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「小説 名娼明月」 第68話:女人成仏(にょにんじょうぶつ)の願い(後)

 ともかくも、一度参詣をして、上人に自分の願いを語ってみようと、明月は一日(あるひ)、淑(つつま)しやかに扮装(いでた)ち、人目に触れぬように、萬行寺を訪ねた。境内の庭の砂掃き目正しく、亭々と伸びたる老松の蔭清きに、明月は心を躍らした。
 まず明月は、御堂へ拝して庫裏(くり)の方へ赴き、玄関の外より声を掛けた。声に応じて、障子引き開け、現れたるは、二十歳余りの僧侶。
 思いもかけぬ美人の佇みいるに驚きながら、用向きを尋ねた。
 明月は、柳町薩摩屋の遊女明月と名乗り、女人成仏(にょにんじょうぶつ)の希望を述べ、上人のみ教え聴聞いたしたければとて、上人へのお目通りを願った。
 僧侶は暫し、明月の姿に見惚れていたが、やがて頷いて、奥の方へ行った。
 はしたなき遊女風情がと言って、追い払われはせぬかと心配して、明月が待っていると、ややありて、先の僧侶が出で来たり、座敷に通れと言う。
 お秋は飛び立ちたいばかりに喜んだ。
 早速、その僧侶に躡(つ)いていくと、導かれし座敷は、二十余畳の大広間。襖広く、天井高く、塵も留めぬように綺麗である。名月は、坐ると、まず崇高の念に打たれた。
 明月が独り、徒然(つくねん)として待っていると、しばらくありて、廊下の方に当たって、軽き足音が響いて、板戸が静かに開いた。顕れたるは上人、年の頃五十余りの、身長(せい)高く、肉付きよき、色黒き僧侶である。上人の座に着くを待って、明月は頭を畳に摺りつけんばかりに伏して、自分の来意を告げた。
 すると上人は、快く頷いて、明月の殊勝なる心がけを賞め、明月の願いを容(い)れて、女人成仏の導きをしてやろうと誓った。
 明月の喜び、いかばかりぞ。

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