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でっかい声で元気よく

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

仕事として、他社の組織開発に関わらせてもらっている中で色んな業種職種で働く人達の話を聞かせてもらうことが多くあるんですが、プロジェクトを進める会議やワークの中で「自分の意見」を発信するとなると「得意な人」と「苦手な人」がハッキリと別れることがよくあります。

「得意な人」は軽く促すと色々意見を出してくれるわけですが、「苦手な人」には同じように促しても「苦手」なわけですから同じようには出てきませんので、投げかける“問い”を変えていきます。

そうすると問いかけによって出てくる意見も変わってくるので、つくづく「問いかけってすげー大事だよなぁ」なんていつも思うんです。

でも、「自分の意見を出すのが苦手な人」が「苦手さ」を微塵も感じさせず、しかも、とても楽しそうに、いつもの会議やワークの時とは全然別人のような様子で話をしてくれる話題があったんです。

まあ、ありとあらゆる人にやってもらったわけでは無いので「誰でもそうなる」と言い切れるかどうかはわかりませんが、それでもかなり多くの人に有効だろうと思っています。

それは、「その人が、その仕事について“好き”とか“楽しい”と思っている部分についての話をしてもらう時」です。

「いやいや、そんなの当たり前でしょ」という突っ込みが入るかもしれませんが、そうなんです。当たり前の話なんです。

だけど、この「当たり前の話」が実は組織の中では「話せていない」し「聴けていない」ということがとってもとってもよくあるんです。ここは協調してもし足りないくらいなのでもう一度強調しておきます。

この「当たり前の話」が「全然出来ていないし聴けていないし組織内で共有できていない」というのが、ものすごくよくある「あるある事例」なんです。

もしもこんなことが組織内でお互いに日常的に話す機会があって聴く機会もあったとしたら、そもそも、「自分の意見を発信するのが苦手な人」という他者からの認識が出来上がるはずはありませんし、自己認識も「意見を発信するのが苦手」とはならないんじゃないかと思っています。

それに、「仕事の中での“好き”や“楽しい”」が共有されていたとしたら、その逆に「仕事の中での“嫌い”や“楽しくない”」も共有されているんじゃないかと思うわけです。

そうなると、「その仕事をやるうえで絶対に付随してきて代わりも効かないような仕事」だったら仕方がありませんが、誰かに代わってもらうことが可能な仕事なのであれば可能な限り“好き”や“楽しい”と感じる仕事をやってもらうことは成果につながりますし、“嫌い”や“楽しくない”仕事は成果に繋がらないわけですから、そういう役割を担って成果を上げてもらえるように工夫ができるんじゃないかと思うんです。

でも、組織としてのパフォーマンスがあまり発揮されていない組織に必ず共通しているのが、「みんな等しく同じ作業を絶対にやるべき」みたいな悪しき平等主義がはびこっていたり、「仕事の中で“好き”とか“楽しい”なんて真面目にやってない証拠だ」みたいな価値観が蔓延したりしているのも「あるある事例」です。

ウチが組織開発をするうえでは、自分が担っている仕事の中に“好き”とか“楽しい”と感じる仕事があるというのはとっても「よいこと」だと考えています。

と言うか、“好き”とか“楽しい”と感じられるモノは恐らくその人の「強み」の部分だと思っているので、その「強み」にどんどん注力してもらってぐんぐん伸ばしてもらって、バシバシと成果を挙げてもらうことが、本人にとっても一緒に働く人達にとっても組織にとっても顧客にとっても社会にとっても、間違いなく「よいこと」だと考えています。

何しろ、もしもある程度の年数かけて仕事をしてきたうえで、本当の意味で「弱み」な部分については、それはもうそこの伸びしろはあまり見込めないんじゃないかと考えるのが妥当だと思いますし、年数かけてやってきて「弱み」なのであればそれをどれだけ頑張っても「強み」に変わっていくことはないんじゃないかなと思っています(もちろん、ある程度の時間をかけて取り組んでいないのに「できない」って感じるのは全然別の話になってきますが)。

それよりも“好き”とか“楽しい”と感じるような「強み」に時間と労力をかけた方が、楽にたくさん成果を出せるのは間違いありません。

ただ、「自分は、時間をかけて頑張ってやってみたけど、アレは人並にこなすことも出来ないんだ」ということを認めることでもあるわけなので、「強みに注力しましょう」と外側から言うのは簡単なんですが、その当事者からするともしかしたらキツイしツラいこともあるかもしれません。

何しろ、「自分にはできないことがある」と認めることは「弱み」を自分から外に向けて声高に叫ぶことになるからです。

「自分は弱い人間です。みんなが出来ることが自分には出来ません。どう頑張っても人並にも出来ません」

これを一緒に働く人に向けてしっかりと自分から伝えられる人がどれくらいいるのか?

