3行日記_Copy

ラブ・ストーリーは突然に|東京ファーストレビュー #0

僕が「東京」に初めて出会ったのは、ある「ラブ・ストーリー」がキッカケだった。

僕にとって東京は異空間

1981年に大阪で生まれ、ある理由(話せば長くなるのでこちらを読んで)により長崎県五島列島で育った、現在長崎市在住の37歳(2019年時点)の僕。

地方のど田舎を極めたような世界で育った僕にとって、東京という街は異空間でしかなかった。だから、37年もの間、一歩たりとも1ミリたりとも東京という場所に足を踏み入れることなく生きてきた。

なぜ東京という街が僕にとって異空間になったのかは、思い出せばまだほんのり恥ずかしさの香りがまだ残る、思い出のせいだ。

東京との最初の出会い

1991年、フジテレビで放送されていた織田裕二と鈴木保奈美のテレビドラマ「東京ラブストーリー」。ドラマの平均視聴率は約22%、最終回は視聴率33%を越え、「月曜の夜は街からOLが消える」と言われるなど、社会現象にもなった伝説のドラマだ。

当時は世間がそんなことになっているなど全く知らなかったが、ブラウン管のテレビ越しに映った光り輝く東京という街のネオンをバックに展開していく2人のラブストーリーは、10歳の僕をいとも簡単に虜にした。

それが「東京」という街との最初の出会い。

もちろんそれだけ社会的現象を巻き起こしているテレビドラマであったので、一家に1台のテレビの月曜9時は、家族全員の合意のもと「東京ラブ・ストーリー」が独占した。

その東京ラブ・ストーリーを毎週家族で観ることが日課にもなりつつあったのを覚えている。けれど、我が家の「東京ラブ・ストーリー」の平均視聴率は5話目以降に突然0%になった。

我が家の「東京ラブ・ストーリー」の平均視聴率が5話目以降に0%になった理由

何度目かの月曜9時、なんとも言えない一体感で家族全員がテレビの前に集結し、ドキドキしながら進んでいく織田裕二と鈴木保奈美の掛け合いにハラハラドキドキしていた。

そしてそれは起こった。




「かーんち、セックスしよ」




……せっくす?



10歳の僕だったが、キスまでは辛うじて手が届く位置にあったとしても、「セックス」という言葉に関しては、手を伸ばしてはいけない、まだ触れてはいけな場所にあるものだということはすぐに察しがついた。

鈴木保奈美から自然と繰り出された、10歳の僕にとってはあまりにも衝撃的なそのセリフは、「10歳の子とは一緒に見てはいけないテレビドラマ」という衝撃波を家族にも繰り出していた。

そのセリフが聴こえた瞬間に、ありふれた日常の、ありふれた家庭の、ありふれた家族団らんの温かい時間に視聴していた、裸の男女の絡みもなく、卑猥な喘ぎ声もない普通の恋愛テレビドラマが、一瞬にしてアダルトビデオへと切り替わった。

僕、母、父、それぞれが存在する世代や性別が醸し出すぎこちない空気に、「普段と何ら変わらない」という装いをピーンと張り詰めさせながら、そのアダルトビデオが終わるまで、ひたすらに家族全員が無言に徹していた。

それはちょうど1969年にアポロ11号計画でニール・アームストロング船長が、有人月着陸船イーグルで月面着陸した時に、全世界の5億人もの人々が自分とは全く違う世界を見ていた感覚と似ている。

