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日本の道徳心-智(知)


智(知)を紐解く

徳の一つ智(知)については、
様々な文献に以下のように記されて
いますが、ここでは私見を交えて
違った角度から紐解いてみます。

智(知)を慧として実社会で活かす

【智・知】のテクニカルスキルは、
知識とか知性などに相当する領域、
知っているか、知らないのか?の自覚、
出来るのか、出来ないのか?
の認識であると解して以下を記します。

実社会での普段の生活、
会社や組織、店舗などでは、
」と言われるテクニックや
スキルとい言われることについつい
意識が向いてしまい資格や形に捉われ、
夫々を生かす人間力の元となる
人としての心である
思い遣り・感謝・誠実さ・謙虚さ
などの「心」に関する知識が不足し、
「技」が先走りそれを具体的に表わす
[体]が伴わないことが多々あります。
即ち、「心・技・体」のバランスが
崩れてかけていると考えられます。

20世紀までは、
このような心の元となる
人としての「基礎体力」を人や親、
先輩や先人の「背中」を見ながら
学び知り身に着けてきました。

現在のように様々な情報が溢れている
社会では目先や見た目重視の情報に
振り回され自らが自分自身と
向き合う」ことさえ疎かになり、
その結果、如何に世渡り・生き様
を上手にして生きて行くかと言う、
対人関係力に目=意識が向き、
人間として最も必要とされる
大切な心の「基礎体力」に意識が
向いていないのでは?と思われます。

即ち、[心・技・体]の[技]
=【知】の中のスキル(能力)や
テクニック(技)の知識ばかりに
意識が向きそれを生かすための知識が
不足し[体]が伴わず頭でっかちになって
しまっているのではないかと思います。

私達は、
震災復興や2050年問題と言われる
ジャパンシンドローム」に
対応対処するためにも
様々な素晴らしい社会環境が
齎されている現在社会に於いて、
この【】を生かす方程式を解く学び、
即ち上記した「感謝・誠実さ・思い遣り・
謙虚さ・感謝・立場転換」などの知識を
先ず身に着ける必要があると思います。

この人としての原点に立ち戻り
学び知ることによりひとり一人の心の
中に齎されるものは計り知れません。

少しでも多くの大人が、
この人とての心の「基礎体力」創りに、
直ぐに取組まれることをお薦めします。

その結果として、
心豊かな人間形成に成るばかりか、
自殺、いじめ、犯罪などの予防にも
活かせ必ずや繋がると思われます。

※以下、学びのメモより転載

・・・正しい判断をすること
・・・知恵・知恵・認識
・・・物事を理解し、善悪を分別する。
・・・義・礼・歴史、心姿などの知識で研究し、
   行動の根拠にするもの。
智(知)
・・・正しい判断を下せる能力。
・・・正しく豊富な知識と経験、
   洞察力が加わって知恵となる。
   または、考え学ぶ力を指し、
   是非の心、知識や経験を通じた
    正邪(≒正誤・善悪)の区別が
   出来ることを知恵と言う。

【智】知(知恵)を磨くに素直にあれ

学問に励むこと、知識を重んじること。
勉強ができない人や知識がない人を
愚か者だと貶す風潮がありますが、
勉強が出来るから賢いとは限りません。

机上の論理計算だけ達者であっても
愚か者と呼ばれることすらあります。
真の愚か者とは同じ過ちを繰り返し
何も学ばない存在を意味します。

知と言うものは、歴史や人間の
経験から生み出された知識で、
知識があることがそのまま
生活を豊かにするわけではありません。

知育・徳育・体育の考え方。

知育とは
自らの知識を豊かにし、
知能を高めるための教育。
徳育とは
人格や道徳心を養い育てる教育。
体育とは
健全なからだをつくる教育。

知育、徳育、体育どれが一番大切?
知育偏重の学歴社会は終わりました。

この3つとも大切であり、
そのバランスが人を豊かにする


この智ついては、
伊達政宗五常訓の中に
智に過ぎれば嘘をつく
と記されています。

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