにしてお読みいただく主旨となっております。

私自身、過去にこういう怒り方をする人に会ったことがあります。
「こっちは分かりやすく説明してやってんのに、なんで分からないんだ」

まぁ、つまりは 分かりやすい という言葉の意味を勘違いしている人、ってことなんですが。
分かりやすいかどうかは聞き手が決めることであって、話し手側が決めることではありません。
話し手側がどんなに丁寧に掘り下げて説明したところで、聞き手にとって分かりづらいものは分かりづらいのです。

だとすると、“分かりやすい” ってようするにどういうことなんでしょうか。

1. 一番根本的な 分かりやすい の定義

説明下手な人が勘違いしがちなポイントとして、“分かった” が感情を現す言葉だ、という視点が欠けていることが挙げられます。

分かった = 脳内で情報が整理できた

と捉えがちな人の中には、“理解とは、感情論を抜きにして機械的にやらなければならない” と考える人も多いです。
ですが、この認識がそもそも誤りなのです。

“分かった” は人間の感情の1つであり、本質的に脳内での情報整理が完了した状態を現す言葉ではありません。

たしかに通常多くの場合、“分かった感” は頭の中で情報の整理が終わったときに起こります。
ですから日常生活の大部分は “分かった = 情報が整理できた” です。

だったとしても、“分かった” と “情報が整理できた” は同じではありません。
この2つが常に必ずいつでも絶対に同等であるなら、「心情的には理解できる」「理屈としては分かる」なんて言い回しをする人がいるはずがないんです。
つまり 分かった感 が発生するかどうかは、頭の中での情報整理が完了しているかどうかとは関係がないのです。

下手な人が説明をするときは、“相手が分かった感を感じているかどうか” を無視する傾向があります。
なぜなら、そういう人は「理解とは、感情論でやることではない」という考え方が根深いからです。

そうではなくて、「分かった!」は感情です。
一般には、脳内に発生する「分かった!」という信号のことを、“納得感” とか、場合により “アハ感” などと呼んだりします。
で、資料や言葉などが、そのような脳内信号を発生させやすいような状態になっていることを、通称 “分かりやすい” と呼ぶわけです。

ですので “分かりやすい” は、“頭の中で情報整理しやすい” とは必ずしも同じではないのです。
通常多くの場合は同じですが、だからって常にではありません。

2. 何の情報もないのに納得できる例

まぁ、たとえばこういうのですね。

  • カレーは常に美味しい

はい。
この文章が納得いかない方、いらっしゃいますでしょうか?
「そんなことはない! 世の中にはマズいカレーだってある!」なんて人。

もし仮にそんな人がいたとしても、以下はどうでしょう。

  • カレーは多くの場合、美味しい料理ランキングの上位に食い込む

世の中の大部分の方々に、「そりゃそうだろ」と思ってもらえるのではないでしょうか。

ですが反面、この “カレーは美味しい” という文章は、正直申し上げて一切なにも情報を伝えていません。
一般的な日本人の共通観念を伝えているだけで、新しい情報は何もなく、だから文章としての価値も全くありません。

でも、だったとしても、説明として分かりやすいですよね。
少なくとも “納得感” がちゃんとあります。

もし、説明下手な人達のいうように “分かった = 頭で情報が整理できた” であるならば、新情報の何もないこのような文章には、納得感は発生しないはずです。
ですが実際には、“カレーは常に美味しい” という文章には強い納得感があります。

なぜか。
これは単純なことで、この情報が聞き手が正しいと知っている情報だけで構成されているからです。

3. “分かりやすさ” は聞き手の既存情報との突合によって発生する

なぜ、何の中身もない、ただ下らないだけの情報に納得感が生じるのでしょうか。
それは、そもそも “分かりやすい” とは、すでに正しいと分かっている情報と照らし合わせ、矛盾がないという状態のことだからです。

カレーが美味しい という情報は、通常多くの人にとって周知の事実であり、かつ正しいものです。
ですので、そこにあらためて カレーは常に美味しい という新情報が入ってきたとしても、既存の知識と何の矛盾もしません。

だから簡単に納得できるのです

反面、以下の情報はどうでしょうか。

“カレーの美味しさは、各種味蕾細胞および味覚と錯覚しうる感覚の各信号レベルが、その平均値に対して均一に近似値を取るときに生じる”

さてさて。
この文章は分かりやすいでしょうか。

私、趣味でカレー研究などやっておりまして、美味しいカレーに関しては(プロにはかないませんが)それなりに一家言あります。
なので上記の文章が正しいことそれ自体にはそこそこ自信があるんですけど、果たして、皆さんに納得してもらえるものでしょうか。
多分、カレーに相当詳しい人に言ったとしても、納得はしてもらえないでしょうね。

言ってることは正しいのになんででしょう?