明らかに、僕、母、父は、東京ラブ・ストーリーというテレビドラマを観ながら、それぞれが全く違う世界を見ているような空間になっていた。

まさにそれは異空間のように。

あんなにも楽しみにしていたテレビドラマが、あんなにも早く終わってほしいと切実に願ったことはあれが最初で最後だったかもしれない。

エンディングで流れる小田和正のチュクチューンが聴こえると、「待ってました!」と家族全員が心の中で叫び、サササッと解散。

しかし、自分の部屋に入った瞬間、忘れないでね と、僕の肩をポンポンと叩きながらあのセリフが心臓をえぐる。


せっくすしよ……


家の中のどこにいたとしても、なんだかものすごく恥ずかしいという情緒を漂わせた夜になった。

それ以来、我が家の「東京ラブ・ストーリー」の平均視聴率が5話目以降に0%になったというわけ。

破廉恥な街 東京

その影響もあって10歳の僕には、あまりにも衝撃的で破廉恥な街という偏見が「東京」に定着した。

それから東京は、僕が大人になっていく中で色々と変化を見せてはいたけれど、それは、「ドラッグ」、「闇」、「嘘」、「殺し」とか、なんともネガティブなものばかりがなぜかアップデートされていった。ほんと怖いなって、東京は。そればかりだった。

東京で暮らしている誰もが変態であり、常識を越えた超人であり、僕とは住む世界が全く違うのだと思った。それから異常なまでに怖いイメージを東京に抱くようになり、田舎ものは東京には絶対に行ってはいけないという見えないルールを、自らを守るかのように作り上げた幼少期を過ごした。

自分の人生すべてを掛けて何かに挑戦しなければならないコロシアム的な空間、それが「東京」。だから当時の僕は、キラキラと光りながらもメラメラと欲望が渦巻く東京がものすごく怖かった。

繰り返すようだが、そういうセンシティブな気持ちもあってか、37年もの間、一歩たりとも1ミリたりとも東京という場所に足を踏み入れることなく生きてきた。

もちろん成人した後は、東京という街のイメージはそれなり変わっていったけれど、なんというか、行きたいけど行けない、でも行ってみたい、けど行くのがなんとなく怖いという感情が、幼少期からだいぶほぐれてはいたが、まだ僕の中に少し残っていた。

ラブ・ストーリーは突然に

そして迎えた2018年12月某日、右手に持った油汗まみれのiPhoneを、擦り込むように耳に当てたまま激しく動揺している男がいた。そう、僕だ。

僕は、自分の好きなモノゴトをブログで発信したり、SNSを活用して色々なモノゴトの情報をインターネットに公開して、自分の好きなことを生業にしている。そんな活動をしていると、多方面から色々な仕事のオファーの声がかかることがある。

「イシハラさんのセルフ ブランディングの話をみんなに伝えてほしい」

そのような話を持ちかけてきたのは、各方面で多彩なセミナーを開催している運営者の方だった。

話すことは得意だけど、あまり人前で話すこと自体が好きではない。というよりも、人に何かを伝えるとか、伝えるために時間を割いてどこかに行くよりも、半径5メートルの大切な人と一緒に過ごすことの方が僕は人生において大切だと思っている。

こちらのnoteにも書いているように、基本的に僕は、毎日家に帰りたい。だから、セミナーや講演会の依頼が来ても二つ返事で断ることが多い。

その講演の依頼も、もちろん断ろうとしていた ー

「僕のような凡人が人前で話すなんてとんでもない。」とかいう見え透いた謙虚さをアピールしながら、当たり前のように「お断りします」という言葉が、喉の奥からジワリと顔を出そうとしたその瞬間 ー

iPhoneの向こうから 衝撃的な言葉が聞こえた。




「セミナーの開催場所は福岡,大阪,東京です。」




東京です?






東京?!





チュクチューン!



何から伝えればいいのかわからないまま時が流れて、浮かんでは消えていくありふれた言葉だけ ー


小田和正の「ラブストーリーは突然に」が頭の中で鳴り始める。


その通話を終えた後、油汗まみれのiPhoneのディスプレイをアウターの袖口で一度拭き上げ、そのままiPhoneを何度かスワイプ&タップ操作し、Apple Musicでクリス・ハートの「ラブ・ストーリーは突然に」をダウンロード。


その日から、少し気恥ずかしい家族との思い出を吹かせながら、車の中でチュクチューン!と流れ始めた。


東京ファーストレビュー # 01 へ続く(近日公開予定)


最後まで読んで頂きありがとうございます!ついでにあなたのFacebookやTwitter、Instagramの中で、一言なり二言なり、感想をシェアして下さいませ。