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ある病院のHCU室から

えーと…

10月4日のことでした。
気が付けば
どこか知らないベッドの上に
寝転がっていたのは。

それは

H県K市の病院でした。

ぼくには

10月の記憶が全くありません。

色んな人の話によると
10月の2日に

友人Aと遊び
その後、帰宅

そして

てんかん発作をおこして
意識不明になり

更に熱中症も加わって

ぼくの異変に気付いてくれた
別の友人が
救急車を手配してくれ
親にも連絡を入れてくれて

今こうして
情けない姿ながらも
生きてられています。

本当に命の恩人で
ありがたいです。

夢と現実とごちゃ混ぜになっていて
夢で見たことと
同じ内容のことを
現実におきたこととして
教わったりしました。

てんかん発作って
怖いなと思います。

意識が戻ったときは
夢かと思ったし
現実だとしたら
もうそれこそ20年30年
過ぎてしまったのかなと
思いました。

それくらいに
身体の水分は枯渇して

声も碌に出ず

面会もできないので
とにかくその友達と
親と
ばあちゃんだって
まだ生きてるのに
こんなことで
こんな場所で
死ぬわけにはいかない
そう思うと

異変を察して
救急車を呼んでくれた友達が
いなかったら
死んでたかもしれないわけで

感謝してもしきれない

自分自身よりも
自分のことを大事に
してくれる
それって本当に
ありがたいなと思ったし
ある意味では
こんだけ迷惑や心配かけて
合わせる顔無いわと思うと
そのまま死んだら良かったのに
とも思えてきますけど

でも
それですら
助けてくれたことへの
裏切り行為だとなると

人生って厳しいなぁ…と
感じてるところでございます。

でも今回
一番、嬉しかったのは
意識が戻ったときに

「死ぬの怖かったー!」

「生きてて良かったー!」

と、思えたことです。


10月2日以降の物事の経緯を

救急車を呼んでくれた友達や
病院の人が
教えてくれました。

アレは夢じゃなくて現実だったのか
(・Д・)

が、
いっぱいありました。

ここでこういう目にあったこと
そして
一度は生きながらえたこと
その事には
大きな意味があるはずです。

人間って
産まれてきたからには
必ず死にゆくものだと思います

だけど
いつ、どうやって死ぬか
それは決められません。

だから

いつ、どんな死に方であっても
「生きてて良かった(*゚∀゚*)」
と、思えたらそれでいいやと
思えなかったらしょうがない。

そう思って生きてきましたが

いざ、命拾いすると

うわーん
(´;ω;`)
コワカッタヨーウ

って
なるもんですねえ

今回、なんでこんなことになったのか
そしてまた
今回、なんで助かったのか?

自分のことを粗末にしすぎたのかもしれません。

「そうしたらどうなるか」を神様が教えてくれたのかもしれません。

これだけの人が傷付き、悲しむんだ
ということが
よく勉強になりました。

まだまだ死ねない。

てんかんなんかに負けてたまるか
クソッタレ。
byはる氏🐹

いまだに夢か現実か受け入れきれない
この病院のHCU室から
緊急レポートでした!

ではまた🐹

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