見出し画像

平凡とは何か?

最近の目標は「世にいう名作というのをとりあえず読んでおく」で、積まれている本から最近読んだ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。

サリンジャーの名前だけ知って生きてきた。

その昔、小学生だった私は「りぼん」に掲載されていた、吉住渉先生の「ママレード・ボーイ」という作品の中で最初にその名前を知った。

主人公の光希(みき)の親友茗子が、のちに恋人になる高校教師と図書館で初めて話をしたとき。好きな作家を聞かれて、「好きなのはサリンジャーなんです。平凡でしょ?」というセリフがある。へえ、サリンジャーは平凡なんだ。小学生の脳裏に刻まれる記憶。

○○○

そのまま読まないで時が過ぎて、「ライ麦畑でつかまえて」という邦題の訳書が主流ではなくなり、今はこちらの村上春樹さんの方がメジャーらしい。

そして、ちょっと前にやっと読んだ。

しかし、

「どこが平凡なのか、私にはわからない」

もしかすると、手に取るのが年齢的に遅過ぎたのかもしれない。

そもそも「ライ麦畑でつかまえて」という過去の邦題のイメージで、ライ麦畑で追いかけってこしてキャッキャウフフしてる十代の少年少女が出てくると思っていた。→全然違った。16歳の少年が学校をクビになり、実家に帰る前の数日間を寮から抜け出して、ニューヨーク市内でウロウロして、タバコを吸って(21歳以上のフリして)お酒を飲んで酔っ払って気持ち悪くなって、真夜中に知り合いに片っ端から電話して、呼び出して、悪態ついて怒らせて、を繰り返す話だった。

そしてこの「つかまえて」は誤訳なのか意訳なのか意見が分かれているようで、本の中では「ライ麦畑から落っこちようとする子どもをキャッチする人」という表現で出てくるので、もう何がなんだかわからない。

○○○

「70年も前なのに、若者の反抗心を瑞々しく描いている」とか、そういう書き込みを見たけれど。

私の感想は、客観的に見て、おそらく発達に何らかの困難を抱えている少年が、社会的なルールにおさめようとする大人や先生や友人たちからの心許ない対応に精神的に追い詰められ、学校を4回も続けてクビになるほど迷宮入りしているように感じられる。

そんな彼から見た社会はすべてが「ろくでもない」し、「気にくわない」。

社会のレールから逸脱しようとする彼を、ギリギリで食い止めるのは妹のフィービーで、彼女は兄に対して「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」と言い放ち、最後は世捨て人になるはずの彼を元の家に帰すことに成功する。

ただ、ひたすらに、ずーっと悪態をついている物語。(誰も彼も世界の全てに「クソが」と言い続ける主人公ホールデンの言葉の節々に、「一番クソなのは俺だ」というメッセージみたいなものをたまに感じるけど、それが本当なのかどうかわからない)

だけど最後まで読めたので、そこには何か魅力があるのか、どうなのか。

この本の巻末に、村上春樹さんの解説が載るはずが契約上載せられなかったようで、別の著書で解説代わりのことを書かれているらしい。今度はそっちを読んで理解を深めたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?