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【旅ログ】高野の路にて

一年ぶりです
高野山に行ったのは
(・Д・)
ごーん

どうもはる氏です。

いやー
面白いですね
諸国の女子。

一の橋という
まぁ謂わば
弘法大師さんにお参りするための
入り口とでもいいますか。

つまり
お大師さんは
その一の橋という霊場の入り口から入って
最も奥にある
まさしく
「奥の院」
というところに
入定しておられる
ということになっておりまして
多くの参拝者は
そこを目指すわけなんですが
昨冬に訪れたときには
奥の院に着いた頃には
弘法大師にお目に掛かれず
(時間の関係で閉まっていた)

今回は
まず、奥の院を参拝してから
というわけだったんですが

その一の橋から奥の院への参道が
前述のとおり
霊場となっておりまして

要は墓地なんですが
過去の大きな出来事(戦争や天災など)で
お亡くなりになった方々が
葬られておりまして

有名どころで言いますと
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康

武将に限らず
高名な僧や公家の墓地なんかも
あります。

個人的に意外だったのが
外国人観光客が多いことでしたが

とある外国人の女の子
(おそらくインドとか)

声をかけられて

わたくし

多少の英会話はできるものですから
なぜか
よく声をかけられるんです

一言一句聴き取れたわけでは
ないんですけど

会話なんて
相手が何て言ったか
より
相手が何を言いたいか

わかれば成立すると思ってるんですが

要は
参道を背景に
写真を撮ってくれないか
ということだったので
いいよ
ということで
写真を撮りまして
ぼく「これでいい?」
女子「めっちゃいいやん」
みたいな感じで
会話は終わったんですけど

どうやら
ひとりで旅をしている様子で
彼女は
こう言いました

Do you want to come with me?

まぁ日本人なら
もし良かったら
ご一緒してもいいですか?

ぐらいでしょうに

私と一緒に行きたい?☺︎

っていうこの

ノリ
(・Д・)


「No」
と、答え

というのもですね

過去の記事を見ていただければ
わかるとおもいますが

わたくし
10月に意識不明の重体で
病院に運ばれ
その後
左半身が不自由なままで
生活を送っておりまして

彼女はまだ若く見えるし
旅行の邪魔になると良くないと
思ったので
あと
色んな墓所を参拝してですね
歴史上の人物について
説明を求められたときに

そこまでの英語語彙力はない
ので
断ったんですけど

説明をすると
長くなるので
そこは
No.のみ
ただし
断固No!
という感じではなく
No〜(*´-`)?
ぐらいの感じで。

その後
昼食をとりに
食堂に行ったんですけど

そこの売りが

五島手延べうどん

というわけで
ぼくは
シンプルに疑問として
「空海と五島手延べの関連性はなに?」

思って
店員のおばちゃんに聞くと
なんか
若い日本人の女の子
(高野山大学の学生かな?)

説明してくれまして
ただ
「史実を証明する史料は残ってはないんですね?」
と、聞くと
「まぁ。。それは。。」

ションボリしてたので
「でも絶対、空海うどん食ってますよ!」
と、言うと
パッと明るい表情になり
「絶対、食べてますよねー!」
と、いうことで

本当に空海が好きなんだなと
好印象を抱きつつも

まぁ
立場とか状況の違いこそあれ

先に書いた外国人女子は
「私に着いてきていいわよ?」
ぐらいの感じで
後に書いた日本人女子は
自信や根拠はないけど
好きなんですぅ。
ぐらいの感じで

面白いなぁと思った今日

嵐山では15.000歩
だったのに対して
高野山では13.275歩
なのに
今日の方が身体に響いてる
はる氏です🐹どーん

まぁ
一番、滑稽だなと思ったのは
高野山駅からバスに乗ったとき

ぼくは
左足を半ば引きずって
杖をついてたにも関わらず
席を譲ってくれたのが
1人だけだったこと。

譲ってくれる雰囲気も感じなかったので

いやお前らの慈悲は無いんかい
(・Д・)
おい

仏都、高野山に来る前に

私生活の過ごし方を

見つめ直したら?

と、いうことでした

ではまた次回🐹

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