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やってみるのその前にやってみること

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「まずはやってみると前に進む」

もの凄く当たり前のことです。

もの凄く当たり前のことですが、ずっと「やべーどうしよう全然わからないぞ、やべーどうしようできる気がしないぞ」と思っているだけでなかなか手をつけられていなかった物事を、いざ実際にやってみてホントに前に進んだ時には、いつも冒頭の言葉を噛みしめます。

「ああ、何とかなった」という思いと共に。

あらためて見ても、当たり前のことなのでこれ以上何か書く事があるんだろうか?とも思うんですが、実際にやってみるまでの自分を思い返してみるとこの時の自分の内側で起きていた事をしっかり書いておいた方がいいんじゃないかな、なんて思ったりもしています。

つい昨日の夜までは、とある一つの物事について年明けくらいからずっと手が付いていない状態でした。

頭の中では何度かそのことについて考えてみたんですが、実際にそれに関して手を動かしたのは今日が初めて。それまではただひたすら頭の中で「あーでもない、こーでもない」と考えていただけでした。

例えて言うなら、(どこにもいるはずのない)誰かに攻撃をされたことを想定して、「相手の右のパンチにはこうよけてこう返す、左のパンチにはこうよけてこう返す」と、ただ頭の中だけで妄想を繰り広げている格闘技に強いあこがれを抱いている男子学生のように、ジムにも通わず自分の体もほとんど動かすことなく、ただただ脳内で妄想空想をこねくり回すだけ。

その時の自分の中に一体どんな気持ちや想いがあったのか?

「手を動かしてみてうまくいかなかったら嫌だ」という気持ちすら無かったのはまちがいありません。その時に考えていたのは、ただただ「何も思い浮かばない。思いついものがことごとくダメだったいうのだけはわかるけど、だからってどうしたらいいのか全然わからない」と思っていました。

その状態から、こうして前に進むためにあったのは「やる」という事だけだったのか?

実際には「やる」前に、何らかの「いけそうな気がする感覚」みたいなものがうっすらと湧いてきていたんじゃなかったのか。

確かに、ボンヤリと“アイデアの種”みたいなモノは浮かんできていた感覚がありました。そして、それが「いけそうな気がする感覚」が芽生えてきたきっかけになって「やる」に繋がったような気がしています。

じゃあ、問題はその“アイデアの種”みたいなモノは、一体全体どこから浮かんできたのか?

それは、「天からの啓示」のようにいつ来るのかさっぱり予想すら立たないような閃きのような何かだから、ただただそれが来るのを待っているしかないという類のものなのか?

今回の僕の感じでは、そういう「天からの啓示」のようなモノではないんじゃないか、と感じています。

じゃあ、一体全体どうしたらその“アイデアの種”みたいなモノが出て来るのか?

これは恐らく「ポジティブな気持ち」が要因なんじゃないかと思っています。

僕は“誉められる”のにとても弱いという性質があります。

ここで言う弱いというのは、苦手だということです。

過去からずっと“誉められる”ということから縁遠かったせいもあるのか、とにかく人から誉められ慣れていないので、実際にいざ“誉められる”という状況になると、どうしていたらいいのやらさっぱりわからず挙動不審な状態に陥ります。陥るんですが、内心は嬉しくてたまりません。その嬉しさから、僕の中の「何らかの物事に対するやる気」がグングン上がるのを感じます。特に、その“誉められる”要因になった事柄がまさにその取り掛かるべき物事と同じ種類とか関連のある事だとすると、それはそれは、やる気がグングン上がっていきます。誉めに弱いのにやる気になるだなんて、ずいぶん屈折した内面だなあと自分で思います。

まあそれでも実際そうなんだから仕方ありません。

そんな性質があり、実際にそういう状況が起きた事が“アイデアの種”に繋がったというのはきっと間違いのないことでしょう。

寝ても覚めても“それ”をずっと考えて考えて「あーでもない、こーでもない」とやっていながら、全然うまくいきそうなイメージを持てるアイデアは湧いてこなくて「自分とはなんと貧困な発想しか持ち合わせていないんだろうか」と思っていたところに、“それ”に関連するような物事での“誉め”を浴びて「ポジティブな気持ち」がグングン沸いてきて「やる」に取り掛かれた。

この一連の流れは、これからの自分自身の「やる」という行動に繋げたい時の何らかの材料になりそうな気がしています。

ただ、問題があるとすれば、今回起きた“誉め”はあくまでの偶然の産物でしかありません。これを欲しい時にもらえるようにするには“誉め”が起きるような場づくりしかありません(今回は、そういう場づくりが出来上がっているところにこちらから出向いた)。

そう考えると、僕達がずっと学んでいる『心理的安全性』というのはまさにこの“誉め=周囲からの承認”が起きやすい状況を作り出すのに特化した手法なんだろうなと、書きながらあらためて感心しているところです。

「心理的に安全な場」を色んなところに作り出すことで、僕自身が「やる」という行動を抵抗感なく始められるようになるんじゃないか。

それはすなわち、挑戦しやすい場づくりに他ならないんじゃないか。

ここまで書いてみて、今はそんな風に考えています。

ということは、冒頭の「まずはやってみると前に進む」よりも以前に存在するのは、「まずはやってみるを気軽に出来るし気軽にやってみたくなる場づくり」が必要であり、それに取り組みながらようやく「まずはやってみよう」と打ち出していくべきなんだろうな。

そうなると、「まずはやってみる」が必要なものごとにおいて「まずはやってみる」が出来ていない状態なのであれば、何らかの抵抗感を感じているはずだということであり、その抵抗感がどこからくるのか?を一度細かく見ていく必要がありそうだなこりゃ。

まずはその辺りから、もう一度見直しをしてみることから始めてみよう。

これが上手くいったら、他のところでも色々使えるのかもしれないぞ。

自分が出来ていない「まずはやってみる案件」って、たくさんあり過ぎてどこから見ていこうか考えると、もう既に「やってみる」が出来ない感じが漂いはじめているような気がしないでもない…。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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