見出し画像

屋久島で片道で10キロ山道を歩いた先で樹齢7000年の巨大樹に出会えた旅?!!

こんにちは。
先週末に屋久島に行ってきました。

目的は「縄文杉」に会うことです。
「縄文杉」とは屋久島に自生する「屋久杉」の中で発見された最大級の一個体です。
「縄文杉」の説明の前に「屋久杉」の特殊性について説明したいと思います。

もともと「屋久杉」自体は屋久島の標高500mを超える山地に生えているスギですが、普通のスギに比べて樹齢が桁外れに長く巨大化しています。
この「屋久杉」の樹齢が長い理由は、屋久島特有の環境、すなわち雨が多く
新鮮な水が豊富だが山地の花崗岩自体は栄養が乏しいため非常にゆっくりと
育っていくためです。ゆっくりと育つ「屋久杉」は材質が緻密で抗菌作用を持つ樹脂分が多く腐りにくいので長生きすると言われています。

屋久島では樹齢1000年以上のものを「屋久杉」と呼ぶようです。それより
若いものは「小杉」と呼んでいます。
1000歳でやっと大人の仲間入りをするとは凄いですね。

そんな1000歳、2000歳の「屋久杉」の中でひときわ長寿で巨大化してしまったのが今回会いに行く「縄文杉」という個体になります。

「縄文杉」は今から57年前の1966年に発見されました。
屋久島の役場に観光課長として勤めていた岩川卓次さんという方が地元の猟師から「小杉谷の奥に巨大な屋久杉があるらしい」
という噂を聞き、巻尺を手に山を探し歩いたそうです。すると高塚山
の中腹の登山道を外れたところで深い茂みから巨石のような「屋久杉」
が忽然と現れたそうです。

岩川さんは当初、この巨大な「屋久杉」に、あまりに大きいので岩のようだ
として「大岩杉」と名付けました。
その後、この発見を伝えた1967年の新聞記事が「生き続ける縄文の春」
だったことや、形が縄文土器に似ていることから「縄文杉」と呼ばれるようになったということです。



「縄文杉」の樹齢が7000年ではないかという説は、1976年に九州大学の
真鍋助教授(当時)により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから
推定されたものです。但し、「縄文杉」の中心部から正確な科学的調査は
難しいことから2000年〜7000年と幅をもって推定されています。
ただ同じエリアにある「縄文杉」よりも比較して小さな(それでも巨大ですが)「大王杉」が科学的調査により3000年と推定されていることからそれよりは樹齢は上であるようですね。従って7000年という推定値はまだ十分可能性としては高いようです。

さてそれではこの「縄文杉」に会うための今回の登山記録を紹介します。
今回は初めての場所、今まで経験したことのない登山ということで、地元の
ガイドさんを頼みました。

<DAY 1 前半>
さて、1日目の朝は早いです。4時40分にホテルでガイドさんに来ていただき、そこからガイドさんの車で白谷登山入口に着きます。
そこで持ってきた朝食のお弁当を軽く食べた後、いよいよまずは白谷雲水峡
のコースをスタートします。
白谷雲水峡コースとは白谷川の上流に広がる森で標高600mから1050mの6.5kmにわたり延びている登山道です。

最初は小川に沿って石の上を歩いたり、川を渡ったりしていきます。
ただ残念ながらこの時期日の出が6時半とかなのでまだ暗いんですよね。
最初は頭にヘッドライトをしながら登りました。
あたりが明るくなってきた頃には樹々の葉っぱとそして石にびっしりとついている緑の苔でとても美しい風景となっていました。

特にこのエリアは、自然蘚苔類学会が「日本の貴重な苔の森」に制定した日本有数の苔スポットです。石や木など目につくものがすべて苔に覆われて神秘な姿を見せてくれます。

それからジブリの宮崎駿監督が何度も足を運んで、ジブリ映画に出てくる森のイメージを作り上げたとも言われています。特にもののけ姫の舞台になったのがこの白谷雲水峡だそうです。
過去には「ジブリの森」という名前だったそうですが、今では権利関係のため「苔むす森」と名付けられています。


また白谷雲水峡にも大きな屋久杉が生えており、木の下が登山道になっている「二代くぐり杉」「七本杉」なども見ることができました。

基本的にこのエリアの登山道は緑豊かな森の中の道を歩きますが、今回の
登山では1箇所、見晴らしが素晴らしい「太鼓岩」も登ってみました。
この太鼓岩の上に上がると一面にこのエリアを高い地点から一望することができます。この日は天気も良かったので最高の景色でした。ここはおすすめです。
ちなみになぜ太鼓岩かというと、岩の一部の盛り上がっているとこを叩くと
周囲と違うポンポンという音になるからという説があるそうです。面白いですね。


(参考情報: タイムスケジュール1)
4:40 出発
5:30 白谷登山入口から登山開始
7:15 二代くぐり杉
7:47 七本杉
8:02 苔むす森
9:00 太鼓岩
9:50 辻の岩屋

<DAY 1 後半>
さて、白谷雲水峡のみで5,6時間で日帰りもできるようですが、我々はさらに
奥地に向かいます。
白谷雲水峡から山道を抜けると、あの縄文杉に行くためのルートの一部であるトロッコ道に出ました。この時点でほぼ11時なので出発から6時間くらい
かかりました!

