下田尾佐保

哲学エッセイ

下田尾佐保

哲学エッセイ

最近の記事

      • 会話の記録6

        • 後悔

           選ぶことには覚悟がいるし、諦めることには気力を使う。選んだことが正しかったのか、その答え合わせはいつなされるのだろうか。  お兄ちゃんから「捨てようと思っているテレビがあるけどいる?」と連絡があった。「もう持ってるから大丈夫」と返事をしたら、「サイズ大きいけどいらない?」と念押しをされて、迷ってしまった。電気屋さんから「ウォーターサーバーの機械をサービスで設置してもいいですよね?」と電話が来た。「じゃあお願いします」と返したあと、信頼してる人にそのことを報告をしたら「それ

          会話の記録5

          会話の記録5

          なんでもいい

           風や波はどこから生まれるのかとか、どうして空の色はみる時間によってこんなにも変わるのかとか、そういうことが問いとして浮かぶことがある。  友だちと話しているときに、「どうして痣ってあとからできるんだろう」とつぶやいたら、少し笑って「君のそういう、科学にも立ち向かおうとする感じがいいよね。別に科学的な答えが欲しいわけじゃないんでしょ?」と返されたのがうれしかった。私のつぶやきの本意を汲み取ってくれた気がしたからだ。そう、確かに科学的な答えを求めて問うてるわけじゃない。  哲

          なんでもいい

          哲学プラクティス連絡会公式機関誌『みんなで考えよう』第4号 思索の扉 タイトル『「意味」という概念から解放されるには』(2021年9月4日刊行) https://drive.google.com/file/d/1hDfaCI8BptQp686XGlz4jd9aGFCkC5oU/view

          哲学プラクティス連絡会公式機関誌『みんなで考えよう』第4号 思索の扉 タイトル『「意味」という概念から解放されるには』(2021年9月4日刊行) https://drive.google.com/file/d/1hDfaCI8BptQp686XGlz4jd9aGFCkC5oU/view

          会話の記録4

          この日のさらにつづき

          会話の記録4

          会話の記録3

           感覚の話をするのが、とても好き。わたしの輪郭が溶かされて、目に見えないものとして存在できる気がするから。 この日のつづき

          会話の記録3

          会話の記録2

           世間からみれば益体のないことばかり、本当にそんなことばかり話す友だちがいる。会話のはじまりもなければ、終わりもない。思いついたことを思いついたときに、思いついたままに言葉にする。力を抜いて考えたことの記録でもあるから、文字に起こして残しておきたい。

          会話の記録2

          人はいつから独り言を言わなくなる

           『はじめてのおつかい』を観ていると、出演している子どものほとんどが独り言を言っていた。子どもの素直でたまに詩的な独り言は、可愛くて可笑しくていじらしい。そんなところに癒されながらこの番組を楽しんでいたが、最近は視聴後に不思議な感覚が残るようになった。子どもの独り言は可愛く捉えられるのに、大人になるとそうとも限らなくなるのはどうしてだろう。確かに通りすがりの大人が急に独り言を言っていたら、少しびっくりしてしまう。それは大抵の大人は、他人がいるところで独り言を言わないからだ。ど

          人はいつから独り言を言わなくなる

          哲学ってなんだ

           いつの間にか哲学をすることをはじめていて、それからしばらくつづけている。哲学という言葉があることを知ったから「哲学をしている」と言っているけど、「哲学をする」が何なのかをちゃんと説明できたことはない。  哲学をしているし、「哲学をしている」と言っているから、周りの人からはよく「哲学が好きなんでしょ?」と聞かれる。だけど哲学が好きなのかどうかも、本当は自分でもあまり分からない。哲学をしていると楽しい気持ちになることが多いけど、楽しいから哲学をしているというわけではない。たしか

          哲学ってなんだ

          はじまりのおわり、おわりによるはじまり

           楽しみにしている予定に切なさを覚えるようになったのはいつからだっただろう。その切なさの正体を言語化出来るようになったのは、おそらく中学生のおわりくらいからだった。毎日顔を合わせていたクラスメイトと、卒業をしたらもう二度と会えなくなってしまうかもしれない。おわりの存在に気がついたその時期から、うれしいことや楽しいことはさみしい気持ちと結びつくようになった。友だちとの約束も、お出かけの予定も、学校の行事も全て、はじまる前から楽しみで楽しくてでもたまらなくさみしかった。  おわり

          はじまりのおわり、おわりによるはじまり

          知りたい

           「宇宙っていいよね。宇宙の全てを知りたい」とよく言う友だちがいる。その人にとって宇宙は、神秘的な存在であるらしい。私は大抵「でも宇宙は、なんか恐いよ」と返事をする。このやり取りをする度に、友だちが宇宙を神秘的に思うのも、私が宇宙を恐く感じるのも、その理由はどちらも"知らないことが多すぎるから"なのかもしれないと考える。  小学生くらいの頃、知りたいことを大人に質問してみてもはっきりとした答えが返ってこないことがあって、少しもどかしかったのを覚えている。そのころの私が大人に投

          知ってしまうこと

           子どものままでいたいと思う理由のひとつに、無知でありたいからというのがある。私は何も知らないから、まっさらなままで文学や芸術や音楽を綺麗だと思えたり、なんか良いと感じたりすることができる。変に批評したり分析したりせず、感性の赴くままにたくさんのことに触れられる。私は何も知らないから、新しく知ることや教えてもらえることがたくさんあって、そのことがささやかに楽しい。  大人になりたいと思う理由のひとつに、博識で深みのある大人に憧れるからというのがある。ある作品を観るときに物知り

          知ってしまうこと

          "大事"の定義が分からない

           "大事(形容動詞としての・だいじ)"という言葉の持つ深淵さについて書きたい。私たちは、生活の中の様々な場面で"大事"という言葉を用いる。私も普段から、多分かなり安易に"大事"を使っていたが、その言葉に対する小さな違和感をはっきりと認識したのはついこの間のことだ。大きなきっかけがあったわけではない。いつものように友だちと何かの問いについて話していたとき、その人が何気なく「〇〇は大事だもんね。」と言った。〇〇の部分が今では思い出せないくらいその時はどうしてだか"大事"という言葉

          "大事"の定義が分からない