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【震災】しゃあないと思うしかない

前回に引き続き
震災関連のことです

あ、えーと

やっぱり朝は
メガマフィン
(・Д・)
どん!

関西テレビで
インタビュー受けて
テレビデビューした

はる氏です🐹

あのー
主にメディアの人の
インタビューの中で
多かったのが

元旦に発生した
能登半島震災に
関連付けたいのか

その被災者の人たちに
伝えられること
伝えたいことが有れば
コメントお願いします

というものでした。
(カットされてましたが笑)

これに関しては
ぼくは一律

しゃあないで!

しか言いようがない


答えました
(カットされてましたが笑)

元々
日本海側は
地震が多い

そして神戸は
瀬戸内は

大震災は
絶対と言えるほど
起きない

言われていたらしいです

でも、起きた。

だれも
地震が多い場所に産まれたいと
望んで産まれてきたわけでは
勿論ないと思いますが

産まれ方
どんな地域で
どんな家庭環境で
とか

そして
死に方

老衰で
眠るかのごとく
逝けたら
かなり楽なんでしょうが

残念ながら
多くの場合は
病死だそうです。

いつ
どうやって
どこで
産まれ
死ぬか

そればっかりは選べない

書いてる最中に
何事か起きて
死ぬかもしれない
わけです。

つまり
「しゃあないで」
というのは

この世界の
いつか
どこかで
誰かが

天災なのか
人災なのか

そういう目には遭うわけで

それに遭ってしまったのが
自分だったら

それを受け入れるしかない

ということです。

そして

もう一つ付け加えるならば

これは

なぜメディアの人は
言わないんだろうと
不思議に思いますが

そういう災害が起きたとき

災害に遭わなかった人たちは
ラッキーでしたね!


思わないといけない
と、思います。

誰かの災害に
心を痛めるばかりではなく

自分ごとにならなくて
良かったと
感謝すべき

思います。

ただし
その感謝の対象が
被災した人たちであっては
ならない。

被災したことは
不運です。

それは
誰が見たって
わかることですし
目を向けやすい

それには心を痛めましょう

しかし
自分自身を含めて
被災してないことを
幸運だと
思わないといけない

思います。

それが
災害を体験してない人が
災害を知ったり理解する
という感覚に
一番、近いと思います。

日常が非日常に変わったとき

非日常が日常に変わったら
それを日常として
過ごすしかないんだから。

「しゃあないで」
とは
そういう意味です。

阪神淡路大震災のあと
何日も何日も
家に帰れず
ライフラインも
全部停まって

久しぶりに
おでんを食べられた
風呂に入れた
何も案ずることなく眠れた

そうなったときに

いわゆる
「日常が戻ったとき」に

それから以降は
それを日常として
生きていけばいいんです。

というか

そうするより他ないと思いますが

いかがでしょう?
(・Д・)

だから
能登半島で被災した人たちには
心は痛めておりますが

自分が代わってあげたいとかは
思わない。

自分が代わったら
自分の大切な人たちに
大変な思いをさせるからです。

阪神淡路大震災の
1.17のつどいも

語り継いでいくため
というよりは

自分が

そのときに戻って
色々なことと向き合う

他人のために
全国や世界の人に
知ってもらうために
やってるんじゃない

ぼくは思ってまして

能登半島の人たちも
今は何も考えず

今回の経験を
自分だけのものとして
自分の中で

大事にしていって
もらいたいです。

なるべく多くの人が
なるべく早く
救われますよう
祈りながら

今回はここまで
(・Д・)
はる氏でした
🐹

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