見出し画像

待っててもやって来たりはしないんだ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「あの人、なんだかいつもすごく楽しそうだなぁ」

僕から見ると、そう見える人に時々出会うことがあります。

とは言え、僕からそう見える人が「いつもすごく楽しいですよ」ということを口に出して言っているのを聞いた事は無いような気がしています。

それよりも「いやー、ありがたいことなんですけど何だかんだと忙しくて」と口に出してはいながらも、「やっていることが楽しくて仕方がないんだ」というような空気を発しているように見えるんです。

そういう人のしてくれる話を聞いていると、とにかく“あれ”にも“これ”にも“それ”にもたくさんの興味関心があって、それらを勉強したり体験したり実行したことから感じたことや考えたことの話をしてくれるので聞いているこっちも楽しくなってくるような感じです。

そんな人達の話を聞いていたら「“楽しんでいるモノゴト”というのが複数あるんだな」ということがわかってきました(“好きなモノゴト”と言うのかもしれませんし、“興味関心の高いモノゴト”と言うのかもしれませんが)。

そして、それらの“楽しんでいるモノゴト”というのもただ単に「消費者として“消費活動をする楽しみ方”ではないんだよなぁ」というのも見えてきました。

そういう人達が“楽しんでいるモノゴト”は、話を聞いているとそのどれもが「自分が能動的に行動する楽しみ方をしている」ということが見えてきます。

もう少し考えてみるとそれらは「パッと聞いてわかるモノもあれば、よく考えてみないとわからないモノもあるけど、そのどれもが“創作活動”なのではないか?」ということが段々とわかってきました。

そうしてやっと理解ができたような気がしました。

あの人達が、「なぜ、あんなにも忙しそうなのにもかかわらずあんなにも楽しそうにしているのか?」が。

僕からすると“楽しそう”にも種類が幾つかあるような気がしていました。

他者が「楽しかった話」を聞かせてくれた時には、「その“楽しさ”はどういうところからくるの?何が楽しかったの?なぜ楽しかったの?」なんていう質問を基本的にはすることにしています。
何しろ僕はその“楽しさ”を想像することしかできないので、「一体何がどういう風に楽しかったんだろう?」という純粋な興味が湧いてくるんです。
そうやって話を聞かせてもらうと、その“楽しさ”がどんなところにあるのか?自分もその“楽しさ”に興味感心を持つことができるかどうか?なんてことが理解できるような気がします。

そうして、「お金を使って“何らかの物(サービス・体験を含む)”を消費する」ということで味わえたり手に入れることができる“楽しさ”だということが見えてくると、個人的にはあまり興味関心を持つことができなかったりします。

それよりも、その人が“固有の取り組み”をしたことで手に入れることができた“固有の経験”だった話であったりすると、僕も「それ、めちゃくちゃ楽しそうだなぁ」なんて感じることが多かったりするんだという“自己理解”が進んできています(もちろん、自分がそれと同じ“固有の経験”をすることはできないのが前提でもあるんですが)。

そんな風に、いわゆる“楽しそう”にも、幾つかの種類があって、それらは大きくわけると“消費活動”と“創作活動”と“運動”の3つに分けられるというのが見えてきました(もちろん、完全に3つの区分のどれかに分けられるわけではなくて、それぞれが重なり合うモノもたくさんありますが)。

そんな風に見えてきたことで、自分自身が「楽しそうだなぁ」と感じるモノは“創作活動”と“運動”がほとんどだというのが見えて来ました(何しろ“消費活動”の原資となるモノを持っていないのでそもそも活動自体が不可能なので)。

それを前提として考えてみた時に、自分はこれまで「“運動”という“楽しみ”」しか持ち合わせていなかったことに気が付きました。

今年になってから抱えた体調不良によって“今まで”のようには運動ができなくなってしまったのもあって、それまで楽しんでいた運動によって手に入れることができていた“楽しいという気持ち”を味わうことができなくなってしまって、まあまあ気分が落ち込んでいた時期が長くあったんですが、「ああ、これが原因だったのか」ということにようやく合点がいきました。

なので、今後は「自分の“楽しみ”」というモノについて“経営”を取り入れてみた方がいいのかな?なんてことを考えてみました。

“経営”なんて言ってもそんな大層なことではありません。ただ、「自分の“楽しみ”を1つに依存しない」ということです。

これは、いわゆる「取引先を大口の1社に依存していると、その仕事が立ち行かなくなった時に“大きなリスク”になるので、1社依存しないリスクマネジメントをしておく」という考え方をベースにしています。

「自分が“楽しい”と思えるモノゴト」を複数持っておくことによって、今の僕のように以前は“楽しい”と思えていたことが何かの理由によって実行できなくなっても、その他に“楽しい”と感じられるモノゴトが複数あれば気分が落ち込んだり無気力になったりすることが防げるんじゃないだろうか、なんて今は思っています。

だから“運動”以外にも、「あまり元手がかからずにできる“創作活動”」についてちょっと考えてみたわけです。

でも、「あまり元手がかからずに」という条件を設定すると、今のところは1つか2つくらいしか「やってみたい」と思えるモノが見当たらないので、とりあえずそれらに手を付けてみようと思ってはいますが、そうは言っても僕の中には今のところ“溢れるような創作意欲”というモノは微塵も感じられないんですが、そういうモノってやっているうちに出てくるモノなのかどうかもよくわかっていないままにとりあえず始めてみてもいいものなのだろうか…と若干の戸惑いもありつつ「まあ、なんでも経験かな」という軽い気持ちもありつつ、時間を作ってやり始めてみようかなと思って“入門書”的なモノを読むところからスタートしています。

この辺が我ながら「“守り”に入ってるなぁ」と感じるところでもありますが、今の自分の中に在る「やってみたい」という気持ちの“火種”の大きさから考えると、本当にこのくらいからのスタートで“風”を送りながら徐々に大きな“炎”にしていく取り組みでちょうどいいのかもしれないな、なんて思っているところです。

まずは第一章を読み終えたところで、スタート時点よりは“火種”が大きくなってきたのを感じているし「自分にもできるかもしれない」なんて気持ちも芽生えてきたように感じているので、引き続き“創作活動のための入門書”を読み進めていくことを“活動の一歩”ということにしておこうと思います。“楽しい”って感じられるモノは、色々なモノゴトに触れていないと自然には芽生えてはこないのね、きっと。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?