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知ってしまうこと

 子どものままでいたいと思う理由のひとつに、無知でありたいからというのがある。私は何も知らないから、まっさらなままで文学や芸術や音楽を綺麗だと思えたり、なんか良いと感じたりすることができる。変に批評したり分析したりせず、感性の赴くままにたくさんのことに触れられる。私は何も知らないから、新しく知ることや教えてもらえることがたくさんあって、そのことがささやかに楽しい。
 大人になりたいと思う理由のひとつに、博識で深みのある大人に憧れるからというのがある。ある作品を観るときに物知りでいると、その作品をより分厚く鑑賞することができる。作者の人生やその時代の背景を知っていると、一つの作品に紐づいてたくさんのことを広く深く味わうことができる。知ることで、心の中の空洞に響く深さを感じられて心地よい。

 「何も知らないままでいたい」と「色んなことを知りたい」。二つの相矛盾する欲求のちょうど狭間にいる。最近は、長く万人から愛されてきたような作品の良さを何となく感じ取れるようになってきた。何も知らなかった私は今、少しずつ美しいもの面白いものと出会い、心はそれを受け入れている。
 そのことを嬉しく思う一方で、少しこわさも感じる。これは予想だが、何かを知ること、その知識はわたしを少なからず形づくる。知っていくことで、わたしという人間は知らぬ間に変化していく。変わってしまったあとには、きっと元通りのわたしにはなれない。知ってしまったら、知らなかったころにはもう二度と戻れないからだ。透明だったわたしは、知りながらさまざまな色を吸収するが、あとにその色を完全に抜くことはできないのだと思う。

 考える時も同じだ。他の人の表現に触れることは、いつも考えを一歩深めるきっかけになる。哲学の本だけでなく、音楽や小説、映画の中にも考えるヒントはたくさん散らばっている。一人きりで考えるとグルグル回りつづける頭も、外側にある何かを取り入れたり、誰かと話したりすることでその輪郭が少し見えるようになる気がする。たくさん知ることで、物事の側面が無限にあることに気がつく。それは多分喜ばしいことだけど、私は透明で瑞々しい、何も知らないわたしのことも失いたくない。
 例えば何も読まずに自分の頭だけで考えぬいて、私なりの言葉表現に辿り着いたとする。それは私が一人で考えて言葉にしたのだから、誰がなんと言おうと私の頭から生まれた私の考えだ。けれども、たいてい私の考えついたことは、ほかの哲学者やほかの人がとっくの昔にどこかで言っていることで、後からそういったものに出会って少し悔しくなることがある。
 悔しくなるのだが、同時に少し安心もする。なぜなら何も知らない私は、私の頭の中にあった何かをまっさらな自分の言葉で表しきることが出来たからだ。言葉にする前のぼんやりとした状態のときに、それを代弁してくれるような考えや言葉と出会ってしまっていたら、私は私の言葉で表現することを怠っていたかもしれない。もしくは表現できたとしても、誰かの既出の文章表現や言葉使い、考えに少なからず影響を受けてしまっていただろう。まっさらなわたしから生まれたものではなく、吸収したそれらを総じて影響されて生まれた言葉になってしまっていたはずだ。

 あなた(わたし以外のだれか)を神秘的に思うとき、その所以はざっくり分けると二パターンあるように思う。(本当はカテゴライズしたくはない。ざっくり、大雑把に二つ)一つはたくさんの知識があったり、想像し得ない経験を抱えていたりする人の複雑な側面を見つけたときだ。その人の心の底は、到底見ることの出来ない迷路のように長い道の先にある。もっと知りたいと思えるような奥深さを持っている。私が触れてみたくても触れられない何かを、抱えもっている人は面白い。私からみた大人に対して、そう感じることが多いかもしれない。
 もう一つは人の純粋であるところを感じとったときだ。邪な感情がなく、何も知らないが故の真っ直ぐすぎる感性や考えを持つ人。そんな人の、やり方に縛られずに自由に感じたり表現をしたりする姿を見ていると、どうか変わらないでいてほしい、正直なままでいてほしいと強く願ってしまう。私からみた子どもに対して、そう感じることが多いかもしれない。

 哲学をすること(考えること)や、文を書くことをつづく限り、つづけたいとやんわりと思っている。哲学をしている人や、文を書いている人はたくさんいて、そんな人や作品に憧れたり、近づいてみたかったりする気持ちはもちろん大きくある。だけどそれと同時に、知っていくにつれて何かのやり方を覚えてしまったり、知ったことで揺るぎない意見のようなものをもってしまったりすることになるのではないかとほんの少しの恐れも抱いている。世界を広げて深めていきたいけれど、何者でもない私として、同じように何者でもない友だちと自由に、本当に自由に思考できている今もとても大切だ。知りたいと何も知らないでいたい。二つとも本当に思っていることだから、大人に足を踏み入れるのはちょっとこわい。

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