さてこのトロッコ道は、屋久杉の伐採が行われていた時期に木材を運ぶ
トロッコとして使われていた線路です。この線路を整備して登山者が線路の中心部分を歩けるような枕木登山道となっています。


トロッコ道は、さすがにトロッコが走るものなのでアップダウンも緩やかで
歩きやすいのですが、枕木の上を歩くということもあり下を良くみていないとよろけたり、ころんだりしそうです。それでもこのトロッコ道を結構な早歩きスピードで進んでいるため登山コース全体のスピードアップにはなっています。

距離は全体で8kmほどあり、今回我々が白谷雲水峡からはその途中から
合流しているため、再び山道にはいる大株歩道入口までは4km程度かと
思います。途中の休憩地点でランチも挟みながら2時間程度トロッコ道を
歩きました。

まずランチを食べた小杉谷山荘跡の近くに「三代杉」がありました。
これは1代目(樹齢2000年)の杉が倒れ、その上に育った2代目杉
(樹齢1000年)が伐採され、現在その切り株から3代目杉(樹齢数百年)
が育っているという珍しい杉の姿を見ることができます。

続いて「仁王杉」、こちらはもともとお寺の仁王像のように阿形と吽形の二本の巨木があったようですが、吽形は残念ながら台風で倒れてしまったそうです。

そしてトロッコ道からいよいよ最後の難関であるアップダウンが急な山道に入っていきました。
我々が縄文杉方面に向かった午後はちょうど、日帰り組が朝から縄文杉を見に奥地まで行き、帰ってくるピークでした。登山は基本上り優先のため、こうした日帰りツアー客に要所要所で待ってもらいすれ違っていきました。上りなので結構体力削られます。縄文杉に行くためにはこの最後の山道を最低でも2時間くらい登っていく必要があります。我々は名所の杉を眺めながら行ったため最終的に3時間半ほどかかりました

このルートでは巨大な屋久杉の見ものが多いです。
まずはもともと樹齢2000年程度だったが現在は枯れており内部が空洞になってその中に人が数人はいることができる「ウィルソン株」です。
中に泉が湧き出しているところもあり神秘的な空洞でしたね。


ちなみにこのウィルソンという名前は、イギリスのプラントハンターでもあったアーネストヘンリーウィルソン博士が1910年代に日本に植物採取旅行に訪れ屋久島に立ち寄りこの巨大な屋久杉を1914年に世界に向けて発表しました。このような日本植物への功績を讃えてウィルソン氏が訪れたこの杉にウィルソン株という名前がつけられたようです。

さて続いて現れるのが「大王杉」です。この「大王杉」は科学的調査によって樹齢が推定3000年ということがわかっています。縄文杉が見つかるまでは最大の屋久杉としてこの「大王杉」という名前がついたようです。
さすがに巨大な杉でした。

近くに「夫婦杉」と名付けられた二本の屋久杉が並んで立っています。
こちらも推定樹齢1500年と巨木ですが、なんと一本の枝がもう一本の杉の
幹に見事に癒合しているのです。これは珍しいですね。だから名前も夫婦
なんですね。


そして出発から11時間かけて「縄文杉」についに出会うことができました。
昔は樹のそばまで行けたそうですが、現在は木から離れた場所にウッドテラスができており、そこから木を眺めるようになっています。
ウッドテラスは少し「縄文杉」から離れてはいますがそれでもその異様な巨大さは凄いものがあります。

この日はすでに暗くなり始めていたので、20分ほど眺めたり写真を撮った後に、「縄文杉」から200mほどの場所にある宿泊拠点、高塚小屋に向かいました。
残念ながら高塚小屋自体は登山客ですでにいっぱいでしたが、キャンプスペースでキャンプをはることにしました。

その日のディナーはガイドさんが作ってくれた豚肉海鮮入りちゃんぽんでした。
こうした泊まりツアーのガイドさんはツアーメンバー(今回はガイド入れて5人分)の食材ももって山道を登る必要があり本当に頭がさがります。

