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「小説 名娼明月」 第51話:禅寺の奇遇

 今日は陽春三月の下旬である。龍造寺城下外れの、ある禅寺には、桃の花が盛りで、朝からたくさんの見物人が続いた。
 敵(かたき)の詮議に疲れた金吾は、この桃を見る気になって、昼過ぎより出かけた。なるほど、花は真っ盛りである。花間を逍遥する男女、草の上に坐して花を眺むる老若等、花に酔って一帯がいかにも陽気である。
 金吾が一渡り花を眺めて寺近く来ると、寺の縁先に坐して花見の群衆をおもしろそうに眺めいる老僧がある。金吾はこれをすぐに、この寺の住職であると見て、叮嚀(ていねい)に腰を屈(かが)め、花見に来た挨拶をした。人馴れたる老僧は、満面に笑みを湛えて金吾を迎え、坐を与えて、一見旧知のごとく語り出した。
 そのうち住職は、金吾の言葉使いに、しきりに耳を傾ける模様である。そうしてついに、

 「お国はいずれでありまするか?」

 と訊いた。
 この世俗放れた和尚へ何も古郷を秘する必要はあるまいと思ったから、金吾はありていに、備中の玉島であると答えると、住職は礑(はた)と膝を叩き、

 「自分にも備中玉島に知人がある!」

 と云う。
 聞いて金吾は驚いた。

 「してそれは、玉島の何人ぞ?」

 と訊かれて、住職は、忘れたる旧き記憶を呼び起こすもののごとくに目を閉じた。

 「されば今より十年の昔、愚僧、京都の某寺院に住職たりし砌(みぎ)り、ふとしたる機会より、伏岡左衛門という玉島の武士と知り合ったことがある。偶然の談話(はなし)より風流の意気自ら相投じ、互いに訪(と)いつ訪わるる二年の長日月、交情いよいよ厚かりしが、彼の帰国に先立ち、愚僧は四国は伊予の寺院に転じ、その後この寺に転じて来た」

 と聞いて、金吾はびっくりした。
 
 「その伏岡左衛門が…」

 拙者の父で、と口まで出かかったのを、金吾は無理に押えた。
 老僧を疑うにはあらねど、迂闊に口滑らして取返しのつかぬこととなっては、と危ぶんだからである。
 されば、その日は己の素性も明かさず、いい加減に話を繕って、一旦宿に帰った。
 そうして、かの老僧について考えてみた。

 「わが父の旧知なりと装ったのではあるまいか?」
 
 と、一応疑ってもみたが、それから重ねて二三度訪ねてみて、総ての疑念が晴れた。そうして、老僧の崇高な人格に、金吾は今まで挟みし疑念を恥じた。
 
 「かかる辺僻の地にて亡父の旧知に逢うも、何かの因縁であろう。もはや我が素性を打明くるとも差し支えなし。むしろ吾(われ)から進みて名乗り、折に依りては吾が事に老僧一臂(いっぴ)の力を借ろう」

 と、金吾はここに、自分がその左衛門の忰(せがれ)であることから、左衛門が矢倉監物に討たれしこと、及びその監物を睨(ねら)っての我が旅であることを一通り話し、この龍造寺城下に監物が潜み居る見込であることを語ると、老僧も驚いた。

 「なるほど! そう言わるれば、目元や鼻の辺り、左衛門殿に似通いおられるようなり! 左衛門殿のご最後、実にご愁傷至極! それにしても、その監物とやらは、いずこに潜みて生を偸みおるにや? 
 幸い当寺は龍造寺家の菩提寺である。城主をはじめ家老の人々が月に両度ずつは必ず詣られる。されば、貴殿は今日より当寺に来たり宿して、その人々に蔭ながら目を付けられよ。愚僧もできるだけの便宜を与うべし」

 とのことに、金吾は尠(すく)なからぬ力を覚えて、その翌日からこの寺に移り住み、密かに参詣の家老や供廻りに気をつけた。


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