答えは簡単で、文章内に聞き手がすでに知っている情報が少なすぎるのです。
だから、そこに書かれた内容がどんなに正しくても、納得など誰にもできません。

ですのでこの文章は、以下のように書き換えることで分かりやすくなります。

変更前:
“カレーの美味しさは、各種味蕾細胞および味覚と錯覚しうる感覚の各信号レベルが、その平均値に対して均一に近似値を取るときに生じる”

変更後:
“カレーは、辛味・甘味・酸味 などの味の調和が取れているとき、より美味しく感じる”

変更後の文章であれば、よっぽど料理音痴の人でないかぎり、何となく納得してもらえるようになったのではないでしょうか。
なぜなら、一般に多くの人が知っている言葉だけで説明しているからです。

4. 情報量が減るのは怖いこと?

分かりやすい文章があまり得意でない人の一部に、情報量を減らすことを怖がる人がいるようです。
みんなに分かってもらおうとして説明をどんどん足していってしまう人。

なぜなら、情報量が減ると、それだけ細かい部分で誤解が生じる可能性が高まるためです。
なのでより正確に表現しようとして、あらゆる説明を詰め込みに詰め込みまくってしまうのです。

そういう人はおそらく、過去に “情報量が減った” ことによるコミュニケーショントラブルを、実際に経験したことがあるのでしょう。
または、リリースされてからの運営期間が長ければ長いほど建て増し住宅のように機能が肥大化していくWebサービスの類も、同じ問題を抱えているといえます。
過去に生じたトラブル・要望の類を、情報量を増やすことによって解消しようとしているためです。

たしかに、説明が足りなくて分かりづらかったものを “質問されたので補足したら分かってくれた” 経験がある人にとっては、「だったら最初から補足説明が書かれていればよい」という発想は自然なものでしょう。
そういう人にとって説明を省くことは、質問に答えられないのと同じことです。

ただしこの予め補足説明しておく、という方法論には、誰がどんな説明を欲するかは、あらかじめ想定は不可能という問題があります。

たとえば ChatGPT が無料のWebサービスとしてローンチされて以降、あれに資料作りをやらせようとする人をチラホラ見かけるようになりました。
ChatGPT はあくまで自然言語処理のAIであって、機能自体は “自然な文章を作るだけ” です。

調べごとをしたり、理論を自力でまとめるような完全AIではありません。
情報を取りまとめる機能は、デモンストレーションのために搭載してあるだけのごく簡易なもので、かつ、それはシステムの本体ではないのです。

ChatGPT は、理論としてすでに出来上がった状態のものを、自然な人間語に変換するだけのシステムです。

オマケ話:
内部の構造の話をするなら、ChatGPT は最初に(or次に)来る可能性の高い単語を統計的に推定する処理を繰り返すだけのシンプルなロジックになっていて、言語文法の解析はしていません。
サンプルとなるデータが膨大であることによって “創発現象” というものが起こり、人間の目にはさもコンピューターが考えているように見えるだけです。
言うなれば「世の中平均の模範解答を作っている」ようなもので、仕組み的には完全AIの代わりにはなりようがなく、とりわけ新しいものを生み出す作業には向きません。

ですが世の中には、あれを完全AIであるかのように使おうとする人が、結構な割合でいる印象です。
そういう人の数が多いということは、それだけなぜ勘違いをしたのかの理由の種類もそれだけ多いということで、疑問点を予め想定するとしたら、そのリストは莫大なものになるでしょう。
それらに余さず答え尽くすのは、正直言って人間業ではありません。

ゆえに、“情報量を増やす” ことによって分かりやすい説明を作ることは現実的ではないことになります。
(たまたまできてしまうことはあるでしょうが、常にいつでも必ずできるわけではありません)

5. 情報量を増やさずに正確性を担保するには?

だからこそ説明は、短く情報量の少ないまま分かりやすくする必要があるのであって、そのためには相手が知っている言葉だけで説明することが重要です。

ChatGPT を素人さんにも分かりやすく説明するには、“13億ものパラメーターを持った自然言語処理AI” という言い方では全く持って不十分です。
「パラメーターとは何か」「自然言語とは何か」「処理とは何か」など、意味が分かりづらい文章も多く、また「AIとは何か実は分からない」「13億という数値がピンと来ない」人だっているだろうからです。

なので、素人さんでもほぼ確実に分かるように説明するには、誰でも知ってる言葉だけで説明文を作ります。

“ChatGPT は、巧い言い回しを考えてくれるアプリのうち、最新式のもの”

この言い方であれば、あのAIの本質に対してかなり正確です。
あくまで “巧い言い回しを考えるだけ” なわけですから、資料作りを代わりにやらせようとしたり、代わりに調べ物をやらせようとしたりする人は減るでしょう。

たしかにこの言い方では ChatGPT がどれだけ凄いかは全く伝わりませんが、でもそれは、まず存在を知ってもらってからあらためて伝えればよいことです。
全く何も知らない素人さんに対して、一段論法で無理やり情報を詰め込む必要は全くありません

ですので、説明を分かりやすくするポイントはこんなところでしょうかね。

  • 説明文中に登場する単語を、読み手がすでに知っている言葉に限る

  • 読み手がすでに事実だと知っていることを引用する

  • 読み手にとって耳慣れない言い回しをしない

そして、これらの考え方を1つにまとめると、“読み手ファーストな書き方をする” という言い方にでもなるでしょうかね。
そうすることが、分かりやすい説明をするための秘訣なんじゃないかなと、私なんかは思うわけです。

それではまた。

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