(参考情報: タイムスケジュール2)
10:53 トロッコ道
11:00 小杉谷山荘跡でランチ
11:30 三代杉
12:45 仁王杉
14:00 ウィルソン株
15:00 屋久猿遭遇
15:07 弥生杉
15:45 大王杉
15:52 世界自然遺産地域看板
15:55 夫婦杉
16:35 縄文杉
17:00 高塚小屋着

<DAY 2>
翌朝日の出とともに目覚め朝食、支度をして朝7時に高塚小屋を出発しました。まずは「縄文杉」をじっくりと観察。メインのウッドテラスの横に、もう少し近くにいける別のウッドテラスがあり、そこからの「縄文杉」の姿も凄かったです。前からみるよりも横から見る方が長さが長いため、植物というよりも大きな岩に見えます。発見者が当初「大岩杉」と名付けた感覚がよくわかります。


こんな巨大な岩のような植物は初めてみました。そしてその年齢が7000年も
生きているとは。「縄文杉」にしてみれば我々人間の一生は一瞬ですよね。
霧も出てきたせいか「縄文杉」の神秘的なオーラをたっぷり感じて、帰路に
つくことにしました。

まず行きに3時間半かけて歩いた急な山道を下っていきます。
朝の9時ごろですが、すでに日帰りの縄文杉ツアーの登山チームが登ってきていました。日帰りコースも朝早くから登るのですね。

また「縄文杉」を出てからなんと大粒の雨が降ってきました
レインウェアを早速きて雨の中を山道歩きます。滑りそうになるため
足元を見ながらの歩行です。またすれ違いでは登り優先のため、今度は
こちらが登りがいなくなるまで待つ必要があります。
そのためトロッコ道まで下りでも3時間ほどかかりました。

トロッコ道の前日にランチを食べた小杉谷山荘跡付近でトイレや水もあるためこの日もランチ休憩。
そしてランチ後は一気にトロッコ道を下山しました。
途中川を何回も渡る橋があり、結構スリリングな登山路でした。
そしてランチから1時間ほど下ると、小杉谷集落跡に着きました。

ここでは現在は石碑程度しかありませんが、50年前は屋久杉調査や伐採のための集落があったそうです。この小杉谷集落に住んでいた方は地元の方ではなく全国からそのために集まった家族だったそうです。最盛期の昭和35年には133世帯540人の大集落だったそうです。生徒数147人の小杉谷小学校
あったようですよ。
当時は屋久杉が一大産業だったのですね。


その後、自然保護の流れ、輸入材の増加と国の国有林事業の大幅縮小の結果として1970年に小杉谷事業所は閉鎖されました。そして1975年には屋久島の
1219ヘクタールが原生自然環境保護区になり、1984年までに屋久杉伐採禁止となったようです。

小杉谷集落跡から30分ほどトロッコ道を歩くと今回の登山旅の終点「荒川登山口」バス停とバス待合休憩所がありました。
以前はここまでマイカーやツアーバスで来れたようですが、最近は屋久島町のほうで過剰な車両の乗り入れを規制して3月から11月まではこの荒川登山口までの乗入れはは終日規制されているようです。
そのため、我々登山者はガイドさんも含めて全てシャトルバスに乗り、そこから20分ほど下にある屋久杉自然館前までいく必要があります。屋久杉自然館前まではマイカー、レンタカー、ツアーバスで乗り入れることができます。

また屋久島町と屋久島山岳部保全利用協議会では、現在全ての登山者に対して日帰り1000円、山中宿泊2000円の協力金を払う必要があるようです。
こうした登山客向けの対策はオーバーツーリズムになりやすい観光地では
必要なことのようです。富士山でも入山料をとってますし、エベレストなどでは一人100万円の入山料ですからね。
登山客増加抑制と環境保護を兼ねた政策の一つとして妥当なものと思います。
私もその場になってみてこうした制度に気づいたのですが、
もう少しこうした規制や料金については周知すべきと思います。
ポスターなど作って空港やいろいろな場所に張り出すとかしてもよいのでは。

(参考情報: タイムスケジュール3)
7:00 高塚小屋出発
7:12 縄文杉
8:50 大王杉
10:55 トロッコ道
11:16 仁王杉
12:32 小杉谷山荘跡でランチ
13:38 小杉谷集落跡
14:17 荒川登山口
15:00 バス

以上、今回の屋久島、白谷雲水峡から縄文杉宿泊コースを完遂した記録でした。
総登山距離 約25km
総登山時間 11時間(1日目)+7時間(2日目)

<今回のガイドさんの情報>
屋久島アウトドアガイド 島結 -SHIMAYUI-
笹 川 健 一
〒891-4311 鹿児島県熊毛郡屋久島町安房2353-93
URL:shimayui.com E-mail:yakushima@shimayui.com

これから屋久島旅行、縄文杉ツアーを計画している方の参考になれば幸いです。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?