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人はいつから独り言を言わなくなる

 『はじめてのおつかい』を観ていると、出演している子どものほとんどが独り言を言っていた。子どもの素直でたまに詩的な独り言は、可愛くて可笑しくていじらしい。そんなところに癒されながらこの番組を楽しんでいたが、最近は視聴後に不思議な感覚が残るようになった。子どもの独り言は可愛く捉えられるのに、大人になるとそうとも限らなくなるのはどうしてだろう。確かに通りすがりの大人が急に独り言を言っていたら、少しびっくりしてしまう。それは大抵の大人は、他人がいるところで独り言を言わないからだ。どうして大半の子どもは独り言を話し、大半の大人は独り言を言わないのだろう。

 大人が独り言を言わなくなる理由の一つは、歳を重ねるにつれて認識できる世界が広がるからであると思う。外へ出歩く回数が増えるたび、道を歩けば他の人とすれ違う可能性があることを知り、スーパーに行けば自分以外のたくさんの人が同じように買い物をしていることを想像できるようになる。見える世界や想像出来る世界が広がると、世界の住民が増えていく。自分以外の人の存在が大きくなることで、人はだんだんと思ったことを口に出さなくなるのだろう。心の中の世界を他の人に知られるのは、少し恥ずかしいからだ。
 一方で子どもは、(大抵の大人がそう信じているように)自分が広い世界の一員なのだということを知らない。目に見えるものや知っていることのみがこの世界の全てだと思っている。だから自分以外の存在を気にすることなく、頭の中にあることを自由に素直に口にするのだろう。

 大人が独り言を言うとギョッとされてしまうことが多いけど、思えば独り言を言うことは決して悪いことではない。大学生で一人暮らしを始めたころ、ある先輩が「一人暮らししてると、本当に独り言が増えるんだよね」と話していて、周りにいた一人暮らし経験者全員が同感を示していた。私も誰もいない環境に於いてつい独り言を言ってしまうことが、確かにあった。人はきっと独り言を言ってしまう方が自然なのだ。大人は場所を選んで、わざわざ独り言を言わないようにすることがある。
 人は何かを考えたり思ったりするとき、そのことを言葉に置き換える。大人はそれを口に出すことを控え、わざわざ心の中で思うのみにすることが出来る。もしかすると心の中だけで思うという能力がまだないことも、子どもが独り言をよく言う一つの理由になるのかもしれない。

 そもそも独り言とは何なのだろう。人は心や頭の中にあるものを言葉に発して外側に出すとき、伝える相手をそこに想定しているように思う。独り言を言う大人にびっくりしてしまうのは、誰に向かって話しているのかが分からないからだ。同じ声の大きさで同じ内容のことを話していても、その人の向かいに話を受け止める人の存在がいれば不思議に思うこともない。
 独り言を言うとき、ほとんどの場合は自分に向かって話しているように思う。自分は一人なのに、一人で一人に向かって話しかけるなんてなんて奇妙なことなのだろう。考えれば考えるほど、独り言は不思議だ。自分で、自分に話しかけている。自分と自分が会話をしている。人は自分の外側に出ることがないから、そんな不思議な独り言という現象を一人きりで成立させることが出来てしまう。だけどそれを他人がしているのを見かけると、客観的に見たこの不思議さに気がつき、自分のことを棚に上げても「変だなぁ」と思ってしまうのだろう。

 人は絶え間なく、感じ思い考えている(確認する方法がないから、"絶え間なく"かどうかは分からないが)。ここで私自身の独り言について振り返ってみる。よくよく思い返してみると感じ思い考えていることも心の中のみにあるうちは、確定した言葉には当てはまっていないような気がしてきた。何かがざっくりと存在していることを知るのみで、外に出さない限りは確かな形にはならない。自分の中にあるものの輪郭をよりくっきりさせるためには、言葉を持つだけでなく、書くことまたは話すことによって外側に出すことが必要なのだ。人は案外自分の内側について把握しコントロールすることに秀でてはいないようだ。目に見えない"感じ思い考えている"ことを自分の外へ中へ行き来させることで自分と向き合う。(何のためかは分からないけど)やっぱり独り言は子どもだけのものである必要はないのかもしれない。大人になるにつれて失ってしまうものの一つが、ここにある気がする。

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