今まで色んなところで色んな仕事を経験してきましたし、今の仕事で色んな会社を見てきていますが、これが言える人はあまり多くは無かったなぁという感想です。

ただ、そういう人がいないわけではありませんし、これが出来る人たちも「最初からそう出来ていたわけでは無い」という話をしてくれる人がほとんどです。

ちなみに僕もそうでした。

今でこそ、「僕には出来ないことがたくさんあります」とこのnoteでも書いていますし色んな人にも話していますが(リアルに僕を知っている人であれば、僕がそう話しているのを聞いた事がある人もたくさんいるとは思います)、昔はこんなことを認めたくは無かった時期もありましたし、何とか頑張って「せめて人並には出来るところを周りに知らしめたい」と思ったりしていたことがありました。

だけど、出来ないモノは出来ません。

「努力が足りないんだよ」とか「もっと頑張れよ」とか「諦めんじゃねーよ」とか色々と言われてきた記憶がたくさんありますが、そういう言葉をかけられた時にいつもこう思っていました。

「オマエなんかより死ぬほど努力してきたんだよこっちは」と。

僕にとっては「もうこれ以上頑張れないよ・・・」と思うくらいやっても、結局は人並にもこなせないことが山ほどありました。

そんなことが明らかになるたびに泣きたくなるし「自分ってこんなことも出来ないのか」と打ちのめされたりもしてきました。

でも、もうそれ以上は頑張れないと自分では理解できるところまではやってみたわけです。その時は。

そうして、「自分には出来ないこと」に注力してきたわけですから他のことにはあまり力がかけられていないわけです。

ただ、そんな状況の中で不思議なことに「対して時間もかけてないし努力もしたつもりがないのに、人並以上にできてること」というのがあるわけです。

そして、そういう「なぜか出来ちゃうこと」は周囲からもどんどん「これもお願いね」なんて感じで回って来るわけですが、もちろんそれもあまり苦も無くできちゃうわけです。

そういうことが積み重なって、いつかどこかで気付いたんです。

「ああ、こうやって仕事って回っていくんだな」って。

それが分かってからは、その「なぜか出来ちゃうこと」とか「周囲が苦痛に感じていても、自分にとっては苦も無く出来ちゃうこと」とか「みんなが分からないと言っていても、自分にはなぜかわかること」なんていうのが見えてきて、それがいつの間にやら「ああ、これが自分の強みなんだな」と自覚できてきて、これまたいつの間にやら、胸を張って堂々と言えるようになりました。

「僕には、逆立ちしても出来ない仕事がたくさんあります。だから、あなたの力を貸して下さい」と。

それに加えてこうも伝えます。

「その代わりと言っては何ですが、僕に出来ることは全力でやりますし、一緒にやってくれる仲間のことは全力で守りますしサポートします」とも。

幸いなことに、僕にはこれまでの人生の中で培ってきた、他の誰も持ちえない「強み」があると自負しています。

それは、自分でも「もう二度と同じ人生を体験したくない」と思うような数々の嫌な想いをした出来事やトラブルやアクシデントを、一応何とか乗り越えて今こうして生き延びているということです。

言葉通りに「自慢じゃない」んですが、でも、これが僕の最大の「強み」だと思っています。

これで何が出来るのかは僕にもわからないところが多い未知数だらけではありますが、これが実際に役に立った過去の事例はそれなりに持っているのでその事例に照らし合わせるだけでも、起業依頼たくさんのピンチに見舞われてきましたが随分と役に立っているのが実際のところです。

こんな僕みたいに「〇〇力」なんていう何かの能力として区分け出来ないようなモノですら実際に「強み」になっていたりするわけなので、当然ながらどこのどなたであろうとも、その人の内側には必ず「強み」があるのは間違いありません。

ただ、その「あるはずの強み」をどうやって発掘するのか?どうやって発見するのか?どうやって役に立たせることができるのか?

これにはきっと唯一こんな方法しか無いんじゃないかと思います。

とりあえず色んなことを行動としてやってみて経験したうえで「なんなく出来ちゃうこと」とか「なぜか人より上手くやれちゃう」とか「好き」とか「楽しい」と感じることなんかをたくさん集めていくしか無いんじゃないかと。

当然ながら、それをやっている中では「自分てこんなことも出来ないのか」という悲しい衝撃を受けるようなことも出てくるでしょう。「自分は特別な人間なんかじゃなかったんだ」と実感する場面も出てくるでしょう。だけど、それでいいんです。それが、いいんです。

それが分かって自覚できるからこそ、自分の「強み」が明確になるんです。

僕たちが、そんな自分たちの実体験をベースにしながら、働く人と組織に向けていつも伝える言葉があります。

それは、

「強み」も「弱み」も正直に、前向きに。

という言葉です。

頑張らなくても出来ちゃうことがあるならそれはいいことです。ちょっと頑張れば物凄く出来ちゃうってことですから。

頑張っても出来ないことがあるのもいいことです。それについては誰かに代わりにやってもらいましょう。

そして、その誰か他の人たちが頑張っても出来ないことの中でもしも自分には簡単に出来ちゃうことがあるのであれば、そこは代わりにやってあげればいいんですから。

そうやって、相互に助け合って「お互いにできること」をやり合うことが、そもそも仕事であり、社会なんじゃないかと思っています。

そうやって、迷惑をかけ合って生きていくしかないし、「他者に迷惑をかけないで生きていく」なんてことは端から出来はしないんじゃないかと思うんです。

そのためにも、一緒に働く人や周囲にいる人達との間では、せっかくだからお互いの“好き”とか“楽しい”とか“嫌い”とか“楽しくない”とか“出来る”とか“出来ない”とかを話して聴いて共有していければいいんじゃないかなと思っています。みんなでお互いに、強みも弱みも、正直に前向きに。

そしたら、でっかい声で叫んでみたらいいんじゃないかと思うんです。


だれかー たすけてー



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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