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疲れを自覚するために。

母が珈琲好きだったので、居間に誰か集まると「珈琲飲む?」といって誰かがコーヒーメーカーのスイッチを入れる、みたいな家だった。

でも、自分のための珈琲を自分で淹れるようになったのはそれからずっとあとのこと。

今から7、8年前。とあるブックカフェのアルバイトで、仕事として珈琲の淹れ方を教わった。そこは本屋がメインだったけど、カフェの「珈琲」にはこだわりがあって、堀口珈琲の豆を仕入れて使っていた。

家のコーヒーメーカーに入れるのは粉になったものだったので、「豆」を扱うのも初めて。お店には機械で淹れる普通のコーヒーとは別にドリップコーヒーのメニューがあって、注文が入ると1杯分の豆を測って電動ミルで挽き、タイマーで時間を計りながらドリップする。ある程度カフェの仕事ができるようになったアルバイトはみんな教えてもらって、お客さんのも淹れるようになっていった。

お店でやれるようになると自然と、家でもやりたい、と思うようになった。カフェで使っていた道具はお店でも商品として扱っていたので、すぐに購入。

購入したのはこちらの『KONO式名門ドリッパーセット2人用』。グラスポットを割ってしまったりして何度か買い替えているけど、今もこれを使っている。全部セットになってるし、個人的には初めての道具にはちょうどいいんじゃないかなと思う。コロンとしてて可愛いしね。

「珈琲を淹れて飲む」という時間は、今やわたしにとってひとつのバロメーターになっている。豆を挽く、道具を用意する、お湯を沸かす、ドリップする。決して楽ではないこの行程を、自分のためにやれる精神状態かどうか。

平日はほとんどやる余裕も、そもそも時間がない。これはもう仕方ない。そういうときのためにインスタントコーヒーも常備してるし(最近のはそこそこ美味しい)。
週末。だいたいはゆっくり珈琲を淹れて甘いものを食べることを楽しみに、小走りで帰る。でも、その週末でさえ「もう、インスタントでいっか」となるときがある。このときは要注意。疲れすぎている。からだも、心も。

年を重ねて思うのは、疲れは、自分でちゃんと自覚することが大事だということ。
週末に珈琲を丁寧に淹れると、平日のもろもろが浄化されていく。幸せな気持ちになる。それがわかっていてできないのは、わたしにとっての危険信号。
そういうときは、無理をしない。好きなことも負担になるときだと言い聞かせて、とにかく自分を甘やかす。
代わりにとっておきの甘いものを用意する。買い物くらいは、できるからね。

迷ったらこれ。エシレのサブレ

自分が食べるお菓子を百貨店で選んでると、贅沢だなぁ、と思うけど、結局は「1週間、がんばったもんね」と堂々とすることにしてる。あと、ちょっとお金かけたほうが少量で満足できることもわかってきたし。

美味しいものを傍らに置くと元気が出てきて、「やっぱり美味しいものには美味しい珈琲だよね」って、あとからいそいそと道具を準備することもある。

そうなればもう、回復の兆し。
いい週末が過ごせるね、きっと。

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